◆会報第47号より-03 遊女江口

遊女 江口の君
―能楽『江口』と遊び女(アソビメ)の伝統―

大阪国際大学名誉教授  石野はるみ


 淀川下流にある江口の里は遊郭の地として名高い。水辺の宿にあって、水流に舟を浮かべる人は遊女である。遊女は古代よりアソビメとして宮廷祭事に関連しており、神話では巫女的な存在として登場している。この小論では、遊郭の代表として、中世の世阿弥が遊女をどのように描いているかを考えたい。日本の伝統思想から遊女はどのような存在であったかを能楽『江口』から探ろう。
 遊女のルーツは古代、神に仕える遊芸の女人である。大坂の神崎川の河口、江口の遊女が普賢菩薩の化身であるという能楽『江口』からは、遊女は聖なるものに関与していることが推測される。中世前期に女性を長者、リーダーとした小集団で比較的自由に各地をめぐっていた遊女たちは、鎌倉時代に源頼朝が初めて公娼の制度「遊女町」を制定したことで、拘束されるようになる。近世、秀吉により、京都柳町遊郭が公認され、江戸時代には公認遊郭が全国に出来た。
ここでしばらく八幡市の橋本遊郭のことにふれてみたい。『淀橋本観桜図屏風』(18世紀大阪歴史博物館所蔵)は男山を背景に、桜のもとで、酒盃を傾ける人々や橋本の船着場付近の茶店、旅籠屋が並ぶ風景であるが、前面には淀川上にせり出して家屋の床が立てられていて、そこに渡し舟が着こうとしているが、遊女らしき女二人が降りようとする客らしき人に手をさしのべている光景が描かれている。井原西鶴の『好色一代記』からもわかるが、江戸時代には橋本も江口も有名な遊里であった。
 中世後期、世阿弥(1362-1443)は人々の親しんでいる古事や、和歌、物語、貴族的教養などを能楽に盛り込んでいる。そうして人々の歴史意識やこの列島に住む民族の無意識をくみあげて、理解しやすく楽しむことができる物語を創作した。それは当時身分の上下を問わず共有できるものであった。この能楽『江口』もそのような演劇としてとらえることができるだろう。

『江口』のあらすじとテーマ

 能楽『江口』のあらすじは次のようなものである。天王寺参りに江口の里に立ち寄った僧がその地の古事である西行法師が遊女に雨しのぎの宿を求めた和歌を詠んだことを思い出した。すると、どこからか女が現れ遊女が西行法師へ返した歌について僧に尋ねた。女は自分を江口の君の幽霊だといって姿を消す。僧は土地の者から江口の君は普賢菩薩の再誕生であると聞きその奇特を見るようすすめられる。その後、江口の君は川舟に二人の遊女を従えてあらわれる。そして往時の舟遊びの有様を見るようにとすすめ、人の罪業とこの世の無常を謡い舞う。遊女は僧に世の執着を捨てるなら迷いはなくなると説いてたちまち普賢菩薩となる。舟は白象になり普賢菩薩は西の空に消え去っていく。
 この能楽のテーマは俗世界においての遊女が聖なる普賢菩薩として顕示することである。江口の遊女と普賢菩薩が物語の最終部で同一として描かれている。そのことをどうみるべきか。能楽の非日常的時間と空間において、さらに此岸、彼岸をこえた夢幻能の仕組みにより、このシテ、主人公の遊女にまつわる民族の無意識、共同体の夢、あるいは史実にもとづいた歴史的真実が浮かび出てくるようである。
 まず遊女の系譜をたどり、江口の遊女にまつわる史実や伝承を考えたい。そして『江口』の詞書にえがかれた遊女の姿、および遊女を象徴する事柄に注目し、また中世の人々の無常観と仏教的救済についても一考したい。

