◆会報第20号より-03 謡曲女郎花

色香に愛づる花心――謡曲『女郎花(オミナメシ)』


石野 はるみ  (大阪国際大学名誉教授)


 八幡市の史跡である頼風(よりかぜ)塚(男塚)と女郎花塚(女塚)は平安初期、9世紀のこの地の伝説を伝えている。頼風塚は八幡市立図書館近く、女郎花塚は松花堂庭園西隅にあるが、いずれも風雨の年月を刻む五輪石塔で、静寂のなかにひっそりと立っている。f0300125_10494630.jpgこの伝説にもとづいて14世紀以降に謡曲が作られ、ご当地ソングとなり、その能舞台はこの地の人々を喜ばせたのだろうと推測できる。
 出典は不明であるが、元になる伝説は男女の成就されない恋の物語である。それがどのような謡曲として能の本に書かれたのであろうか。謡曲の詞書きは演劇的要素の他にさまざまな要素から成り立つ。『おみなめし』の謡曲をとり上げて、その中の古文書からの歴史的事柄と、本歌どりされている和歌の伝統に注目しつつ、ことばによって喚起され、わたしたちの心に今もよび覚まされる中世人の情感にふれてみたい。
 物語の筋は次のようなものである。山城の国、八幡に住む小野頼風という男のもとに、契りを結んだ都の女が、頼風と疎遠になったことを不審におもい、都から八幡に訪ねてくるが、頼風は不在であった。行き違いがあったかもしれない。しかし女は男の心がもはや自分にはなく、他の女のもとに通っていると思ったのであろうか、悲嘆にくれて放生川に身を投げてしまう。川のほとりで女が脱ぎ捨てた山吹色の衣が朽ちて、秋になって女郎花が咲く。頼風がこの花に近寄ると、花は頼風を避けるようになびいていく。頼風は女が自分を恨んで死んだことを悔い、ついに自身も放生川に身を投げる。
 秋の七草の一つである「女郎花」は、古くは、「おみなめし」と呼ばれ、万葉集では「美人部為」「佳人部為」の字が当てられ、もとは若く美しい女性の意味であった。源氏物語ではすでに「女郎花」となり、古今集には男性の女性へのときめきを歌った「女郎花、秋の野風にうちなびき 心一つを誰によすらむ」などの17首の女郎花の歌がある。同種で、白い花をつける「おとこめし」があり、それは「男飯」の字となって白飯を意味し、「おみなめし」「女飯」は花が黄色の粟に似て「粟飯」となるが、ときにはそのような生活に密着した意味が込められているようである。女郎花に喩えられるこの物語の女が遊女としての女郎であったかどうかは、明らかではなく、おそらく若く美しいそれほど身分の高くない女性であったと思われる。
 この物語は謡曲では四番目物(執心物)であり、テーマは叶わぬ恋への執心で、登場人物は花守の尉(老人)と小野頼風の霊、頼風の恋人の霊、旅の僧である。この曲は旅の僧が最初に出会った登場人物、女郎花の守りをする老人が、後になって、実は頼風の霊であるという設定の夢幻能である。後半、僧の面前に生前のふたりの恋人が現れるが、僧は頼風の語りの聞き役であり、現世に果たせなかった彼の恋人への思いを受け止め、最後に頼風の霊が執心から離れて成仏するようにと祈る役割である。二人は夫婦ともみなされるが、当時は通い婚であったので、女は契った人、恋人と受けとめるのがふさわしいのではないか。
 謡いの始まりでは、おみなめしのイメージや能の主題を示すために、おみなめしと関連する和歌の本歌取りなどを入れて、聞く人の想像力に訴えている。九州松浦潟(現佐賀県)より京へ旅する僧が、山崎あたりに来て、向かいの石清水八幡宮を見て、「わが国の宇佐の(宇佐八幡宮)と一体」の宮である石清水に参ろうと男山の麓にやってくる(山崎から橋本への渡し舟によってであろう)。男山は「千種の花盛んにして」男山を歌った古歌(古今集、布留今道「女郎花憂しと見つつぞ行き過ぐる男山にしたてると思えば」)を思い出して、おみなめしはこの地の名草であるので手土産に、一本折ろうとする。
