◆会報第20号より-02 八幡八景解読

八幡八景解読奮戦記

安立 俊夫 (会員)



 八幡八景といえば数年前に市主催「八幡ものしり博士」第一回の検定テストに際して、必死に覚えた記憶があるくらいでした。そのときは確かすべて頭の中にあったはずですが、中身はすでに忘却のかなたに・・という状況です。この八景が市制5周年を記念して選定されたことは当時の検定テキストを開いてあらためて確認したことでした。
 例会で八幡八景が伊藤さんによって取り上げられること、それに先立つ会報19号で大田さんが寄稿された八幡八景についての「ルーツを探る-伊藤さんの講演に期待!」を目にしたことにより、おっとり刀で、瀟湘八景、南京八景、近江八景ということを知り、すこしは伊藤さんの講演前に予備知識を得ておこうという意識はありました。
 今回の八幡八景漢詩編との格闘の始まりは、古文書仲間の秋季近江への小旅行における長命寺での「五榜の掲示」ではなかったかと思います。そこではじめてその立て札を見た誰もが珍しいものを発見したという興奮と、現地の方すら未だ読み方も知らないということで、一生懸命解読に取り組んでおられました。私はこの小旅行には参加しませんでしたが、その日のうちにO氏からのメールで立て札の写真をいただき、日付から明治維新の五ケ條のご誓文の直近であること、太政官という名が実際に使われたのはごく短い期間であること、非常に札の保存のよいことなど、知っていることをフル回転させて返信などしたものです。
f0300125_11235750.jpg

 あに図らんやこのO氏より、これは「五榜の掲示」というもので、実は先年訪れた、八幡旧家にもあった。写真もこのとおり撮っていたと指摘されました。“鱗”が落ちました。後で聞くとこの頃は高等学校の教科書にもこのことが記述されているようです。
 かくのごとく、自分にとっては初めてのことでも、殆んどのことは既に先人が調べ、記録、発表しているのが実際です。
 そんなときにD氏から、旧家に八幡八景の漢詩編がある。「五榜の掲示」も再度確認もできると誘われ、O氏と三人で訪れました。
 写真で見せていただいて、まだ解読されていないこと、由来等も明らかでないこと等を告げられ、己の恥と無能力を忘れ、また、O氏以下の強力な助っ人に頼ることを前提として、ぜひ解読したいという興味に駆られたのは、こんどこそはまだ誰もが手をつけていないものに、先鞭を付けられるというもっとも喜ばしい事態におかれているかもしれないという素人の浅ましさからです。
 当日D氏に教えられた、八幡八景に関する記事が載っている、山城郷土資料館発行の『山城の俳諧』という冊子を翌日早速求めました。幸い600円という安価で出されておりました。もっとありがたかったのは、その日資料館で、館員の方に、常設展の説明を私一人でも良いからと懇切丁寧にしていただいたことです。山城全体の歴史を概観する上で非常に有意義でした。
 所持者宅で撮らせていただいた写真で読もうとしましたが、読みづらくてこれは大変だとあきらめかけたところへ、D氏の下に所持者より非常に鮮明な綺麗な写真が届けられ、しぼみかけた挑戦魂をくすぐられました。
 漢詩編という以上いうまでも無く漢詩です。漢詩といえば五言絶句か七言絶句という言葉程度しか知らない状況での挑戦です。まして元禄九年です。使ってある漢字は今まで見たこともないような難しい字で、仮に辞書に似たような字があってもなかなかこれだとは言いきれません。
 そんなおり、たまたま私が参加したNHKの古文書スクーリングで知った上方の江戸積み酒造家が、伊丹の小西家(白雪)でその古文書展が開かれるとのことで、E、D、M、O、T各氏および私は伊丹へでかけました。
 「米の来た道」と題されたで2回目の展示らしかったのですが、古文書“愛好家”にとって内容・文書ともそれはすばらしいものでした。そこで、持参した□(判らない文字を□であらわす習慣)だらけの漢詩の解読会を開かせていただきました。
 皆さんの熱心さに意見百出、時間の経つのも忘れて、気がつけば我々だけが広い食堂を占領していました。想像してみて下さい。大の大人六人が周囲の迷惑をはばかることなくまるで大学祭の出し物について議論百出しているような騒がしさを。
 売店で、古文書記録をもとに“元禄と慶応”の作り方によって仕込まれたという2種類の“白雪”を、望(忘)年会持込用に購入しました。
 その後何度もメールのやり取りを行い解読に挑みましたが、全ての文字が埋まったところで、我々の限界ということで、一応読めたことにして所持者へも報告させてもらいました。
 話はこれでは終わりません。漢詩を読み解く上でも、資料館で求めた『山城の俳諧』の八幡八景の中で概要は記述されているが、釈文が掲載されていない、二つの連歌集及び序・跋文、並びに『柏亭日記』について是非全文を正確に読んでおく必要があると思い至りました。
 和歌で詠まれたイメージと漢詩のイメージとよく似たものが多くあって当然という理由から、漢詩の読み解きに少しでも役立てばということもありました。また、『柏亭日記』は元禄9年のもので、まさに漢詩編が編まれたそのときのものです。直條が日記に記したことは十分あり得ることで、非常に興味のあるところです。
 T氏、O氏に殆どオンブにダッコ状態でこれも相当数のメールの交換の後ようやく今度は漢詩編とは異なり、ほぼ正解に近いものが出来上がったのではと喜んでおります。
途中M氏は目が不自由ななか、細かい印刷物を天眼鏡で覗いていただいて、せっかく快方に向かっている目をいためられなかったか心配です。しかし、指摘事項は的確で助かりました。
 E氏ご指摘の“皃=顔・貌(かんばせ)”には脱帽でした。
その他沢山落ちた“鱗”のいくつかを紹介しておきます。“鰥寡”=年老いて妻の無い男性、夫の無い女性ー(五榜の掲示)。“悳”=徳。“しゅう燿”=蛍の別名。使われている印影も大事に扱い、できる限り解読に努める。“筑波の道”=連歌の異称。“霞の洞”=上皇の御所、仙洞。“もしほ草”=藻塩草、随筆手・紙筆・記などをいう。
 漢詩編の文字の解読は少しは出来たものの、和歌については伊藤さん提示の史料はほぼ理解できましたが、肝心の漢詩の読み方、意味についてはほとんど理解不能の状態です。今後の課題として時間をかけて探求したいと考えております。とりあえず期待1杯の伊藤さんの講演を拝聴する一応の準備はできたものとして私の挑戦は一区切りとさせていただきました。
by y-rekitan | 2011-11-28 11:00 | Comments(0)
<< ◆会報第20号より-01 八幡八景 ◆会報第20号より-03 謡曲女郎花 >>