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◆会報第61号より-05 墓石をたどる⑨

シリーズ「墓石をたどる」・・・⑨
新山通江氏の
「鴻鵠(こうこく)の系譜(淀屋歴代記)」から

谷村 勉  (会員) 


神應寺に新山通江氏の墓石建立
 平成27年2月、淀屋研究で知られる新山通江氏が逝去されました。豪商淀屋の研究に半生をかけられた氏は、末期は“淀屋ゆかりの神應寺に”との強い要望があって、5月19日、神應寺にて追悼法要と建碑開眼法要が予定されているようです(新山通江氏の墓石は神應寺墓地淀屋五代目辰五郎の隣に建立されるとのこと)。 
 昨年4月来、新山通江氏の著書「鴻鵠の系譜(淀屋歴代記)」を基に伏見区淀新町の天神社周辺の聞き取り調査を行い、この機会に旧淀屋邸跡地等について改めて報告いたします。

淀の旧淀屋邸跡
◆会報第61号より-05 墓石をたどる⑨_f0300125_192834100.jpg◆会報第61号より-05 墓石をたどる⑨_f0300125_20314715.jpg 京阪電車(新)淀駅から京街道を八幡方面に向かって孫橋(最近は河津桜で有名)、旧淀大橋跡をめざすと、途中の淀新町に小さな天神社が左側に見えてきます。
 この天神社の右隣が旧淀屋邸跡地で「鴻鵠の系譜」の中で、筋向いの煙草屋の女主人が語った、旧淀屋邸跡の旅館「伊勢市」があった場所です(写真1)。現在鳥居右隣の建物は新町自治会館「新町倶楽部」となっています。

 天神社の奥へ進むと神殿の右に社務所があって、「鴻鵠の系譜」文中に社務所の老婆の言で「この弁天さんは元、隣の邸(即ち淀屋邸)の後池畔に面して…」と記されていることからも旧淀屋邸の位置が確認できます。平成6年(1994)に発行された「淀の歴史と文化」の中に天神社の右隣に「旅館伊勢市」の面影を残す写真が掲載されています(写真2)。残念ながら天神社筋向いの老女の「煙草店」は現在営業されておらず、シャッターが閉まったままになっていました(写真3)。

◆会報第61号より-05 墓石をたどる⑨_f0300125_19114567.jpg◆会報第61号より-05 墓石をたどる⑨_f0300125_2052431.jpg 旧淀屋邸の弁財天や池の話がで てきましたが、後ろの池とは天神 社裏側の低地を指し、神殿奥の階段を下がれば眼下に住宅街が広がっています。その地形から昔は池であった事がよく判ります。
その池に面して淀屋の守護神の弁財天(写真4)が祀られていました。弁財天は元々インドの河神でありましたので、海、湖、川に関係する所に祀られます。

 淀屋初代の常安は材木商からスタートし、伏見街道築堤工事や大坂中之島開発を行うなど常に川や水に関わりを持ったことから弁財天を守護神としたようです。


與杼(淀)神社にある大坂淀屋高灯籠
◆会報第61号より-05 墓石をたどる⑨_f0300125_214585.jpg 與杼(よど)神社内にある大坂淀屋と刻された2基の高灯籠ですが(写真5)、寄進時期としては宝暦己卯仲春日とあり、宝暦九年(1759)二月の事でありました。淀屋の再興が宝暦十三年(1763)ですから、淀屋再興の4年前に片岡正英、同政冬によって寄進されたようです。また、高灯籠横に「淀屋研究会」の案内板がありますのでご参照ください。

久修園院の片岡正英・政冬の墓石
 淀屋ゆかりの片岡正英・政冬の詳しいことは分かりませんが、二人の墓石は橋本の近く楠葉の久修園院にあります(写真6)。
◆会報第61号より-05 墓石をたどる⑨_f0300125_19142790.jpg

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by y-rekitan | 2015-04-28 08:00
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