◆会報第64号より-02  長岡宮

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《7月例会 歴史探訪ツアー》
長岡”宮”を訪ねて
   
― 2015年7月  向日市 長岡京市にて ―


歴史探訪『長岡“宮”訪ねて』バスツアー報告

藤田 美代子 (歴史探訪担当幹事)

 7月30日(木)快晴のもと、バス会社さんとの事前打合わせの通り、参加者は、四ケ所の集合場所より順次バスへと乗り込み、総勢30名にて、定刻通り9時30分に向日市へと向かいました。
 最初の見学地向日市文化資料館は、長岡京遷都1200年を記念して昭和59年(1984年)に開館され、長岡京をテーマに考古資料が分かり易く展示されています。
 資料館前の通り及び同館玄関前にてボランティアガイドさんが出迎えて下さり、本日の参加者の受付、会費徴収を済ませた後、3班に分かれ(事前にバス内にて、くじにより班分けしておりましたので、各自スムーズに班ごとに分かれ)、資料館内での説明を受けました。f0300125_11285943.jpg
 まず、ホールにてガラス内の大型模型により、古代から長岡京に至る迄の各時代の古墳の位置等ボタン押下げにより電光掲示され、素早く見られ、現在の阪急電車やJRとの位置関係を見据えながら、立体感のある表示で、地形の中での都の位置がよく解りました。
 長岡京は東西約4.3km、南北約5.3kmの広さです。中心に朱雀大路を通し、東を左京、西を右京と呼び、条坊制がとられています。約533mの方眼で区切られ、これを坊とし、各坊はさらに小路によって16に分けた町が設けられ、道路の幅は大路で24~15mあったとのことです。
 長岡宮は北に位置し、東西約1km、南北約1.6km。まわりは築地をめぐらし、各辺に朱雀門などの門を開いていたとのことです。また、タッチパネル対応の大型ディスプレイでは、都の大きさを大阪環状線内にほぼ収まる大きさであるとか、甲子園球場は幾つはいるかなど、非常に具体性のある説明映写でした。
館内に入りますと、都づくりに携わり半強制的に集められた農民たちの生活や、下級役人の仕事や勤務風景、貴族の暮らしぶりなどが丁寧に展示されています。食事内容からカロリー計算までなされており、貴族に比し農民たちがいかに過酷な労働を強いられていたのかもよく分かりました。又、木簡や筆記用具の出土により、役人の仕事ぶりも窺い知ること出来ました。
 資料館を出て、古墳時代前期(3世紀末)の全長92m、乙訓地域最古の全国的にも数の少ない前方後方墳である元稲荷古墳での説明を受け、向日神社へと向かいました。
 創建は長岡京遷都より古い養老2年(奈良時代)の718年で式内社です。本殿は室町時代の応永25年(1418)に造営が始まり、同29年(1422)に上棟されました。三間社流造の建物で国の重要文化財に指定されています。f0300125_11444057.jpg
 参道を下る前、ガイドさんが、“八幡市さんが見える場所がありますよ”とのことで案内頂いた所からは、町並みの向こうに、今朝一の鳥居を出発した八幡さんの山がふんわりと見えました。(個人的な感覚かも知れませんが、)ガイドさんのこのような配慮は何だかとても嬉しく、暖かい気持ちにさせられ、近隣に住むものとして友好的な関係が保たれればいいな、などと思えた次第です。
 次に“巻々”の合図を受けながら、大極殿や朝堂院の説明を聴き、「復元画家早川和子さんの描く長岡京」の助けも借り、しばし想像たくましく古き都に思いを馳せるも、時間が迫っているとの声に現実に戻されました。元旦には前庭にのぼり旗(宝幢)が立てられ、その柱が復元されていますとの説明を受けながら足早に駅へと向かいました。f0300125_11491178.jpg
 ボランティアガイドさんへのお礼もそこそこに失礼致しました。とてもご丁寧にご説明いただきまして、この場をお借りして御礼申し上げたいと思います。
 一駅先の長岡天神駅で下車、バス車内でお配りした資料内のレストランマップを参考にし、参加者の皆さん夫々に好きな昼食をとって頂きました。食後の集合場所にはどなたも遅れることなく、午後の部をスタートできました。
 中山修一記念館のスペースの関係で、以下のように2班に分かれました。A:中山修一記念館から恵解山古墳そして勝竜寺城公園とその逆B。(この午後の班分けも朝のバス内での説明で、 f0300125_11511440.jpg座席左右に分けて、スムーズにいきました。)私はB班でしたので勝竜寺公園からスタートとなりました。
勝竜寺城は、細川ガラシャ(明智光秀の三女で本名玉)が16才で細川忠興のもとに嫁ぎ、宮津に移るまでの3年間を過ごしたところです。今回は時間の都合で2階の資料館には入れませんでしたが、下見時に見ました38才での若さで自害したときの辞世の句
  「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
なる句が、堀や石垣や土塁の説明聞きながらも私の頭から離れず、戦乱の時代に生きた一人の女性の死を思い浮かべずにはいられませんでした。
 f0300125_11594569.jpgその後徒歩にて、恵解山(いげのやま)古墳へと向かいました。全長128mで乙訓地域最大の前方後円墳です。周濠を含めた全長は180mに達し、後円部には死者を埋葬した竪穴式石室があったそうです。刀剣など鉄製武器700点が納められた前方部中央の埋納施設は、全国的にも珍しいものだそうです。約600本の埴輪が基壇に立ち並ぶ様は壮観でした。5世紀前半頃の桂川右岸での乙訓地域を治めた支配者の墓と考えられているそうです。
 その後最終の見学地、中山修一記念館へと向かいます。冷房の効いている室内に入り、皆さん生きた心地がしたのではなかったでしょうか? 床の間に作られた中山先生手作りの長岡京条坊復元図を見ながら説明を受けました。私財を投げ打って、幻の都の解明に生涯を捧げられた先生の情熱と業績は、高く評価されるべきだと思いました。書庫内も見せて頂きましたが、蔵書数は図書館並みでした。f0300125_1235424.jpg
 今回のツアーの最後の楽しみであるサントリー京都ビール工場へと向かいました。大麦をカリカリと噛みしめて味わい、ホップ独特の香りを嗅ぎ、講習室を出て工場内のガラス越しに見る缶、ビン詰めのあまりの速さに、試飲前なのに目が回りました。やっと試飲会場へ到着し、ぐうぃ~いぐうぃ~いと頂いて皆さんいい気持になり、お土産を買って、ビール工場を後に、一路八幡へと帰りました。
 八幡市駅には予定通り16時30分着、出発と反対コースにて帰途につきました。
暑い中でしたが大変実りある歴史探訪ツアーであったと思います。下見の時点で興味が次々と沸き上がりややテンコ盛の感があり、欲張りすぎたでしょうか? 皆様さぞお疲れになった事と思います。
 私にとりましては、長岡京を知る良い機会でありました。これからも、まさに「歴史を探究する」ツアー企画の一員として参加できればなどと思っています。

