◆会報第48号より-04 芭蕉と遊女

芭蕉と遊女の巡合い

八木 功 (会員)


 江戸時代、新潟も江口や橋本と同様、遊里で名を知られた港町であり、芭蕉の『おくのほそ道』の「市振(いちふり)」の章段には、伊勢に参宮する二人の遊女が登場する。「松島」や「象潟(きさかた)」などの章段を俳文の最高峰とする中で、遊女の登場する「市振」は極めて異色の章段である。遊女の語る身の上話を一部引用してみたい。
 われわれに向かひて、「行方知らぬ旅路の憂さ<心細さ>、あまりおぼつかなう悲しくはべれば、見え隠れにも御跡を慕ひはべらん。衣の上の御情に大慈の恵みを垂れて、結縁せさせたまへ<法衣をお召しのお身の上のお情けに、なにとぞ私どもにも御仏の大慈大悲のお恵みをお分かち下され、仏縁を結ばせてくださいませ>と涙を落とす。不便(ふびん)のこと(かわいそうなこと)には思ひはべれども、「われわれは所々にてとどまるかた多し。ただ 人の行くにまかせて行くべし。神明の加護、必ず恙なかるべし」といひ捨てて出でつつ、あはれさしばらくやまざりけらし。
    一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月
曾良に語れば、書きとどめはべる。
--<>表記 部は、角川版『おくのほそ道』より--
とあるが、曾良の記した『随行日記』にも『書留』にもこの句は無く、本文執筆の際に創作された虚構であるというのが通説である。
 この虚構構成の土台となったのは、謡曲『江口』や『選集抄』五ノ十一「江口遊女の事」であるが、西行と歌を詠みかわした遊女妙(たえ)は、特に「江口の君」と呼ばれ、二人の歌は、『新古今集』にも見られる。
天王寺に詣で侍りけるに、にはかに雨降りければ、江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければよみ侍りける。
   西行法師: 世の中を厭ふまでこそかたからめ
             かりの宿りを惜しむ君かな(978)

(この世を厭い離れることまでは難しいとしても、わたしがお宿をお借りすることまでももの惜しみなされるあなたなのですね。ちょうど仮の宿のこの世に執着するように。)

   返し:    世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に
             心とむなと思ふばかりぞ(979)

(この世を厭って出家されたお人と伺っておりますので、宿を借りるなどお考えなさいますな、仮の宿の現世に執着なさるなと思うだけでございます。)
・・・角川版『新古今和歌集』より・・・

まさに、西行が一本とられたやり取りである。
 何故、『おくのほそ道』のこの場面に遊女の話が登場したかについては、遊女の心底に潜む信仰心が、芭蕉の感興を喚起し、艶やかな恋の座となったのではないかと思うが、さまざまある解釈の中で、私がもっとも納得・共感したのは、嵐山光三郎著『芭蕉紀行』(新潮文庫)の解釈である。それによると、風流・風雅に徹する風狂の旅とは、「月を眺め胸がざわめき、花を見て心が華やぎ、恋に身を焦がしてさすらう」旅である。芭蕉は、「出羽三山」の章段で「月山」を詠み、「象潟」の章段で「ねぶの花」を、「市振」の章段で遊女・恋の三句を詠んだというのである。
 雲の峰いくつ崩れて月の山
(日中に山を幾重にもつつんでいた白雲が、いつの間にかくずれ去ったときは、もう夜になっていた。ほのぐらい月の下に月山(がっさん)がくっきりと浮かんでいる。)

 象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花(※)
(象潟の雨にぬれたねむの花をみていると、西施がなやましげに目を閉じている姿がうかんでくる。)
 一つ家(や)に遊女も寝たり萩と月
(同じ家に遊女も夏の夜を泊り合わせた。萩の花にほのかに月光がさしている情景にも似た優艶でやさしい 中にも寂しさをもった一夜ではあった。   ・・・講談社版『おくのほそ道』より)

(自分のような世俗を捨てた僧形の旅人と、ゆくりなくも北国辺土の宿に花やかにも罪深いあわれな遊女も泊り合わせて寝ている。折から庭には萩がなまめかしく咲きこぼれ、その上を澄んだ月の光が照らしているのが、何となく遊女と自分との巡り合いを思わせているようだ。  ・・・角川版『おくのほそ道』より)

 最後の句は、二つの現代語訳を紹介したが、この場合、後者の方がより一層『芭蕉紀行』の解釈には沿うものと言える。さらに、私見を加えるとすれば、「一つ家に」の句自体にも、月・花(萩)・恋(遊女)という風狂の旅の三要素が凝縮・内包された名句と言い得るのではないかと思う。(2014.3.5)

  ※  西施(せいし)
    中国、春秋時代の越の美女。越が呉と会稽で戦って敗れると、
    越王勾践(こうせん)は西施を呉王夫差に献上した。夫差は
    西施の容色に溺れ、その隙をついて越は呉を滅ぼしたと伝え
    られる。(編集担当)
by y-rekitan | 2014-03-28 09:00 | Comments(0)
<< ◆会報第48号より-03 橋本 ◆会報第48号より-05 伊佐... >>