◆会報第34号より-03 八幡東部集落

魅力的な八幡東部の集落と神社

藤田 文子 (会員)


 (2013年)3月例会では、今年最初の「歴史探訪ウオーク」が計画されています。そこで、一足早く1月5日(土)に、しめ縄や門松飾り等お正月気分一杯の八幡東部の集落を歩いてみました。
 コースは以下の通りです。 
   市役所(出発)→川口天満宮→下奈良天満宮→内里集落(旧家)→
   内神社→戸津八幡 神社→市役所(解散) 
 まず、最初に訪ねたのは川口堀の内の南東にある川口天満宮。車が行き交う道路を一歩入ると、まるでタイムスリップしたかのように、石垣や土塀に囲まれた昔の面影一杯の家が並び、中央の一本道以外は細い道が迷路のように入り組んでいるのが目に入ります。村の周囲は濠で囲まれており、これは敵の襲撃に備えると共に河川の氾濫や洪水を防ぐ役目をしているとのこと。
 川口天満宮は、天満宮の名のごとく祭神は学問の神様、菅原道真公。社の創建のいきさつは、宇治に住む公卿が、ある時、男山付近から現れた光が空を照らしたのを発見。その原因を調べていくと川口村に至った。夜中に池の中から光を発してそれが天神六体の像となったとのこと。この話を聞いた一条天皇は深く感銘を受けて大社創建の命を下し、長徳元年(995)に建立されたといいます。
 川口の名は、『男山考古録』に、村が奈良川(木津川)の口にある為、この名が付されたと記されています。
 次に訪れたのは、下奈良集落の東側にある下奈良天満宮。川口天満宮と同様、祭神は菅原道真公ですが、詳しい由来は不明です。境内に入る道端にはムクの巨木が一本立っています。昔は村人が根本にお供えを積み置く習慣があったといいます。参道の両脇には四つの小祠が祀られているが、これも由緒不明です。境内にはツツジやモミジの木々が多く植えられており、その季節には美しい花を咲かせることだと思います。
 13時に市役所前を出発しましたが、この日は風もなく暖かで全くのウオーキング日和でした。
 内里の古民家を眺めながら南西の隅にある内神社へ。内神社は、内臣の祖先、味師内師うましうちの宿禰を祭神としています。大永年間(1521~すくね1528)まで現在の南東、内里古宮にありましたが、天正年間(1573~1592)に現地に移されたと伝えられています。
 内里を中心とする有智郷地区や田辺町の大住地区は、奈良時代前期に、南九州の隼人が移住させられたとされる地域です。彼らは天皇や皇族の近習として、また警護役として朝廷に仕えていました。さらに、内里は「日本書紀」によると、天皇の食器を作る職人が住んでいて土器製造の地として大和政権とも関係をもっていたとあります。
 遺跡の分布を見ると集落を囲むように内里八丁遺跡、同五丁遺跡、水田遺跡があり、弥生時代から中世にかけての土師器・須恵器が出土しています。
 f0300125_10585497.jpg内神社を後に、稲が刈られた広々とした田園風景の中を歩き、最後の目的地、戸津八幡神社へ。戸津のほぼ中央に鎮座し、氏神様として住民の深い信仰を集めています。創建は延久年間(1069~1074)と伝えられていますが、由緒は不明です。
 一説によると、八幡大神のご休憩地になった縁から格式高い石清水八幡宮への直接の参詣をはばかっていた村人の願いが叶い、八幡宮の御分霊が、現在の八幡神社となったとのことです。
 今回、約4時間、8Kmの行程でしたが、平坦な地ばかりなので、歩きやすかったです。
 初めて八幡の東部を歩きましたが、新しい発見の連続でした。それぞれの神社は華やかさはないけれど、自然の姿のままで地元にとけ込んでいる様です。また、内里の遺跡から2世紀頃の水田跡が発見され、先人がこの地に住んでいたのには感慨深いものがありました。
 例会が実施される3月には、野山に花が咲き彩りを添えることでしょう。春景色の中の歴史探訪を楽しみにしています。
by y-rekitan | 2013-01-28 10:00 | Comments(0)
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