歴史探訪『長岡“宮”訪ねて』を終えて

 非常に短い期間の都ではありましたが、参加者とお話していると、この長岡京を機会があれば訪れてみたいと思っていたとおっしゃる方が何人かいらっしゃいました。参加者でなくとも、意外に多くいらっしゃるのではないでしょうか。
 下記、担当幹事の一人として、経緯、反省点等記します。

〈行程について〉
 担当幹事四名にて、二度現地に下見を行い、行程表を作成致しました。向日市文化資料館をスタートし、史跡長岡宮跡そして中山修一記念館を軸とし、その間に元稲荷古墳、向日神社、勝竜寺公園、恵解山古墳を入れ、最終サントリービール工場にて、お疲れ様とすることを考えました。少々盛り沢山過ぎたかも知れません。
〈交通手段について〉
 前回山崎を訪れました時、往復タクシー利用とし、行きの八幡市駅出発時は待機タクシーが多く、スムーズに行きましたものの、帰りは予約不可とのことで、待ち時間を心配し、結果的にはスムーズに行き胸をなでおろしましたが、今回はその様な心配を解消すること及び参加者皆さんの懇親の場として、バスをチャーターすることと致しました。行程の説明や連絡事項等、バス内で一度に取れますし、大変便利だと思いました。参加人数が前日及び当日で5名減員となり赤字となってしまいましたが…。
〈暑さ対策について〉
 連日の猛暑により、熱中症対策を考えないわけにはいかず、体調については無理のない様、何度も再確認させて頂き、クーラーボックスを用意し、おしぼり、冷水を準備しておりました。又、お守り程度ですが塩飴をも資料に添えました。
〈反省点等〉
 歴史探訪はやはり古い時代に思いを馳せ、ゆっくり行きたいものだと思います。バス代は高騰しますが、春又は秋の季節の良い時に行くべきではないかと個人的には思いました。
〈最後に〉
 この暑さの中、ご参加の皆様には、お元気に、1人の落伍者も無く、無事八幡に戻れましたことをご報告し、締め括りたいと思います。

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長岡“宮”を訪ねて

小林 喜美代 (会員)


 7月30日、八幡の歴史を探究する会主催の「長岡“宮”を訪ねて」のツアーは、予想気温35度の中、30名が参加!
 9時30分、バスは、大きな期待を乗せて石清水八幡一の鳥居をスタートした! 向かうは向日市文化資料館、元稲荷古墳、向日神社、史跡長岡宮跡、勝龍寺城公園、恵解山古墳(いげのやまこふん)、中山修一記念館、サントリー京都ビール工場と多岐にわたる。
 車中で渡されたのは タイムスケジュール表、訪れる先々の地図、新聞記事からの紹介内容、リーフレット、昼食店の案内図、そして塩飴と細かな配慮満載の透明袋。
最初の目的地は、向日市文化資料館! 数名の案内の方が笑顔で迎えて下さった。この文化資料館は、長岡京が平城京から遷都されて丁度1200年後の1984年にオープンしたと言う。
 案内いただく方々全員が熱心に語って下さり、館を出て訪れる史跡は皆美しく手入れされていて向日市の長岡京に傾ける熱意の表れと受け止める。f0300125_053138.jpg
 長岡の中山修一記念館では、「長岡京は僅か10年で終わったので都があったか否か不明で幻の都と言われていたが、中山修一氏が朝堂院南門(ちょうどういんなんもん)跡を発見して以後、重要な遺構を次々と発掘し、長岡京中枢部の全容が明らかになった」と、午前より向日市で説明を受けていた内容を復習させてくださるかのようにまとめをして下さった。
 帰宅後、透明袋の資料に再度目を通すとポイントを抽出したような資料で訪れた史跡の理解が更に深まり嬉しい!
 次回JR東海道線を大阪から京都に向かって走る際には大きく目立つサントリー工場を目印に、数百メートル京都側にある今日読めるようになった恵解山古墳(いげのやまこふん)、そして勝龍寺城はあのあたりと今回のツアーの足跡をなぞろうと決めた。

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by y-rekitan | 2015-07-28 11:00 | Comments(0)
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