◆会報第44号より-05 五榜の掲示

五榜の掲示


 山川出版社発行、検定高校教科書『日本の歴史』の第11章、近代国家の成立「明治維新」の項に、次のような記述がある。
 「政府は、一般庶民に対して五榜の掲示をかかげたが、その内容は五倫の道(君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の道徳)を説き、徒党・強訴、キリスト教を禁止するなど、旧幕府の政権を引きついだ。」
 私はこの「五榜の掲示」について、恥ずかしいことに最近まで知らなかった。高校時代の教科書に載っていなかったのか、あるいは、学習したが忘れてしまったのか定かでない。これを知ったのは、ふとしたことからだった。

 f0300125_22285428.jpg一昨年の秋、古文書を習っている仲間数人と、滋賀県湖北の長命寺を訪ねた。受付になっている社務所の軒下に大きな掲示版が掛かっている。江戸時代の高札と思われる墨書の文字は、達筆なくずし字で書かれている。みんなで読んでみたが一部読めないところがあった。受付の人に聞いたが、そんなことを尋ねられたのは初めてだと言うことで、その時は一部判読出来ないままだった。帰ってから仲間の一人が読み解いて、解読文を長明寺の受付の人に送ってあげた。

 その後、上津屋の伊佐家住宅にも同じものがあるということに、やはり仲間の一人が気づいた。そう言われると、伊佐家玄関を入ってすぐ右手に、大きな高札があったことを思い出した。いままで二、三回は見ていたが、「歴史探究」心が不足していて、その意味を調べないままで終わってしまっている。伊佐家にあるものは、大きく、厚い板にしっかりした文字で、漢字には仮名がふってあり大変読みやすい。そして今度また、城陽市歴史民俗資料館を訪ねたとき、同じものが陳列されていることに気がついた。

 「五榜の掲示」は、慶応4年3月15日に太政官によって立てられた。その前日には「五箇条の誓文」が発せられている。(かつては「五箇条の御誓文」とよばれた重要資料であるが、近年は「五箇条の誓文」と記されることが多い。「御」がつけられたのは、後日、天皇への敬意を表すために付けられたものと考えられるが、当初、宣文の木戸草案には「盟約」の文字を消して「誓」と書き直されていた。─山川教科書)
 「五箇条の誓文」は公家や大名に示されたが、「五榜の掲示」は国民を対象に各地の高札場に立てられたらしい。伊佐家に残るものが、どこに立てられたかは記録に無いが、現在御旅所の建物があるあたりではないかと伊佐氏は推測する。

 掲示の内容は、
   第一札:五倫道徳遵守、
   第二札:徒党・強訴・逃散禁止、
   第三札:切支丹・邪宗門厳禁、
   第四札:万国公法履行、
   第五札:郷村脱走禁止
であるが、このうち伊佐家には第一札、第二札、第三札が残っている。城陽市歴史民俗資料館には第三札が展示、長命寺には第一札、第二札が掲示されている。

 明治新政府が新しい国づくりに向けて出発するに際して、国民に求めたこれらの禁止条項を見た当時の国民はどう思ったのだろうか。五倫の道徳を求められ、キリスト教を禁止され、徒党を組んで強訴に及ぶなと、旧幕府の政策を引き継いだような新政策に、国民の反発はなかったのだろうか。だからという訳かどうか分からないが、この掲示は5年後の明治6年には全部撤廃されている。 (会員 M)
by y-rekitan | 2013-11-28 08:00 | Comments(0)
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