三宅安兵衛の道標 街を歴史散策するとき、今も昔も変わらない強い味方が「道標」です。 八幡市内には、多くの「道標」が見られます。碑裏を見ると、そのほとんどが「京都三宅安兵衛依遺志建之」と刻まれています。 この三宅安兵衛氏は、天保13年 (1842)若狭小浜で生れ、京都で帯織物業を営み、財を築きました。79歳で亡くなる前年、長男清治郎氏を呼び、1万円(現価値にして5,000万円)を渡して「公利公益に使え。用途は一任する」と遺言したと伝えられています。 清治郎氏は、父が旅好きであったことから旧蹟案内と道標の建碑を決め、大正12年(1913)から8年間にわたって、南山城一帯を中心に、京都帝国大学考古学講座担当教授、浜田青陵博士の協力を得、400基に及ぶ建碑を実行しました。費用の総額は2万円(同、約1億円)に達したといいます。 八幡市内に建てられた三宅氏の道標は70基近く、旧蹟碑を含めると120余基にも及び、これには八幡の郷土史家西村芳次郎氏の協力がありました。 (絵と文: 小山嘉巳)空白
by y-rekitan
| 2015-11-28 12:00
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