 そのとき翁が出てきて、粟飯に似たおみなめしの名は、花の名前を聞くだけでもじょろう(女郎)と契る「偕老(かいろう)を契る」(源順の漢詩から)思いであるのに、咲いているこの花を手折るような情けのないことするなんて、あなたはひどい人だと制止する。 僧はこの翁が誰なのかと問うと自身は花守という。僧はそこで自分は出家の身で(契りには関係ない身)仏に手向けるためにほしいという。翁はここで古歌、菅原道真の「情けなく折る人つらしわが宿の主わすれぬ梅の立枝を」や後撰集、僧正遍照の歌をとって「折りつれば手ぶさに穢る」折れば手首が穢れるので、「立てながら三世の佛に花まつる」と応酬する。それにたいして僧は僧正遍照が「名に愛でて折れるばかりぞ女郎花」という歌を詠んだという。遍照さえ花を折りたく思ったと主張する。
 歌による僧と翁のバトルは続く。すると翁は遍照がその歌の続きで落馬したことを人に語るなというが、そのように忍ぶ、人目を避けるということばを引くかぎり、「忍ぶ摺衣(すりごろも)」ということばが思い出され、それから草枕(安芸の「女郎花よるなつかしく匂うかな草の枕もかはすばかりに」)を連想するではないかと反撃。単なる歌の応酬のようだが、花を折ろうとするのは娑婆の恋心があるからでしょう、と僧は戯れにとがめられているさまである。なおも僧は負け惜しみのように「色香に愛ずる花心」ならば、自分にはとやかくいう資格はないと、古歌(「女郎花憂しと見つつぞ行き過ぐる男山にし立てりと思えば」)にあるように、「行き過ぎ」ようとした。
 すると翁は、その古歌を知っているような「優しの旅人」ならば、この花には持ち主がいるけれど、一本手折るのを許すと云い、また僧が八幡宮に参るのなら案内すると申し出る。ここまでは古歌による掛け合いで、この能の主題であるエロス、恋心を示唆し、そして花守の尋常でないほどのあらがいようには、後半に明らかになる、想う女への男心の執心が垣間見られる。花守、実は頼風の霊は、自分の懊悩を僧に打ち明けるのであるが、この冒頭場面で、僧が吉田兼好いうところの「色好み」色香の心を知る人であると推し量られ、後半部の伏線になっている。また当地がすでに遊女、女郎のいる地としても知られていたこともわかる。
 次の場面は八幡宮の風景である。能にはこの八幡宮にかかわる謡本が多く残されている。能に出てくる八幡宮については、中世の八幡宮の歴史的、文化的重要性より多面的に考えられる。ひとつには世阿弥たちの演能のパトロン、足利義満将軍の生母、紀良子が八幡宮の別当の娘であったこと、足利三代にわたり、八幡宮の放生会を維持し参向したという事実があり、八幡宮への言及は、能演者のパトロンへの崇敬でもあっただろう。世阿弥とその一派は賎しい芸能者集団であったが、足利幕府の保護のもとに能を発展させていた。この謡曲では、歴史的に八幡宮が国家鎮護の宮となった経緯が述べられている。能は中央の貴族階級の宮廷文化と、地方の庶民大衆の神仏への奉納踊りの狭間に、両者の異なる要素の混交から生まれた芸能である。国の執政者、中央権力への崇敬とともに、彼らへの反発を底流にもつものが多くあり、この謡曲の八幡宮参りにもさりげなく中央への反発が秘められているように思われる。
 案内された僧は放生川をみて「川水にうかむ燐類はげにもいけるを放つかと」という。目の前に広がる山の風景を、「恵みの茂き男山」「久方の月の桂の男山」「石清水の苔の衣も妙なりや」「山そびえ、谷めぐりて諸木枝を連ねたり」「鳩の嶺越しきてみれば。三千世界も外ならず」とする。また「神宮寺ありがたかりし」といい、宮の「朱の玉垣御戸帳」の前で、「伏し拝む」。僧は聞きしに越えて尊くありがたい霊地であるとひたすら感服する。