1 巫女の系譜に連なる遊女

 神話『古事記』のなかに登場するアマノウズメは巫女の先祖として考えられる。天照大神が岩戸に籠ったときにその「楽」(アソビ)によって誘い出した技芸の女神である。後にサルタヒコの妻となりサルタヒコの死後、猿女サルメノ君を名乗った。古代、神を祭ることを「神遊び」といい、遊びとは祭礼のことであり巫女、アソビメ(遊び女)は神の妻となって聖婚としての性の儀式を行う者である。相手の男の代表は現人神天皇である。神武天皇は野遊びで乙女と一夜交わり、雄略天皇は川遊びで乙女に会い求婚している(『古事記』)。これは農耕文化の豊穣儀礼であり、このような祭儀は習俗となった。
 アソビは天皇の葬礼儀式に働く遊部(アソビベ)の職掌でもあった。歌舞によって霊魂に働く呪的な行為である(『令義解』)。『万葉集』の遊行女婦は官人を迎え送る宴を司る者としての公的性格をもち、官女の礼服を着ている。このように古代、奈良、平安朝まで遊び女は公的な宮廷行事にかかわる身分であり、形骸化しつつあっても原則的には遊芸により神仏の仲立ちの役割を果たすものとみなされていた。以降時代を下がるにつれて遊び女の身分は下がり、遊女、白拍子などと分化してき、社会制度の外にある、歌舞遊芸伝承をもっぱらの働きとする芸能の民として比較的自由に各地に漂泊するようになった。また遊芸主体ではあるが性技もときに付随した。10世紀末ころには遊女集団が一定の場所に居住するようになり、遊女のリーダーである長者が出てくる。こうして長者を中心とした芸能を職能とする専門化集団が形成されるようになる。中世初期には家父長制度がほぼ成立していたのだが、遊女は男性主導型の家父長制度とは異なった家族形態を営み、遊女が家主となっていることも知られている(『古今問答集』『長秋記』)。11世紀後半に記された『遊女記』では江口、神崎、亀島というところが遊びに行く場所「遊女所」として発達していったとうかがわれる。

2  「推参」のならわしと江口の遊女

 11世紀の貴族の日記や記録から貴族、女院や院の御幸や霊地参詣の際に経路に遊女が「群参」、「推参」したという記録がある。彼女たちは祭儀において芸能者であり儀礼に奉仕する者としての古い伝統を引き継いでやってくる。あらかじめ貴族側からの礼、給禄が予定されていた。『栄花物語』(巻31)には上東門院の石清水、住吉、天王寺参詣(1031年)にあたって、「江口という所なりて、遊女(あそびめ)ども、傘に月を出だし、螺鈿、蒔絵、さまざまに劣らじ負けじとして参りたり」とあり、『栄花物語』(巻38)には後三条院の住吉、天王寺参詣(1 0 7 3年)では「江口の遊女(あそびめ)二船ばかりまいりあひたり」とある。
 『宇治関高野山御参詣記』では関白頼通の参詣(1048年)の際、その往路で江口、神崎の遊女が「挙首参進」したので帰途に参るべきと戒めたところ、帰途に「傘を連ね、楫を争い、各以って卒参」し給禄として遊女の首長「上首」には絹二百疋、米二百石、小袖、被物、纏頭物が賜与された。このときの相場として高野山の僧にたいする僧供料が米百石であったので、米二百石は相当多額である。このような賜物を遊女たちはほぼ平等に「上下各同数」分け合った。長者あるいは優れた者への礼として特別に貴族の着衣、被物が与えられたが、遊女集団として生活の基盤である米などの分配は平等であるので比較的格差のない関係を保ったようである。この中世中期における女性芸能民の職能集団は男性の支配化に統括されず、女系的な「家」の世襲化をしていったと考えられる(1)。中世後期(商業資本主義初期、家父長制度の確立)以降に性労働、売春を専業とするようになった女性たちとは異なっていると考えられる。

3 遊女と聖(ひじり)

 遊女がうたを歌いながら僧のもとに推参することもしばしばあったが、そのような遊女と僧侶のつながりは「結縁」である。『発心集』に、上人の乗る船が室津にきたとき室泊の遊女が舟をこぎ寄せてくるので僧の船だとだと断ると、

  闇(くらき)より闇き道にぞ入りぬべき
  遥かに照らせ山の端の月

と詠んでこぎ去ったとある。
 法然伝『伝法絵』の一節に室の泊に法然の船がくると遊女が上人の船に参り、僧へ自分たちをアッピールするために行尊が天王寺別当として行く途中、江口、神崎の君たちが船近くるのを彼が制止した際に遊女が詠んだ「神歌」を引いてうたいだしたとある。

  有漏地(うろじ)より無漏地(むろじ)へかよう釈迦だにも
  羅候羅(らごだ)が母はありとこそ聞け
(釈尊すらもかって子をなした女人との契りもあったと聞いています。あなたのような尊い聖がわれらの結縁をどうしてお避けになるのですか)

