◆会報第36号より-03 八幡東部

「八幡東部と神社を巡る」のしおりを作成して

-川口と下奈良を中心に-

高田 昌史 (会員)


 昨(2012)年の[望年会」で、土井事務局長から3月例会は「八幡東部を巡る歴史探訪ウォーク」を計画している、私が住んでいる近くなのでその例会の世話役をやらないかとのお話があり、1月5日に訪問先の説明予定者5名で下見をしました。予定コースの大半は私が日頃散歩等で通っている場所でしたが、そのコースにある神社等の歴史についてはあまり関心を持っていませんでした。
 確かに、八幡市は石清水八幡宮を中心とする歴史ある町であり、地元住民としてその歴史にもっと触れたいと思い、昨年入会して石清水八幡宮に関する各種講座や見学会等で、いろいろなことを知りました。そして、この地域が昨年1月に国の史跡指定にもなったことから、ますます八幡市の歴史は石清水八幡宮とその周辺がすべてと思っていました。
 しかし、今まで余り注目していなかった今回の訪問予定の「しおり」作成のために、『男山考古録』や明治初頭の『村史』及び『八幡市誌』の記載を確認し、それにインターネットによる検索や紹介して頂いた図書・資料を調べてみました。すると、芋づる式に関連の歴史情報や由緒等がわかり、この郊外の東部地区でも素晴らしい歴史がある事を知り驚くとともに、大きな喜びをあじわいました。それ以降は「しおり」の作成に張り合いが出てきました。

 特に、自宅から徒歩で十数分の旧川口村地区は、南北の道路以外は曲がりくねりその先は溝があり行き止まりで、石垣の上に立っている住宅も多く、おかしな集落だと漠然と感じていました。
 今回の調査で、中世に敵襲に備えて作られた「環濠集落」の形態を残している貴重な存在で、地区の80歳代半ばの方から、この溝は以前3倍以上の幅があったが先の戦争中に食糧増産のため埋め立てられて壕が溝になってしまったことお聞きし、納得するとともに歴史の重みを感じました。その時に「御池」も埋め立てられて無くなりましたが、それまでは御池にしめ縄が張られており、ここで「御池祭り」の祭礼をしていたとの事、『男山考古録』の「天神出現池」の項に書かれていたことを直接お話をお伺いできたことは、歴史探究の醍醐味です。けれど、今のうちに地域の古老のかたのお話をお伺いして記録していくことが、重要であることを認識した次第です。
f0300125_2217271.jpg なお、この100軒足らずの川口堀之内集落で「川口天満宮」は、今でも村の鎮守として信仰され、平成20年の神社改築費用の数千万円は住民が負担して執り行われて、境内はいつも綺麗に掃き清められています。
 『男山考古録』の川口天満宮の項では、著者の宮大工長濱尚次が直接天保11年の改築に携わったので記述も具体的で興味ある記録であると言えます。また、その時の棟札が先般の改築時に確認されており、『男山考古録』の時代からの歴史の継続性を知ることが出来ました。
 隣の集落の下奈良天満宮境内の奇妙な立石と二つの丸石については、宮総代の方からその謂われをお聞きしたことから、これが何を表しているかを推察出来ました。これらのことは調査資料では知ることが出来ない貴重な証言ですので、早速しおりに書きました。
その他の見学場所でも、調査資料だけでなく現地に出向いて出来るだけその整合性も確認しました。

 以上、お陰様でしおり作成の段階で八幡東部歴史について期待以上の事がわかり、しおりの完成度を上げる事が出来ました。
 最後に、「八幡の歴史カルタ」に詠まれている訪問地のページには、その句を入れて完成版としました。また、しおりの体裁も見やすいように、訪問地ごとに1ページに項目ごとに纏め、歩きながらでもめくりやすいA4サイズの二つ折りとし、ページ番号も上段の中央に入れました。
by y-rekitan | 2013-03-28 10:00 | Comments(0)
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