◆会報第33号より-03 墓石をたどる①

シリーズ「墓石をたどる」・・・①
墓石をたどる

 谷村 勉 (会員)


 八幡の古文書を見ますと本頭神人や社士という文字が出てきます。八幡宮の放生会や安居祭りに奉仕する人々らしいのですが、僅かな手掛かりから『八幡市誌』や『男山考古録』等を調べてゆくうちに徐々にその意味もわかってきました。八幡宮については、かなり以前から寺社縁起や『古今著聞集』、『梁塵秘抄』、『今昔物語』等を通じて世間一般的なことは理解をしていましたが、時間に余裕ができて以来、もっと身近な歴史を知りたいという欲求からごく最近、「八幡の歴史を探求する会」に入会しました。

 9月例会報告の「八幡歴史カルタ」文字札選定の中で、

    [な] 直條の願いかなって八幡八景

 の読み札がありました。

 直條とは、社士柏村直條のことで、八幡宮の神職の傍ら連歌の道を学び、八幡山上山下の名所八景を選んだ、とあります(『南山城の俳諧』)。「八幡八景連歌発句絵巻」(八幡宮所蔵)によれば、雄徳山松、極楽寺桜、猪鼻坂雨、放生川蛍、安居橋月、月弓岡雪、橋本行客、大乗院鐘の配列になっています。また、「八幡八景連歌発句集」(八幡宮所蔵)では、色紙に金砂子を散らした豪華な料紙に一句ごとに作者が揮毫した一巻が残っています(前掲書)。

 会員の方々との対話や資料を頂く中から多くの理解が進み、会員の皆様には周知のことであっても、私にとりましては新しい発見であり喜びでありました。
f0300125_23113357.jpg 先日、ある人から柏村家の墓が番賀墓地にある由を聞き、早速確認に行きました。柏村家の墓石が整然と並んでいました。最近は奥都城(おくつき)として纏めて祀られることが多くなりましたが、戦前までは神職の墓は一人ずつ、あるいは夫婦ごとに立っていますので直條の緑石の墓石も確認(元文五年庚申五月九日)でき、思わず二礼二拍しました。

f0300125_10777.jpg 松花堂昭乗研究会の中で、昭乗の門人に中村久越なる人物が出てきましたが、久越子孫の久斎記念碑(謡曲の門人達が建立)が神應寺墓地にあるのを思い出しました。久斎自身の墓石は中ノ山墓地にありますが、久越の墓石はありませんでした。おそらく八幡のどこかにあると思いますが、運良く発見でき、碑文でもあれば紹介したいと思います。

 八幡郷土史会の会誌『ふるさと』第27号に、土井三郎氏が「橋本等安と連歌」と題して寄稿されていますが、その中で、橋本にある社士落合氏、橋本氏、山田氏の墓石が紹介されていました。橋本の社士の墓石はこの堂ヶ原墓地とそれより西、中央信用金庫に近い道路沿いの西遊寺焼野墓地にも片岡氏の古い墓石がありました。 私も暫くお墓詣が続きそうです。


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by y-rekitan | 2012-12-28 10:00 | Comments(0)
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