◆会報第60号より-05 墓石をたどる⑧

シリーズ「墓石をたどる」・・・⑧
万称寺跡地の常念仏回向(じょうねんぶつえこう)
記念碑について


谷村 勉  (会員) 


万称寺跡地墓石群

 万称寺跡地に元禄16年(1703)建立の巨大な「常念仏回向」記念碑が見つかりました。
 松花堂庭園・美術館近くの月夜田交差点を西に樟葉方面へ50m程登って、二つ目の角を左に回れば、中ノ山墓地東入口左側に「万称寺跡」の三宅安兵衛碑があります。f0300125_1843550.jpg古く志水道と言われた旧街道をこの入口から南へ約100m、西側のわずかに残る竹林等の緑が生い茂るやや高みの所に万称寺跡地墓石群がありました。
 「万称寺跡」三宅安兵衛碑に「左中ノ山一丁」の記述がありますが、記述通り約100mの位置に不思議に符合しました。普段は住人以外この道を利用する人も少なく、また何気なく通ると木々の緑に隠れて見過ごしてしまうような所です。
 江戸時代、万称寺の裏山一帯を中ノ山と称したようですが、凡そこの墓石群のあたりまでが万称寺で、山裾一帯の現在の住宅地は万称寺の寺域であったと推定されます。男山考古録“万称寺”の項によれば「志水道(河内国街道也)西側、東面にあり、・・・無心庵の南少く小髙き処に隣る、・・・」の記述にも一致します。但し無心庵も現在ありません。また同じく男山考古録“万称寺”の次の項“宝青庵”では、「万称寺に対して道の東側也・・・」の記述から、道を挟んで二つの寺が向かい合っていたようで、実際に万称寺跡地墓地から道と駐車場を挟んだ向かい側に宝青庵のお堂の屋根が大きく見えました。

無縫塔と常念仏回向記念碑

 万称寺跡地墓石群の中に、歴代住職と思われる無縫塔(卵型)の墓石が10基程あり、墓地入口近くには万称寺中興開基の憶念和尚など6基の同形の無縫塔が整然と並んでいます。f0300125_1992431.jpgさらにその奥へ進めば、ひと際大きな「常念仏回向」の記念碑が目に入り、まず元禄16癸未夭(1703)の年号が見えました。早速、記念碑を計測すれば塔高180cm、横65cm、蓮華台31cm、上台35cmで芝台20cmを含めた総高は266cmになりました。「常念仏回向」記念碑には「阿弥陀三尊の梵字」に「常念仏」・「施主大坂」の文字が彫られ、また、仏事を勤めた人々12人の名前が彫られていますが、その中に万称寺住職の「憶念大徳」や弟子の「願故大徳」、「入證大徳」の名前も見られました。
 f0300125_1912441.jpg「常念仏回向」とは一定の期間を決めて毎日昼夜欠かさず念仏を唱えることで、常念仏、不断年仏ともいわれ追善供養や極楽往生の祈りを行うことです。資料にあたると正法寺古文書に記録された通り元禄16年(1703)に行われた「二万日回向」の記念碑である事が判り、当時、「常念仏回向」が盛大に行われていたという証にもなりました。
 万称寺は正法寺(八幡清水井)の第17代住職「本誉即童和尚」が開山(承応3年・1654)した為、正法寺の末寺でもありました。他に石清水八幡宮検知職(※1)の紀氏一族や藤木某、無縫塔墓石など凡そ40基が現存しています。中には永く倒れたままに放置された様子の墓石が10基程ありました。又、記念碑北側にある藪中にも更に16基程の墓石がかろうじて見えましたが詳細は不明です。

 (※1) 検知職とは石清水八幡宮における神官系の役職で紀氏の世襲であった。

明治5年(1872)の廃寺

この巨大な常念仏回向記念碑を見ると、当時の万称寺は「常念仏回向」の仏事を行う道場として多くの民衆の支持を得て、八幡周辺や奈良、京都、大阪からも多数の信者を集め、寺勢を拡大していった様子が伺えます。しかし江戸時代後期になると「常念仏回向」の記録もなくなり、その勢は衰えていったようです。その後は庶民の集会所として何度か歴史に登場します。文化4年(1807)には橋本町や八幡領内の百姓が打ち壊しを行った際に「万称寺」はその集会場として使用されました。しかし明治維新後多くの寺が衰退する中、万称寺も明治5年に破却されたようです。

 今回、「万称寺の墓石群」についてフォーカスしましたが、「万称寺」や「常念仏回向」に関する内容は『京都府立大学文化遺産叢書 第4集』 竹中友里代氏の論文に詳しく報告されていますので是非ご一読ください。

<参考文献>
 ◯『京都府立大学文化遺産叢書 第4集』 (京都府立大学文学部歴史学科)所収
          中ノ山墓地の景観と庶民信仰  竹中友里代
 ◯『正法寺古文書目録』 京都府教育委員会
 ◯『八幡市誌 第二巻』 八幡市


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by y-rekitan | 2015-03-28 08:00 | Comments(0)
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