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◆会報第34号より-01 神應寺と秀吉

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わが心の風景・・・(7)
神應寺と秀吉
所在地 八幡西高坊


 ◆会報第34号より-01 神應寺と秀吉_f0300125_16182529.jpg航海記念大石塔の左側にある重厚な表門をくぐり、急な石段を上がると台地上に伽藍群が目に飛び込んできます。現禅堂は元禄2年(1689)、鐘楼は同5年(1692)の建立で、本堂は寛政7年(1795)に再建されたものです。
 神應寺は、八幡神を勧請した僧行教が貞観2年(860年)の石清水八幡宮社殿造営にあわせ、應神天皇の霊を奉安して建立したと伝えられています。そのため、始め應神寺と称しましたが、その後、天皇の諡をはばかって神應寺と改められました。
 『雍州府志』によると、征韓の役にあって豊臣秀吉は、石清水八幡宮に詣で、軍の先鋒に神官を望むと、神社側は恐れて服さず、秀吉の怒りをかいました。このとき、神應寺住僧の機転で「神功皇后の三韓征伐にあやかるのであれば、應神天皇を祀る神應寺に参詣を」と進言。神應寺を訪れた秀吉に住職は一献を供し、羽織衣服を献じたことで、秀吉は大いに満足。寺領二百石を寄進したと伝えられています。(絵と文:小山嘉巳)

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by y-rekitan | 2013-01-28 12:57
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