◆会報第56号より-04 物語の生まれ⑥

シリーズ「物語はどのように生まれたか」・・・⑥
女 郎 花 と 頼 風⑥
 ≪最終回≫ 
 土井 三郎 (会員) 

むすびにかえて―余話三題

(1) 下鴨御所音頭に寄せて

 先ごろ、「下鴨御所音頭・紅葉節」なる歌謡をある人から教えてもらいました。京都の下鴨地方に伝わるみやびな民謡ですが、そのなかに「三社めぐり」と題する歌詞があり、その来歴や歌詞全文などを記した冊子を保存会の方から送っていただきました。
「三社」とは、伊勢神宮・春日大社・石清水八幡宮を指し、京から秋の豊作祈願を志して、これらの社を巡拝する行程が歌われています。保存会から送られてきたパンフレットによると、「江戸時代までの下鴨・上賀茂の神社周辺は、どこまでも田畑が広がる農村地帯」であったとのことです。そこに住むお百姓さんたちにとって、神社参拝は大きな楽しみの一つであったようです。歌詞には、本歌の物語・和歌説話にちなむ歌語がちりばめられています。
 石清水八幡宮にかかわる歌詞を紹介してみます。
 今は盛の男山、鳩の峰越し来て見れば、名にし八幡の御社(おんやしろ)、登る山路の七曲り。彼(か)の頼風とおみなえし、くねると詠みし言の葉を、互に之(これ)も石清水。
 「互いに之も石清水」としゃれっ気たっぷりな言い回しですが、注目したいのは、石清水の枕詞に「頼風とおみなえし」の物語が添えられているということです。ことほど左様に石清水ないし八幡といえば「頼風と女郎花」の物語が付き物であったということです。そういえば、前回ふれた江戸時代の地誌のなかで、『出来斎京土産』(1677年刊)は、八幡の名所として、石清水八幡宮と男塚・女塚しかふれていません。要するに、「頼風と女郎花」の物語は、江戸時代の庶民に今以上に広く深く浸透していたということなのでしょう。

(2)松虫

 大阪市の阿倍野区に「松虫」という地名が存在します。松虫中学校をはじめ、交差点や上町線の駅名、バス停名などにも「松虫」の名が使われています。この町名は、謡曲「松虫」で知られる松虫塚が当町域に存在し、道路名の通称になっていたことが由来であるとのことです(阿倍野区の公式HPより)。
 謡曲「松虫」は、摂津の国、阿倍野のあたりに住む酒売りの男が市へやってきて酒宴をする若い男と知り合い、若い男の友が松虫の音に誘われて草むらで死んでしまったことを語り、松虫の音を聞くたびに亡き友を偲ぶという物語です。
 この物語は、平安時代の『古今和歌集』の序文から生まれました。
古今集の序に、歌をうたうことがどのような効果をもたらすのかを説くところで、「男山の昔を思ひ出でて女郎花の一時をくねるにも」の前に「松虫の音に友を偲び」とあるのがそれで、松虫の音を聞き、友を偲ぶにも歌を詠んで慰めるのだとするのです。「松虫」から友を待つ者の心情がほのめかされているようです。つまり、友を待つ孤独な心情も、歌を詠うことで慰められると説くのです。
 そして、鎌倉時代の「古今和歌集序聞書書(ききがきしょ)・三流抄」から具体的な生身の人間が登場し、物語が展開するのです。
「松虫ノ音ニ友ヲ忍ブトハ、昔、大和国ニ有ケルモノ、二人互ニ契リ深シ。津ノ国阿倍野ノ市ヘ連(つれ)テ行。市ニ別レテ、アキナヒスル程ニ(行別レテ)互ニ行方ヲ知ラズ。一人先立テ帰ケルガ、彼ヲ待テ居タリケル程ニ、夜ニ入テカレハ死ケリ。彼市ニ残ル友、彼ヲ待ケレドモ、見エザリケレバ、広キ野ニ出テ尋行ヌ(中略)松虫オオク啼処ヲ見レバ、彼者(かのもの)死テアリ。・・・・」
 「松虫の音に友を偲ぶ」とある古今集・序の一文から摂津国の阿倍野という具体的な地域が設定され、市で酒を売る男とその友との友情と、その友が野原で死ぬというストーリーが語られるのです。
 ここまで述べれば、八幡の「頼風と女郎花」の悲恋の物語と大阪市阿倍野区の「松虫の音(ね)」に誘われて友が死ぬ話が、ともに同じ経緯で生まれ、伝えられてきたことがわかるでしょう。つまり、平安初期に成立した『古今和歌集』序文にある文章がもとになって、鎌倉中期にできた註釈書で具体的な物語が創られ、室町時代にはそれが謡曲に発展し、少なくても江戸時代にはそれを物語る塚(石塔)が名所となって地誌や古図に紹介されるようになったということです。