4 西行と江口の妙の問答

 世阿弥が『江口』の典拠としたひとつは『新古今和歌集』や『撰集抄』にある西行と江口の遊女妙との歌問答である。西行が天王寺へ参詣する途上で時雨にあってひととき宿を借りようとして拒まれた西行は

  世の中を厭(いと)うまでこそ難(かた)からめ
  仮の宿をも惜しむ君かな

と軽く非難する。返答として

  世を厭う人とし聞けば借りの宿(遊女の宿)に
  心留むなと思うばかりぞ

と詠み名高い高僧、遁世者として世に知られた西行を戯れのうたによって諭した。遊女の結縁がいきつくところは次の話であるが、『江口』のもうひとつの典拠となっている。
 『古事談』巻三に性空聖人の説話がある。その説話は聖の希求する願いがかなう奇跡物語である。聖は生身の普賢菩薩を拝したいと祈ると、夢に神崎の遊女の長者を見よと告げられて、神崎へ赴く。長者の家では遊宴の最中で長者は鼓をとり乱拍子の上句を弾きうたっていた。

  周防室積の 中なる御手洗に
  風はふかねども ささら浪立つ

 聴くうちにあやしと思い目を閉じ合掌すると、長者はたちまち白象にのった普賢菩薩となっており、眉間からは光を放ち俗人を照らし、そのうたは微妙な音声となり法文が説かれている。

  実相無濾の大海に 五塵六欲の
  風はふかねども 隋縁真如の波立たぬときなし

 目を開ければ元の遊女として、また目を閉じれば普賢の姿である。長者は人に告げるなと口止めして「頓滅」(死)し、異香が空に薫じた。饗宴の快楽の絶頂に上人は神秘が顕現するのを見たのである。この奇なる話がどのように『江口』にとりいれられたのだろうか。
 ところで『江口』に登場する僧と遊女の霊との出会いも一種の結縁としてである。この僧はいまだ悟ることなく迷いのなかにいるようである。登場して開口一番に次のように言う。

  月が昔の友ならば、月は昔の友ならば
  世の外いづくならまし
 (月が在俗の身であった昔の友なら、世を捨てた今、俗世を離れた世界はどこにあるのか)

 いまだ求道している様子の僧の目前で、遊女が前述の典拠、本説に従い普賢菩薩になり仏の真理が開示されることになるがそれは後述する。

5  『江口』の詞書からみる遊女
 その象徴としての川辺、舟、水、傘

 さて能楽江口では上記本説の二典拠をふまえてどのように遊女がえがかれているのだろう。遊女を象徴する事物を重層的意味合いで取り入れており、各事物を視覚に訴える、あるいは舞台を見る者の想像力にたよって浮かび上がらせている。
江口の君(自分のことを述べて言う)

  たそかれに たたずむ影はほのぼのと
  見え隠れなる川隈に、
  江口の流れの君とは見えん恥づかしや僧(地謡による)
  さては疑い荒磯の波と消えにし跡なれや

 川辺は太古かの聖婚、天皇の川遊びに重なり、また芸能者は海辺(荒磯)、川辺を流浪するものであった。後半「月澄みわたる川水に」舟遊びの情景が展開されるのであるが、その舟は屋形舟の作り物である。江口の君は僧に「江口の君の川逍遥の、月の夜舟を御覧ぜよ」と言い、かつての舟遊びの光景が僧の目前に繰り広げられる。舟は歌舞の舞台でもあるが川の流れに浮かび流れていくものである。「川舟の流れを留めて逢う瀬の波枕」「秋の水漲り落ちて去る舟の」では舟は遊女商売を示唆しまた客の往来、遊女の定めなき身も表現する。それとともに水上の流れにある舟は時のうつろいを意味する。その舟を「御覧ぜよ」と述べるのは、その時間を心行くまで楽しめ、ととれるし、またそのような一時は流れ去るものであることを心に留めよ、ともとれる。
 川辺に流れる水と戯れるよう舞う遊女と水の関係として、水は禊(みそぎ)であると考えてもよいだろう。物語の終結で菩薩の身に変わる遊女について水は禊として罪を清めるもの、またその転生を準備するものであろうとしている(2)。禊は神道、仏教、その他の宗教にもあり転生の契機である儀礼、新生する儀礼として考えられる。『日本民族語大辞典』には「命の水として、復活、蘇生、転生をもたらす」「人、神の性格や能力・肢体などをまったく変えてしまう、転生の水としての信仰がある」とある。
 物語中に扱われる事物のひとつ(能舞台演出では謡いの誘発する想像力にまかせて省略する場合もある)に「ささ」がある。前記本説の江口の君が性空上人を前にしてうたう「ささら波立つ」は波の音とともに、小竹の葉の束、ささらともなる。アマノウズメが天照大神の岩屋でもっておどったのは小竹の手草である。「河竹」の流れの女、江口が巫女の系譜であることも意味するだろう。またツレの遊女は片袖を脱いで棹をもって「月も影さす棹の歌」をうたう。もう一人のツレは傘をさしかける。傘は遊女の好むもののひとつとして『梁塵秘抄』描かれている。

