◆会報第35号より-03 女谷荒坂横穴群

女谷・荒坂横穴群から学んだこと

野間口 秀國 (会員)



 私は2012年4月に「八幡の歴史を探究する会」に入会いたしました。これまで1年近く学ぶ中で“自ら現地に足を運び実際に見たり聞いたりすること”は、歴史を学ぶ大切な方法の1つであると実感しております。

 入会以降、昨(2012)年内に八幡市内で開催された4回の発掘調査の現地説明会に出向きました。うち1 つが昨年11月3日に開催された美濃山瓦窯跡群の現地説明会であり、会場近くでは今回開催の「女谷(おんなだに)・荒坂横穴群(あらさかおうけつぐん)」の発掘調査も進められており、その現地説明会の開催を待ち望んでおりました。f0300125_11135517.jpg

 節分にあたる当日(2月3日)は、好天に恵まれました。少し早めに会場に出向き、混み合う前に21基にわたる横穴をゆっくりと見て回りました。開始予定の時刻が近づくにつれ参加者は増えて、ゆうに100名は越す状況に準備された資料も底をつき主催者の方も嬉しい悲鳴をあげておられました。
 この「女谷・荒坂横穴群」(美濃山御毛通)のある山の斜面の標高は、資料によると40m程であり、こうしてこの場所に立ってみると木津川の氾濫からも難を逃れられたであろうことが実感できました。
 発掘された人骨、耳環、土器類などはテント内の展示台でまじかに見ることができました。須恵器(すえき)と土師器(はじき)の違い、それらの焼成方法の違いなど、先の美濃山瓦窯跡群の説明会を機に学んだことは、今回展示されている土器類を見るのにとても参考になりました。
f0300125_1117938.jpg
 このように発掘されたものから、横穴の造られ始めたのは古墳時代後期であり、飛鳥時代に追葬されて奈良時代まで続いたようであるとの説明がなされました。また埋葬されたのは村の偉い人か一家の家長にあたる人達ではないかと推定されるそうです。
 今回の調査では21基の横穴が見つかり、周辺には未発掘のものが100基を超えると推定されるとのことでした。これら21基にわたる横穴の個々の形、方向、大きさなどを調べ、発掘された人骨、耳環、土器類、石棺、木棺に使われたであろう釘などのひとつひとつを丁寧に調べ、整理し、まとめる作業に携わっておられる皆様方にはただただ感心することしきりです。
 この先もまだ新しい何かが発見されるであろうことは楽しみではありますが、横穴はいにしえ人のお墓です。先人の眠りをたとえ一時にしろ妨げていることを思い、学ぶ機会を与えていただいていることに対する感謝の念を決して忘れてはならないと思いました。
 これからもできるだけ多くの機会をとらえて足を運び、現場で現物を見て・聞いて・触れて一歩ずつ学んでゆきたいと思います。
by y-rekitan | 2013-02-28 10:00 | Comments(0)
<< ◆会報第35号より-02 昭乗... ◆会報第35号より-04 墓石... >>