◆会報第3号より-01 八幡の名所

f0300125_273775.jpg
《歴探ウォーク》
梅雨の晴れ間、八幡の名所・旧跡を歩く

― 2010年6月  八幡市駅周辺の歴史探報 ―


 6月16日(水)、前日までの梅雨空がうそのように晴れ渡り、暑いくらいの日差しの下、八幡の歴史探訪を実施しました。正午過ぎから受付場所である八幡市駅前にはぞくぞくと参加者が集まり、開会時には40名以上の数になりました。ガイド役は小山嘉巳さん。この3月まで八幡市の社会教育課に勤められた、八幡観光ガイド協会会員でもあります。八幡の名所・旧跡を案内して下さるには最適の方です。その小山さんには、この日のために、A4版6枚におよぶ資料を作成していただきました。f0300125_21485418.jpg
 一の鳥居に集合した一行は、まず「航海記念塔」を訪れます。日本最大級の五輪の塔には様々な伝承がありますが、尼崎の豪商による創建説もその一つ。ただし、巨大な石がどのように設置されたのか大いなる謎というべきでしょう。
 次に、神応寺の境内に足を踏み入れ、寺名の由来、秀吉による寄進について説明を受けた後に淀屋辰五郎の墓に案内されました。それは、淀川合流を見下ろし、遠くに淀や京都市街までも見渡せる高台に建っています。小山さんは淀屋研究会の八幡支部長でもあり、淀屋研究の一端を披露して下さいます。墓碑には辰五郎の戒名「潜龍軒咄哉个庵居士(せんりゅうけんとっさいこあんこじ)」が刻まれています。この戒名に込められた辰五郎の思いを小山さんは切々と語ります。
 闕所という憂き目にあった辰五郎は恩赦によって八幡に帰り居を構えます。
 頓宮―高良神社―安居橋を巡り、辰五郎の邸跡に案内された私たちは、淀屋の後日譚とでもいうべきものを紹介されます。それは淀屋を題材にし、宝暦9年(1759)5月に豊竹座で上演された操浄瑠璃「難波丸(なにわまる)金の鶏(こがねのにわとり)」で、辰五郎の娘五百(いお)を主人公とした「八幡(やわた)敵討(かたきうち)の段」です。
 八幡を舞台にした歌舞伎は決して少なくありません。「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)―引窓(ひきまど)」もその一つ。八幡駅前の横町を入った所に「引窓南邸跡」なる石碑があるのを知っている方もおられ
るでしょう。
 淀屋関連の遺跡はまだあります。「ドンド横町」がそれ。八幡柴座の邸に杉山谷不動の滝から樋を通し手水鉢(ちょうずばち)に水をひいたということですが、その水が筧(かけい)を「ドントドント」と音をたてて流れたからこの
名がついたとのこと。淀屋の隆盛ぶりを思わずにおれません。
 淀屋と八幡の関係については、11月に会員である丹波紀美子さんに例会で報告していただくことになっています。乞うご期待!f0300125_15374857.jpg
 さて、安居橋に戻った私たちは、放生川の名の由来、そこに架かっていた橋の説明を受け、二の鳥居、神幸橋、下馬碑を案内されました。
 神幸橋は神が行幸すると読めますが、江戸時代、石清水放生会(ほうじょうえ、祭礼)前後の数日間のみ木橋を架けて神が渡れるようにしたとのことです。また、橋がないと参詣者が谷を滑りけがをすることがあったので石橋を架ける計画が持ち上がったとのこと。ところが、門前町である平谷(びょうだに)町の旅籠や茶店の商人たちが「橋ができると商売が難渋する」と反対したのです。客が遠のくことを恐れたのでしょう。淀屋に象徴される八幡の商人の商魂たくましい姿を垣間見る思いです。
 「下馬碑」は、同じ筆跡の物が大阪の四天王寺にあり、『男山考古録』の著者である藤原尚次は、同書で松花堂昭乗の筆によるものと断定しています。
 市立図書館脇の路地奥に「頼風(よりかぜ)塚」があります。松花堂庭園内にある「女郎花(おみなえし)塚」と対になって、悲恋の物語が語られました。
 これは謡曲にとりあげられていますね。
 次に、東高野街道を南に下ります。
 神原の交差点を超えると正法寺。同寺は、源頼朝の家来である高田忠国が幣礼使として石清水八幡宮に派遣され、居住した地を寺院化したものです。慶長年間には、住持の娘であるお亀の方が徳川家康の側室に迎えられ尾張藩を興した義直を産んだことで知られます。彼女のお陰で八幡の地が検地を免除されることになるのです。
 小山さんによる熱心なガイドもあって予定された時刻が大幅にオーバー。八角堂には寄れず、松花堂庭園奥にある書院でまとめの会を行いました。

 以下に一口感想を紹介します。記名・無記名の確認できなかったので、今回はすべてイニシャルにさせていただきました。
「城陽から来た者で、男山八幡宮へはお参りしましたが、他の史跡など興味深くみせていただきありがとうございました。知らない事ばかりでした。」S
「八幡に永らく住んでいながら知らないことばかりで大変良かった。歴史は好きであるが他の人に話すことは余りなかったので、今後はできるだけ話すようにしたい。」男山G
「八幡宮以外の昔からの由緒ある史跡を実際に見学できました。知人などに説明できる知識として今後活用したいと思います。」      川口F
「淀屋辰五郎の戒名についてナゾの問題提起をしていただいた。大事にしたい。」    男山K
「淀屋辰五郎について、私にとって新しい情報となりました。今日、半日、すこし強行軍に思えた。」  橋本T
「今回は、総花的であったため、頭に充分入らない。重点的に3か所程度で深くやってもらいたい。」 西山N
「初めて参加しましたが、一の鳥居から松花堂まで、くわしい説明に感動しました。八幡に住んでいながらくわしく知らない事が多かったので、またこのような機会があれば参加したいと思いました。」  橋本H
「辰五郎の戒名「潜龍軒咄哉个庵居士」の説明が印象に残りました。八幡宮が(神仏分離を)四年間反対(抵抗)していたことを、とてもうれしく思いました。」   橋本F
「いろいろ勉強になりました。何度も何度もくりかえし参加し勉強することが大切だと思いました。やはりひとつやふたつの見落としがあることを改めて理解しました。ただし、すぐに忘れますね。」 園内I

※「総花的であった」「強行軍であった」との意見は事務局として今後に生かしていきたいと思います。
いずれにせよ、貴重な資料を提供して下さった小山さん、暑い中最後まで参加して下さったみなさん、御苦労さまでした。ありがとうございました。  (文責 土井三郎)


歴探ウォークの記事は以上です。     レポート一覧に戻ります

by y-rekitan | 2010-06-28 12:00 | Comments(0)
<< ◆会報第3号より-top ◆会報第3号より-end >>