◆会報第59号より-03 横穴古墳

松井横穴群に学ぶ

野間口 秀國 (会員)


 説明会当日の1月25日は大寒の最中とは思えないような好天気に恵まれました。八幡市駅前からバスに乗り、およそ25分で会場に近い美濃山口バス停に着きました。バスを降り、案内の方の指示に従って歩くこと20分程で茶色の地肌一面の会場受付に着きました。
 ところで、表題にあります横穴とは「斜面に素掘りの穴を水平方向に掘り、埋葬施設としたもの(*1)」です。このような横穴墓は九州、近畿、そして東北地方南部まで広く存在しており、特に畿内で横穴が多く存在する地域は、橿原、天理から柏原、奈良市北部、そして南山城地域(八幡市・京田辺市)であることも説明いただきました。また南山城地域には、今回発掘された松井横穴群及び八幡市域を含んだ直径1.5Kmの範囲内に、美濃山横穴群、狐谷横穴群、女谷・荒坂横穴群(*2)などの存在が既に知られています。f0300125_16262219.jpg 今回の発掘調査では70基もの多くの横穴墓が確認されましたが、事前の報道(*3)では「推定300~400基とも・・」とあり、当日配布の説明資料にも「・・・数百基の横穴が存在するものと想定されます」とあります。現場に立つとそれらの数が決して多すぎるものではないことも実感できました。また、このような墓が造られた時代は古墳時代後期から飛鳥時代で、その一部は飛鳥時代末から奈良時代前半まで長期間に亘って使われていたようです。このことは会報第35号(*2)でも少し触れましたが、同じ墓に一定の期間が過ぎた後に追葬された為であり、発掘された遺体の置かれている数や位置などのから解ることも説明いただきました。
 出土した副葬品には須恵器が多く、鉄製の刀剣類、鏃(やじり)などの武器や装身具類などは少ないことより埋葬された人々は支配者階級では無く地域を束ねた農業に従事していた有力者と考えられているようです。また、この地域の横穴群には現在の八幡市や京田辺市地域に住んだ人々だけでなく、南山城のより広い範囲の人々が埋葬された可能性も考えられるとのことでした。

 さて、「なぜこの地に?」との疑問についても少し触れたいと思います。全体説明が終えようとする頃に、説明員の方から「第4トレンチ(※)の高いところから東側の眺望を是非楽しんでください」との勧めがありました。この地の標高は約54~55mとのこと。勧めに従って尾根部に立つと木津川流域に広がる平野部が見渡せました。北東方向に目を移すと比叡山も望めるとのことでしたが、当日はそこまでは確認できませんでした。この地が選ばれた理由は、
  第1:交通の要衝であったこと、
  第2:眺望が良いこと、
だったようです。3番目の理由は聞きそびれましたが、木津川の氾濫を回避できる高度であることや近くに墓を作る石材が十分になかったことなどではないかと考えております。f0300125_16341986.jpg 発掘現場の第4トレンチ東側には境界ぎりぎりまで工事中の新名神高速道路の橋脚群が迫っていました。この道路工事によって、城陽市・京田辺市・八幡市などの複数の個所で数年間にわたり大小の遺跡発掘調査やそれらに伴う説明会が続きました。説明会にも数回参加させていただきましたが、このような規模や頻度で行われることもおそらく今回が最後ではなかろうかと思います。そう遠くないうちに完成するであろう工事中の高速道路の橋脚群や発掘された横穴墓の数々を眺めながら、改めてこの地は「歴史の交差点」であるとの感を禁じ得ませんでした。

《参考資料等》
(*1)京都府埋蔵文化財調査研究センターによる松井横穴群現地説明会配布資料(2015.1.25開催)
(*2)既発行の会報に掲載の拙稿 「女谷・荒坂横穴群から学んだこと」(第35号/2013.2.25) 及び 「大谷川散策余話第3章 里山区・歴史の交差点」(第40号/2013.7.29)
(*3)京都新聞(2015.1.21)の記事
( ※ ) トレンチ:発掘現場に設定される調査範囲・区域

by y-rekitan | 2015-02-28 10:00 | Comments(0)
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