◆会報第67号より-04 狐渡口

旅人は何故片手を挙げているのか

野間口 秀國 (会員)


 9月27日に行われた “「歴史たんけん八幡」出版記念の集い” にお寄せいただきました多くのメッセージは、作成に携わった一人として嬉しい限りでありました。それらの言葉の中には祝いやお褒めのみならず、今後の活動への叱咤激励もあったように思います。歴探の会報66号(2015年9月28日発行)に掲載されました、“「狐渡口」の絵図(第10章3項、51頁に掲載の図番97)についての、「狐渡口に描かれた旅人は何故片手を挙げているのでしょうか」” との疑問もその一つと受け取り、ありがたく読ませていただきました。f0300125_2103794.jpg
 答えの一つは51頁に、「・・・旅人が岸をはなれた櫓こぎ船を見送っているよう・・・」と書かれてあります。しかしながら「更なる答え探しが求められているのであろう」、そう考えて答え探しを試みてみました。
 そのために最初に取り組んだことは、初稿を書く時に参考にさせてもらった、谷崎潤一郎によって書かれた『蘆刈』(*1)を改めて読んでみることでした。そこには、「(略)上流に狐の渡しといふ渡船場があった事を記して長さ百十間(*2)と書いているから(略)」とあり、初稿当時、狐の渡しのあった場所やその大きさの理解に役立ったことを思い起こしていました。
 次は、何と言っても描かれたその現場に身を置くことでした。狐の渡し跡は小泉川の河口にあったとされていますが、現地(*3)には別の目的でも一度ならず足を運んだこともあるとは言え、描かれてから長い年月が経っており、その名残は見つかりません。f0300125_218596.jpgそんな時には大山崎町教育委員会によって建てられた説明板は大きな手助けになってくれました。その場に立ち、前方の男山を見る時、百十間の長さや渡る風も体感でき、答えに近づけたような気がしました。 しかし、ここでは見つかりませんでした。
 次なる試みは、改めて描かれた絵を見ることでした。すると、そこには絵と共に文字が書かれていることに気づきました。そこで、ここに何が書かれているのかを考えてみました。書かれた内容が何なのかと、無い知恵を絞っていると、ふと『蘆刈』に書かれた文章を書き留めたメモに、「(略)長いこと想ひ出すをりもなかった耳ざわりのいい漢文のことばがおのずから朗々たるひびきを以て唇にのぼって来る。」とあることに気づきました。絵に書かれた漢字は七言絶句の漢詩であるとの思いに至り、即刻先輩会員のAさんに書かれた文章についてご教示いただきました。
 遥天中断一川浮 白水青空日夜流 
 風急扁帆追去鳥 何人千里向滄洲

ようてんちゅうだんして いっせんうかぶ 
はくすいせいくう にちやながる 
かぜきゅうにして へんほきょちょうをおふ 
なんぴとかせんり そうしゅうにむかう 
 『歴史たんけん八幡』に掲載された『淀川両岸一覧』の「狐渡口」絵図を改めて見ながら、先にあったものは、絵なのか、それとも漢詩なのかと考えながら前述の漢詩を何回も読み返してみました。ここで言う漢詩の「何人」は絵の中にある「旅人」であり、「去鳥」は左上に描かれた(渡り鳥のような・・)鳥なのだろう、などと。旅人が左手を挙げているのは、「飛んでゆく鳥を明るい光を避けながら眼で追っている動作」ではないでしょうか。旅人の目指す滄洲と鳥の向かう方向が同じ(なのだろう?)ことをこの絵と詩で表現しているのでしょうか。いただいた小さな疑問、「旅人は何故、片手を挙げているのでしょうか」に対する私なりの答えです。
 9月下旬に京都東山の将軍塚青龍殿へタカの渡りを観察に出かけました。その日は生憎の曇天で上昇気流も起きずに目的を達することはかないませんでしたが、私たちの頭上を滑るように飛翔するトンビを眺める人たちの動作は、旅人のそれと似ていたことがとても印象的でした。

(*1)『蘆刈』 谷崎潤一郎集(一) 現代日本文学大系30 筑摩書房
(*2)百十間: 1間を1.818mとして計算するとほぼ200m
(*3)大山崎町の桂川河川敷公園(小泉川河口付近)
by y-rekitan | 2015-10-28 09:00 | Comments(0)
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