(3)いつを昔の男山

 谷崎潤一郎の小説『蘆刈』に、男山を背にした夕刻の橋本を眺める印象的なシーンがあります。
 谷崎自身を思わせる「わたし」が、ふらりと水無瀬(みなせ)にやってきて、微醺(びくん)をふくんだまま帰るのが惜しいと思い、渡し舟で対岸にある橋本に向かおうとします。但し、橋本へは中洲で船を乗り換えないといけません。その中洲で船が来るのを待ちながら対岸を眺めるのです。
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 「淀川両岸の絵本に出てゐる橋本の図を見ると月が男山のうしろの空にかヽつてゐてをとこやま峰さしのぼる月かげにあらはれわたるよどの川舟といふ景樹の歌と、新月やいつをむかしの男山といふ基角の句とが添へてある。わたしの乗った船が洲に漕ぎ寄せたとき男山はあだかもその絵にあるやうにまんまるな月を背中にして鬱蒼とした木々の繁みがびろうどのやうなつやを含み、まだ何処やらに夕ばえの色が残ってゐる中空に暗く濃く黒ずみわたつてゐた。」

 ここにいう「淀川両岸の絵本」とは、文久元年(1861)に刊行された『淀川両岸一覧』にある「橋本」の図で、男山にかかる月と橋本の街の灯が絶妙な対比を見せる風景画です。
橋本の夜景からは三味線や鼓の音、女の嬌声や酔客のだみ声が聞こえてくるかのようですが、風景画の上部に掲げられる其角(きかく)の句が印象深いものです。
新月やいつを昔の男山
 今見るこの月は、いつも昔からこのように光輝いているということだ、と訳せますが、読者諸氏にはおなじみの『古今和歌集』仮名序にある「男山の昔をおもひて女郎花の一時をくねるにも歌をいひてぞなぐさめける」を想起するというものです。すると、其角が新月に寄せて懐旧の念にふける様を詠んだとも解せるものです。
 ちなみに、芭蕉十哲のひとりに数えられる其角ですが、晩年になると蕉風とは作風がやや異なり、軽妙で洒脱な俳諧を志したとのことです。また、「いつを昔」というフレーズに愛着をもったらしく、自身の俳書のタイトルに「いつを昔」を付したといわれます。  
<完>
            
【おもな参考文献】
『『駒札 百三十三番を立てる』(謡曲史保存会)
『古今和歌集』(岩波書店、新日本文学大系)
『謡曲百番』(岩波書店、新日本文学大系)
『謡曲集』(新潮日本古典集成)
『和歌大辞典』(明治書院)
『中世古今集註釈書解題』(片桐洋一著・赤尾照文堂)
『京都府の地名』(平凡社)
『藻鹽草』(大阪俳文学研究会編・和泉書院)
『新修 京都叢書』(臨川書店)
第6・第7・第10・第11・第13・第14巻
『京都府立大学文化遺産叢書 第3集』
『京都府立大学文化遺産叢書 第4集』
『男山考古録』(藤原尚次編著、石清水八幡宮)

この連載記事はここで終りです。      TOPへ戻る>>>

by y-rekitan | 2014-11-28 09:00 | Comments(0)
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