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◆会報第41号より-03 大谷川散策④

シリーズ「大谷川散策余話」・・・④
第4章 橋の始まりは?

野間口 秀國 (会員)


 歴探「会報」の読者諸氏には登山の好きな方もおられると思いますが、私もその一人です。橋の始まりと登山にどんな関係あるのかと思われそうですが、橋の始まりを語るには無関係とも言えないようです。

 登山時には、山や登山ルートによって何回も渡渉(歩いて川などを渡ること)を繰り返す事も決して珍しくはございません。最近の登山靴は浅い箇所(5~6cm程度)や沈み込まない湿地ではそのまま進めますが、それ以上深くなると渡れる箇所を選び、足をその場所に置きながら、歩くより渡ると言う動作になります。時には適当な大きさの石を水中に置いて足場として歩を進め、その作業を繰り返しながら流れを渡り切る事もあります。

◆会報第41号より-03 大谷川散策④_f0300125_111357.jpg このように足を置いても安全な石や岩、これこそが橋の原点であり、最も原始的なこの橋こそ「石橋(イシバシ)」と呼ばれる橋の始まりなのです。石橋は京都市内の賀茂川と高野川が合流する箇所付近(京阪電車の出町柳駅の西側付近、加茂大橋近傍)などで現在でも見ることも渡ることもできます。好天で安全な流れの日にはこの石橋を渡る人も見受けられますが、もし渡られる時には足下に十分に気を付けて渡っていただきたいですね。

 石橋とは少し考え方が異なる橋に「舟橋」があります。隣の枚方市に船橋川が流れていますが、川の名の由来は「複数の舟を流れを横切るように並べて舟から舟へ、川を横切ることから名付けられた」と書かれた一文を読んだ記憶もございます。まるで神話に出てくる、ワニザメをだまして並ばせてその背を渡った「因幡の白兎」の話を思い出させるような話ではありませんか。

◆会報第41号より-03 大谷川散策④_f0300125_111262.jpg 石橋と同じように、原始的なもう一つの橋が「打橋(ウチハシ)」です。これは小川に丸太や木の板や石の板を渡しただけの簡単な造りの橋ですが、取り外しが可能で簡易的な橋をも意味するようです。京都市内の高瀬川に架かる打橋は町の風景に溶け込んで風情を感じさせてくれます。気を付けて散歩すると、八幡市内でも田んぼ脇の水路の渡しに使用済みの枕木を二本並べた橋を見ることもできますが、これも打橋の一種と言えるのではないでしょうか。

 次は前述の「石橋」と「打橋」を組み合わせた(ような?)橋で、このような橋は「八橋(ヤツハシ)」と呼ばれます。これは川の淵を避けて浅瀬に適度の幅で2本の杭を打ち、次の浅瀬に同様に同じ幅で2本の杭を打ちます。このように川の浅瀬に打たれた2本の杭に横木を渡し、横木と次の横木に板を渡して作られた橋です。
 江戸時代を代表する浮世絵師、葛飾北斎の「諸国名橋奇覧」三河の八つ橋の古図にもこのような橋が描かれています。◆会報第41号より-03 大谷川散策④_f0300125_13165.jpg 「八橋」と全く同じとは言えないかも知れませんが、類似の橋は枚方市の山田池公園内のアヤメ園に架けられている橋、長岡京市の長岡天満宮に隣接する八条ヶ池に架かる橋など、現代では花や水や景色などを楽しむ観光目的の橋と言えるでしょう。身近なところでは京都の代表的な菓子の一つ、「八つ橋」の包装紙のデザインにもこの橋が描かれていますね。

 橋の始まりは文字や言葉からも知ることができます。「ハシ」と読める(意味する)文字には、食べ物を挟む箸(ハシ)、小鳥が餌をついばむ嘴(クチバシ)、屋根に登る梯子(ハシゴ)、端っこの(ハシ)、そして川の両岸や2つの端(ハシ)を繋ぐ橋(ハシ)など、挟む、つまむ、架ける、繋ぐ、などを意味する文字が浮かびます。

 曇り空の早朝や夕方、雲に隠れた太陽が雲の切れ間から光を放ち、光の柱が地上へ降りるように見える現象を目にされた経験をお持ちと思いますが、この「薄明光線」と呼ばれる気象現象は、一般的には「天使の梯子(てんしのはしご) angel's ladder」の名でよく知られています。まさに光を背にして天使が地上に降りてくる梯子そのもののようです。

 また、日本でも奈良時代から(と言われる)の伝承に、国生みましし大神イザナギノ命が天に通おうとして作った梯子(橋)が倒れて出来たのがかの有名な日本三景の一つ、宮津市の天橋立(アマノハシダテ)であるとあります。近くでは現在の背割堤が昭和40年代までは美しい松並木で「山城の天橋立」と呼ばれていたとも「男山で学ぶ人と森の歴史」に書かれています。

 こうして梯子にこだわると、現代の梯子は左右2本の棒(縦軸)に一定間隔で横木を繋いだ形ものですが、古代の梯子は高床式の建物(倉)に架けるように、丸太に足を置く切り込みを入れた極めて原始的なものもあったようです。この古代の梯子が基になっているか否かは分かりませんが、和歌で詠まれる「梯立の(はしたての)」、「橋立の」は「倉(くら)」にかかる枕詞です。
橋立の倉橋川の石走(いはばしり)はも
男盛りに(をざかりに)我が渡りてし石走はも(*1)
 万葉集にある柿本朝臣人麻呂のこの歌は、飛び石の橋を詠ったもので橋の始まりを雄弁に物語る一首と思います。倉橋川は、現在は奈良県桜井市の倉橋山(現在の音羽山、852m、関西百名山の一座)の麓を流れる寺川と言われています。2003年1月25日(土)、山頂気温 0℃、・・・ 私の登山日記には音羽山登山記録がファイルされていますが、今こうして万葉集の舞台であったこの山に今このような形で出会うのも「時を渡る橋」で繋がっていたとしか思えません。以下は歌の現代語訳文です。
倉橋川の飛び石の橋はどうなったろう
私が若い頃に渡るために置いたあの石はどうなっただろう
 大谷川沿いを散歩しても橋の始まりを想像させるような橋にはなかなか出会えませんが、「流域のどこかに橋の始まりのロマンを感じさせるような橋が一本は欲しい」、そんな贅沢なことを言うのは私だけでしょうか。

次章では第2区、「公園区」を歩いてみたいと思います。 (つづく)

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      【参考図書・資料等】
『図解橋の科学』 土木学会関西支部  講談社
『京都の地名 検証』 京都地名研究会編(明川忠夫・他5名共著) 勉誠出版
『関西百名山』 山と渓谷社大阪支局編  山と渓谷社
『京都の地名散策講座資料 丹後・丹波編(五)』 講師 糸井通浩氏
  2012.12.10 REC 深草
『いまは昔 むかしは今 第二巻 天の橋・地の橋』
  網野佳彦・大西廣・佐竹昭広 共著 福音館書店

(*1) 以下のように書かれたものも有ります。
        はしたての 倉橋川の 石の橋はも
        男盛りに(をざかりに) 我が渡りてし 石の橋はも


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by y-rekitan | 2013-08-28 10:00
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