安 居 橋 所在地 八幡高坊 江戸時代の放生川には多<の橋があり、川上から五位橋、安居橋、六位橋、高橋という順に架かっていたと記録に残っています。現在名前が残っているのは、安居橋のみとなっています。 安居橋という名の由来は、五位橋架橋後だったことから、相五位橋といわれ、これが変化して「安居橋」になったのではないかと『男Ш者古録』は記しています。 「安居橋の月」は八幡八景のひとつで、歌人柏村直條は「神わさにつかふる雲の上人も月をやめつる秋の川はし」と詠んでいます。 欄干には十二の葱宝珠がある優美な反り橋安居橋は、その昔は平らな橋でした。今日のような反り橋になったのは、いつの頃か定かではありません。中央の張り出した舞台のようなものは、放生会がこの川で行われていたときの様子を再現しようと、昭和50年9月の架替え時に新たに作られたものです。 安居橋は、上津屋の流れ橋とともに八幡市の名物橋となっています。 (絵と文:小山嘉巳 )
by y-rekitan
| 2013-08-28 12:00
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