◆会報第9号より-02 山上山下の町

木津川・宇治川沿いの屋並を巡る
―『山上山下のまち、八幡』刊行によせて―

関西古文化研究会 堀内明博


 盆地南部八幡、淀、大山崎は、京都の玄関口であり、淀川から大阪湾に通じる重要な水上交通や奈良、宇治、京都へ通じる陸路の要衝でした。そして近年の発掘調査で、弥生時代前期まで歴史が遡り、古墳時代桂川右岸に展開する木津川河床遺跡などの集落、山城地域でも特異な美濃山の横穴群、奈良時代以降の志水瓦窯、美濃山廃寺の区画施設や建物が新たに発見されています。
 長岡京遷都以降、当地域は水運・陸運の要衝として、注目されます。平安時代貞観二年(860)男山に平安京の南西、裏鬼門を守護する王城守護の神として八幡宮護国寺と称する神仏習合の宮寺が成立しました。以後源氏をはじめとする武門の氏神としても崇敬され信仰を集めました。
 山下の宿院には市が開かれ、桂川、鴨川、宇治川合流地点として水上交通においても繁栄し、周辺には石清水八幡宮領として庄園がおかれるなどこれまでの景観が一変します。そして南北朝の動乱期には激戦の舞台ともなります。豊臣秀吉が天下統一を果たす中で、淀城や伏見城を築城し全国の中心となる城造りが行われ、江戸時代徳川幕府もその重要性を継承し淀城を再建したと考え得られます。f0300125_9555265.jpg
 このような歴史的背景から、八幡一帯は各時代にわたり重要な役割を果たしてきた地域といえます。そのため市民の方々とともに私たちは現存する様々な文化遺産や文化的景観を構成する資源の発掘をはかり再評価してその原風景を探って地域の活性化に役立てられる材料になるための活動を行っています。その成果としてこのたび-木津川・宇治川沿いの屋並みを巡る『山上山下のまち、八幡』と題するリーフレットを作成しました。これが市民並びに周辺住民への八幡に対する関心を高める材料として人々に認識していただき、その趣旨を後世に伝えていく必要を痛感しながら今後も運動していく所存です。何卒皆様のご支援・ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
 なお、本活動は、京都府地域力再生プロジェクト支援事業の一環として、八幡市の後援をいただき、行っています。   
     2010年12月

<豆知識、八幡のあゆみ>
725年 僧行基、橋本・山崎間に架橋と伝えあり
859年 僧行教、国家祈祷の為、宇佐から八幡神を男山に勧請
1063年 宿院河原(放生川右岸)で市が開かれる
1227年 この頃、放生川の右岸に家が建ち並ぶ
1307年 石清水八幡宮境内での樟葉住人の麹売買を禁止
1326年 石清水護国寺炎上
1333年 赤松則村、男山に城郭を構え兵を入れる
1352年 足利義詮、男山を攻撃
1405年 平谷町が焼ける
1424年 八幡4郷の神人など、護国寺薬師堂に閉籠する
1539年 三好政長、山城国八幡に徳政を施行する
1584年 豊臣秀吉、最初の八幡宮領検地を行う
1600年 安居祭復活
1634年 石清水八幡宮(現社殿)に正遷座
1708年 橋本町火災、38軒が類焼
1715年 奉行所、上奈良、内里両村に堤修築を命じ、3月14日に完成
1728年 生津村堤切れ1759年 男山橘本坊出火。新坊・井関坊など焼失
1870年 木津川堤改修
      (リーフレットの年表より抜粋)
by y-rekitan | 2010-12-28 11:00 | Comments(0)
<< ◆会報第9号より-top ◆会報第9号より-03 八幡歴... >>