  遊女(あそびめ)の好むもの
   雑芸 鼓 小端舟
   大傘翳し 艫取り女
   男の愛祈る百大夫

 西郷信綱の延喜式には、大傘は后以下、三位以上、および大臣の妻にのみ許すと規定しているので、遊女が大傘をつかえるのは体制外の存在とされていたからではないかと推測できる(3)。またここでわかるのは三位以上の上臈と遊女が同一視されていることである。かつて遊女が宮廷とかかわり官女に近い存在であったことがわかる。内教房の妓女、巫女、遊女的な女官が儀式(五節舞など)に関与したようである。また主殿寮の女官は蓋傘と扇にかかわる職種についていた。これは江口、神崎の遊女たちが傘、扇を用いていたことに関係している。
 「まつ」「松」と「待つ」についてでは「佐用姫が松浦潟・・・宇治の橋姫も訪わんともせぬ人を待つも身の上あわれなり」という詞書になっている。『万葉集』八十七にある松浦潟の引用によって佐用姫が恋人に山頂から別れを惜しむ光景に、遊女の客との別れと重ねている。また訪れようともしない人を待つ宇治の橋姫とは宇治の遊女であろう。この松はまた古代の習俗をも暗示している。また女官の他の仕事として燈燭の役職「松定使」があり、松明に関与し、松の木に火(松は聖なる木)を燃やす役である。また湯殿の火を管理していたので「オマツ」、「マツ女」であった。遊女の巫女的な一側面であるが、性的奉仕や歌舞の奉仕ではない役割も担ったということがわかる(4)。

6 遊女の実相 普賢菩薩

 女の舟上での歓待は『和漢朗詠集下』において貴族の目には次のように見える。

  翠帳紅閨、万事ノ礼法異ナリトイエドモ、
  舟ノ中浪のノ上、一生ノ歓会コレ同ジ

しかし『江口』では

  翠帳紅閨に 枕を並べし妹背も
  いつの間にかは 隔つらん
  およそ心なき草木 情ある人倫、
     いずれあはれを遁るべき、

と歓会の過ぎ去ることを諦観し、草木も人もどちらも世の無常を逃れることはできないと嘆く。そして時には人は愛執の心が深くなり妄執に染まることになるのだと謡う。その後遊女は僧の迷いを見抜くように人の心の罪、迷いについて僧に説き始める。

  げにや皆人は 六塵の境に迷い、
  六根の罪を作る事も
  見る事聞く事に 迷う心なるべし

舞台ではここより序の舞が舞われ、遊女シテと地謡の掛合いの謡いがあり最後に遊女は普賢菩薩となって西の空に帰り行く(流派によってこの演出は異なる)という場面になる。普賢菩薩への変身を予兆させる詞書によって最終部へ入っていくのであるが、そこで法華経の教えが謡われる。

