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◆会報第45号より-02 八幡古寺巡礼1

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《歴探ウォーク》
八幡の古寺巡礼
― 第1回 浄土宗の寺を巡る ―  

2013年12月 八幡市内 にて
高田 昌史 (会員)
                                     

 石清水八幡宮は、江戸時代まで神仏習合の寺社として「石清水八幡宮寺」と呼ばれ、明治以前の八幡には山上だけでなく山下にもたくさんの寺院がありました。
 そのなかでも浄土宗は、正法寺志水氏の娘お亀が徳川家康の側室となり尾張藩祖徳川義直の生母になったことにより幕府から手厚い保護を受け多くの寺院がありました。今回は今に残る浄土宗の三寺院を巡る歴史探訪ウォーク「浄土宗の寺を巡る」を12月12日に実施しましたが、当日はこの冬最初の寒波にも拘わらず43名の参加がありました。

浄土宗の古寺巡礼コース

 今回の巡礼は浄土宗の三寺院を徒歩で巡回する歩行距離約4.5kmのコースでした。◆会報第45号より-02 八幡古寺巡礼1_f0300125_19154238.jpg訪問する各寺院ではご住職の講話と仏像等の拝観時間を合わせて30分の予定としておりましたが、三つの寺院ともにご住職には全面的なご協力・バックアップを頂き、当日はその講話拝聴のみならずさらに由緒あるご本尊等も拝観させて頂くことができました。

 参加者には事前に下調べした情報をもとに「しおり」を用意させて頂きましたが、まずは見てのお楽しみということで本文はできるだけ簡単にし、仏像の用語解説、仏像の印相、仏教宗派や浄土宗の系図といった付属属資料をいれて、ウォーキング中でも立ち止って気軽に見ることができるA5サイズの携帯版とさせていただきました。

歴史探訪ウォーク
「浄土宗の寺院を巡る」の報告

 12月12日は京阪八幡市駅に13時集合。「しおり」の説明と歩行時の注意事項等をお話した後出発しましたが、まずは安居橋を渡り15分後に最初の訪問先の「念仏寺」に到着しました。
❶念仏寺:ねんぶつじ(八幡旦所)

 男山考古録に、「旧は観音堂と号して空也上人暫く当寺に住居する」と記されています。◆会報第45号より-02 八幡古寺巡礼1_f0300125_19462930.jpg 本尊は阿弥陀如来座像で、本堂に安置の釈迦如来座像は八幡市指定文化財に指定されています。
 念仏寺到着後、山門横の「戊辰史跡の石碑(三宅碑)」を説明して本堂には入り、福井住職のご講話を拝聴しました。
講話の最初に、八幡には江戸時代に浄土宗の寺院が九十六寺もあったとお聞きし驚きました。その内の念仏寺を始め三十六ヵ寺が御朱印寺であったとのことです。 ◆会報第45号より-02 八幡古寺巡礼1_f0300125_19331510.jpg また、鎌倉時代末期に西園寺家八代目公衡の末男が出家して当山を再建し、朝廷から「天照山光明院念仏寺」の公称を拝受したとのことです。
戊辰戦争時に念仏寺は幕府方の桑名・大垣藩の陣地になり、官軍の砲撃で大垣藩士9名が戦死。その内4名がこの寺に葬られたが、本堂横の墓地に二十四才で亡くなった「名波常蔵」の墓が残っており、大垣には名波常蔵の墓はないとのことです。ご講話の後に本尊や釈迦如来像などを拝観させていただきました。



❷世音寺:せおんじ(八幡神原)
                  
  念仏寺から徒歩約25分で世音寺に到着です。
この寺は、長禄2年(1458)世音大徳が阿弥陀如来を本尊として開基されました。もとは禅宗でしたが、江戸時代に浄土宗となり、浄土宗御朱印三十六ヵ寺組になっています。
 同寺の地蔵菩薩立像は鎌倉初期の作で、昭和61年に八幡市指定文化財の第1号です。◆会報第45号より-02 八幡古寺巡礼1_f0300125_19365523.jpg世音寺は、馬場道に面した比較的小さなお寺です。先代のご住職がお亡くなりになってから無住になり、檀家の方が管理されておりその方々のお世話になりました。江戸時代までは念仏寺の末寺であった縁で、現在のご住職は念仏寺の福井住職が兼務されています。 ご本尊の前で福井住職のご講話を拝聴しました。             
 しおりでは引用の資料から朱印地高は7石あまりと記載していましたが、福井住職からは13石であり念仏寺よりかなり多いとの説明がありました。本堂脇の地蔵堂の八幡市指定文化財の地蔵菩薩立像は「ぞうり」を履いているとのご説明でしたが、残念ながら足下は隠れて見えませんでした。なお、世音寺は戊辰戦争の時には被害がなかったとも伺いました。
続いて訪れた本日最後の巡礼先の安心院までは、徒歩約10分でした。

❸安心院:あんじんいん(八幡清水井)

  正法寺の塔頭(たっちゅう)で、山門は正法寺参道の左側の東高野街道筋にあります。早速、本堂で本庄住職の講話を拝聴させていただきました。◆会報第45号より-02 八幡古寺巡礼1_f0300125_10112595.jpg 安心院は慶長5年(1600)に建立され、本庄住職は十八代目のご住職で、同じ正法寺末寺の宝寿庵、地蔵院、華光院等が合併または無住になったことにより、これらの寺院の本尊等が本堂に安置されています。それらは平成18年に関西大学が調査をしており、講話を拝聴する前にその時の調査資料「安心院美術工芸品調査報告」が配付されました。それには彫刻7点、絵画4点(講話時に1点追加された)の調査結果が纏められており、それぞれについてのご説明をお伺いしました。その後に多くの仏像や掛け軸を拝観させて頂きました。
 以上の三か所で今回の古寺巡礼ウォークは一旦解散としましたが、後は自由参加で安心院のご住職の講話で説明があった中ノ山墓地を見学するグループや八幡市駅までご一緒して駅周辺の史跡にもご案内するグループに別れてのお開きとなりました。

おわりに

 新企画の「八幡の古寺巡礼」の(第1回:浄土宗の寺院を巡る)は、多く参加者があり皆様からはご好評をいただきました。
 これは巡礼先のご住職の御尽力の賜(たまもの)で、厚く御礼申し上げます。また、ほぼ当初計画したタイムスケジュールで進行することが出来たことは参加の皆様のご協力のお陰です。
 なお、来年度には第2回「古寺巡礼」の歴史探訪ウォークを実施する予定です。


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by y-rekitan | 2013-12-28 11:00
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