 しかし、その一方で僧は「三つの袂に影うつる 璽(しるし)の箱(御神体を請した箱)を納むなる」と付け加え、この石清水八幡宮が、自分の出身地である九州の宇佐八幡宮の分家であること(分家にすぎないこと)を示唆する。それは神功皇后の宇佐八幡宮での詔があり、その主神である三神が、奈良大安寺の僧、行教の三袖に移り、箱に入れられて、石清水に遷都した歴史的な古事ではあるが。また僧は、終局で頼風の霊の成仏を祈るが、旅で通りかかったとはいえ、わざわざ九州の宇佐八幡宮に関与するらしき僧に供養してもらうのである。この謡曲に元来の本家重視の意識が出ているととるのは、うがちすぎであろうか。
 社前に案内した翁は、それから僧を麓の男塚と女塚に連れていく。由来を聞く僧に小野頼風と女の夫婦の塚であると告げて、実は自分は頼風だと明かし、たちまち消え去る。ここより夢幻能の見せ場である頼風と妻の霊が現れて彼らの物語を僧の目前で謡い舞う場面になる。
 夜がやってきて、僧がその塚で「南無幽霊出離生死頓証菩提(なむいうれいしゅつりしょおじとんしょうぼだい)」と二人の亡魂のために祈っていると、この広野に来る人は稀であるのにと云いながら、「花の夫婦」頼風と女の霊が現れる。
 女は「契りを籠めしに、少しの契りの障(さわ)りある人まを真と思いけるか」といい、都から頼風を焦がれてやってきたのに不在であった頼風を怨んで、放生川に投身したいきさつを謡い舞う。そこで頼風は、死骸を埋めた塚より女郎花が一本出てきたので、我が妻の花だと涙にぬれながら近寄ろうとすると「この花怨みたる気色にて夫の寄れば靡き退き、また立ち退けばもとの如し」という。また「男山の昔を思つて」(古今集序、紀貫之の「男山の昔を思ひ出て女郎花の一時をくねるにも 歌をいひてぞ慰めける」)と過ぎ去った昔を懐かしみ、慰めてほしいと共感を訴え、自分の科(とが)のために女が「徒(いたず)らなる身となるも」と謡い、自らも入水して「跡とむらいて賜び給へ」と弔いを頼む。しかしその依頼のあとすぐに「閻浮(えんぶ)恋しや」と付け加える。閻浮提(えんぶだい)(仏教用語で現世)娑婆を恋しく思う頼風は、自分の執心から離脱することができないでいるのだ。
 次の場面では頼風は地獄で「邪淫の悪鬼」から身を責められている。頼風が剣の山の上に恋しい人を見たと思って登っていくと、その剣の枝のたわむまで剣は頼風の身を通して「磐石(ばんじゃく)骨をくだく」。僧と観客はその壮絶な舞いを目前に見る。この剣の山は往生要集にある刀葉林地獄である。和泉式部がその地獄絵をみて「浅ましや剣の枝のたわむまで こは何のみのなれるなるらん」と詠じている。僧は頼風の魂のために「露の台(うてな)や花の縁に」(極楽の蓮華台上)に「罪を浮かめて賜び給え」と祈りこの夢幻能は終わる。
 f0300125_1059133.jpg男女ともに一途で情熱的な女郎花伝説であるが、伝説をこのような謡曲に仕立てた作者は不明である。曲趣からはおそらく世阿弥より後のこの一派の作者の手になると推測される。世阿弥の作品は典雅の世界であり、神仏の力によって予定調和的に終わるものが目立つが、彼以降の後期の謡曲には、予定調和のものより破調があるもの、終局に救いが約束されるのかどうかは不明のものが作られる。謡曲『おみなめし』は、小曲ながら味わいふかい。心は仏や浄土への志向よりも「閻浮恋しや」と現世、娑婆へ向かっている。とりすますことなく、女郎花の様子におたおたとして、命まで捨てるさまは、「愛の喜びは一瞬、苦しみは生涯続く」(『愛の喜びは』)と歌うイタリアの歌曲のように、胸を打つものがある。    了
by y-rekitan | 2011-11-28 10:00 | Comments(0)
<< ◆会報第20号より-02 八幡... ◆会報第20号より-end >>