石田神社 所在地 八幡市上津屋里垣内 上津屋里垣内にある社は、里・浜・東の三集落の氏神で牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と称し、明治になって「石田神社」と改称されました。祭神は素戔嗚(すさのお)神で牛頭天王と同体で、この地が度々木津川の水害に見舞われたためか、疫病に対する守護神として信仰されました。現本殿は嘉永4年(1851)の造営です。 社の『天王神社記』によると、起源は大宝2年(702)内里の山中に現れた素戔嗚神を上津屋の地に祀ったことに始まると伝えています。治承4年(1180)源頼政の兵乱で社殿は焼失、復興のために文治4年(1188)源頼朝により神事料として52貫文の地が寄進されました。 元弘の乱では、笠置山参陣の際に楠正成が社に立寄り、願文を奉納したと記されています。 拝殿には、明和2年(1765)に上津屋村庄屋の伊佐政徽氏奉納の算額があり、和算問題が示されています。これは、京都では八坂神社に次ぎ、全国では9番目に古いものです。 (絵と文: 小山嘉巳)
by y-rekitan
| 2015-10-28 12:00
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