  実相無濾の大海に 五塵六欲の風はふかねども
  隋縁真如の波の、立たぬ日もなし、立たぬ日もなし

ここに至り俗を離れてはいても迷いにある旅の僧に普賢菩薩の姿が顕現し菩薩の教えが開示されるのである。
 普賢菩薩は女人救済を説いている法華経の菩薩であり、仏の慈悲と理知をあらわして、衆生を救う「普く賢い者」とされている。密教では真理を究めて悟りを求めようという心の象徴とされる。観普賢経の教えは「真理を迷いや罪によって覆い隠しているものは、光を受けても光らない。だから、懺悔によって迷いや罪をぬぐいさらねば、いつまでも醜い姿でいるわけになる。そこで普賢菩薩が懺悔の心を起こさせると、今まで自分のいた暗い世界が急に明るくなったような大きな悟りをえるのである」とある(5)。また目の前の現象に惑わされている(煩悩)と、物事の実相がまるっきり見えないようになってしまうので、見える現象ではなく物事の実相、真理を会得するべく懺悔して不変のものを一心に念ずるべきという教えである。
 このような教えを説く普賢菩薩と遊女の関係をどうみなすのか。遊女はもともと普賢菩薩であり、遊女であるのは僧を導く仮の姿、実相ではないとする化現説と遊女自身が最後に悟りを開き、普賢菩薩に転生したとする転生説がある。この二説には各々理由があるが、これまで論じてきたところから普賢菩薩と遊女の関係はこの二説とは異なってくる。なぜなら遊女は巫女の系譜に連なるものであるからである。
 古代巫女の役割、神アソビは歌舞と呪術、神との交信であった。この『江口』に登場しているのは13世紀以前の遊び女、すなわち律令国家において巫女的役割をもち、貴族文化のなかでは祭儀の女官職であったような職能集団からうまれた遊女である。江口の詞書の典拠となった二つの伝承からは僧をさえ諭し導く、気位高い遊女の姿が浮かぶ。また法然上人絵伝の播磨室津において法然の屋形船に近づく遊女の姿から格式ある貴族女性の風貌を見ることができる。
 世阿弥はもともと観阿弥の作になる『江口』を改変したといわれているが、当時の彼の作品は時代(15世紀)の人や出来事を題材とするより、人々の周知している歴史上の著名人物や出来事を題材としている。世阿弥の遊女は当の時代の姿ではないことは確かである。江口の遊女は中世後期ごろには零落の道をたどり、そのころより遊女という呼称は史実より失われ、身分は下落し「辻の君」「傾城」として社会的に蔑視の視線をあびるようになっていた。
 作品の時代背景としてさらに中世の仏教文化の興隆という事実や中世の神仏習合思想を考えなければならない。本地垂迹説によって平安末期から鎌倉にかけて各神に仏、菩薩が当てはめられて、天照大神は観音の化現、大日如来の垂迹となる。世阿弥は禅修行によって深く実践的な仏教の知識を有し、『般若心経』「色即是空、空即是色」をその信条としていた(『遊楽習道風見』)。世阿弥の能楽作品は世間にヒットすることがまず第一のこととなっている。貴族や大衆一般すべて人々の注目を集め、興味をひくことが最重要事として作られていた。それゆえに彼には自分をふくむ当時の人々の宗教心を作品に反映させ、同時に民族の心に深く埋もれ忘却されようとしている歴史的記憶を心に留めて作品を創作したと思われる。
 江口の遊女は中世に出現したアマノウズメであり、このような世に光をもたらす神格は当時の神仏習合思想を背景にするなら普賢菩薩となるであろう。この遊女はこの国の人々の歴史的記憶から呼び覚まされ、はれの日、マツリの日に出現する巫女であり、誇り高い官女であり、顕現する美しい普賢菩薩である。演能空間の非日常において彼女はマツリをとりしきる者となり謡い舞う。普賢菩薩は舞台上から衆生を光で照らすのである。(完)

 《注》
(1) 楢原潤子「中世前期における遊女・傀儡子(くぐつ)の『家』と長者」
  『日本女性史論集9 性と身体』総合女性史研究会編 1998年
(2) 筒井曜子『女の能の物語』淡交社 1988年
(3) 大和岩男『遊女と天皇』白水社 2012年
(4) 同上
(5) 植野慶子「『江口』の遊女と普賢菩薩の同一性前編、後編」
  法政大学日本文学誌紀要 47 48 1993年

 《主な参考文献》
網野善彦 他  『日本民族文化体系6 漂白と定着』小学館 1984年
阿部泰郎    「遊女・傀儡子・巫女と文芸」 『岩波講座日本文学史』第4巻 1996年
小山弘志    佐藤健一郎 校注、訳  『日本古典文学全集謡曲集1』小学館 1997年
末木文美士   『日本仏教史』新潮文庫 2010年
世阿弥      『日本思想体系24 世阿弥禅竹』岩波書店 1975年
久松潜一編   『日本文学史中世』至文堂 1977年

by y-rekitan | 2014-02-28 10:00 | Comments(0)
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