◆会報第36号より-06 神原の講

代々つづく神原の「講」

村山 勉 (会員)


 今般、代々続いている八幡市八幡神原(かみはら)の「講」についてのお話をお聞きする機会を得て、土井さん、高田さんと私が「講中」の方のお宅に伺いました。
 指定された神原谷畑(たにばた)地区は、「神原」の交差点より北、善法律寺より南、昨年暮れに八幡馬場で、八幡市教育委員会の発掘調査説明会が開かれた所のすぐ近くでした。 
 「講」とは、宗教上、経済上、その他の目的のために集まった人々が結んだ社会集団で、①大師講・報恩講等の宗教的講、②無尽講・頼母子講等の経済的講、③伊勢講・富士講等の社会的講に大別されるそうです。
 谷畑地区の「講」は①の宗教的なもので、3月15日までの「涅槃会」と10月15日までの「十夜講」で「講中」の方が集まっておられます。
 「涅槃会(ねはんえ)」とは、陰暦2月15日(現在は3月15日)、釈迦の入滅の日に「釈迦涅槃画像」を掲げ、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要です。また、「十夜講」は浄土宗寺院で広く行われる念仏会で、「お十夜」とも言い、「無量寿経」の教えに従い正式には十日十夜、不断念仏を唱え阿弥陀様の慈悲に感謝する法要だそうです。
 こちらの講では「十三仏画像」を掲げておられますが、十三仏は亡くなった方の供養のため、13回の忌日にそれぞれの明王、如来菩薩様が導いて下さると言い、その明王、如来菩薩の姿を描いた「十三佛」の画像を掲げ法要を行います。
 神原の「講」でも、実に立派な「涅槃画像」「十三仏画像」がありました。両画像とも少しも色落ちしておらず、彩色もきれいで、特に涅槃の釈迦は金色できれいなものでした。
 いつ頃作成されたものかは分かりませんでしたが、「講中」が保管されておられた「什物(じゅうもつ)」入れの裏蓋に墨書きで「天保六年二月 寄付人 紀氏」や「城州綴喜郡八幡茶畑町住 寄付人 山本嘉兵衛近頼 常時同行 講中九人」、箱中の包み布に「明治五年」とあり、また涅槃画像の裏に「雄徳山麓茶畠念佛講中什物」とありました。画像は明治(150年ほど前)のものか、それほど古いものとは感じませんでした。
 「茶畑町」とあり、お聞きしたところ、この辺は「谷畑」であり、「茶畑町」ではないとのことでしたが、以前に「善法寺家(石清水八幡宮宮司の一人)」の家系で「菊大路家」があり、そこに茶畑組合があり、講中の9軒がいたとのことです。菊大路家が大阪の方に移って行かれる時に、この2つの画像を講中に譲り渡したとか。以前の「涅槃会」「お十夜」も、菊大路家が主宰されており、それをお手伝いされた茶畑組合の講中でお守りしてほしいとのことではなかったかと思うと言われました。
 菊大路家の茶畑組合が、同じ在所の並びの家9軒に該当し、当初この9軒の主人が集まり、代々続いており、「本膳(一飯、一汁、三采)と大皿一個、小皿三個」の料理を出していたそうです。それが一時中断し、復活してから主人でなく夫人が集まり、お菓子類になり、講中も今は5軒となったそうです。
 「画像」は「講」が終了した翌朝、次の当番の方へ引き継がれるそうです。年2回の「講」で、画像を掲げ、講中が集まり、お祀りする。それが代々続いているとのことです。これも歴史を守っていく一つの方法ではないでしょうか。
「正法寺」の尾張家、徳川義直の母「お亀の方」の「持仏」をお守りする講もあると聞いています。ほかにも、この様に連綿と続いているようなものがあるのかも知れません。
 八幡と言えば、すぐに八幡宮、放生会、松花堂、善法律寺といった身分の高い家柄の社寺やそこでの宗教行為が連想されますが、この様に、庶民による、地に密着し引き継がれていくものにも意味深いものがあると感じさせられました。
by y-rekitan | 2013-03-28 07:00 | Comments(0)
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