◆会報第69号より-02 八幡古寺巡礼3

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《歴探ウォーク》
八幡の古寺巡礼
― 第3回 男山山麓の寺を巡る(Part2) ―  

2015年12月 八幡市内 にて
高田 昌史 (会員)

 今年の歴史探訪ウォーク(古寺巡礼)は、昨年に引き続き「男山山麓の寺を巡る」Part2として、12月1日に2寺院を巡りました。
 その概要を報告します。なお、参加者は35名でした。

1.第3回古寺巡礼コースについて

 f0300125_2281245.jpg当日は八幡市駅前で受付をしてから、さざなみ公園の安居橋前に集合し、今回の世話役紹介や歩行時の注意事項をお話した後に、受付で配布の「しおり」によりコースの概要説明をしました。しおり表紙にはコース図入れましたが、左図はコースの地形図を示しています。巡礼のコースが八幡市駅を中心に男山山麓の東部と北部方面であることがよくわかります。また、今回の八幡市駅近くの2寺院を巡るコースは、歩行距離も約2.5kmと短く訪問先の寺院での時間が取れるので、本妙寺では特別にご住職のご厚意により通常は公開していない京都府指定文化財の「雲版」や八幡市指定文化財の「本妙寺文書」を見せていただくことを予告して、最初の訪問先の本妙寺に向かいました。

2.本妙寺

 さざなみ公園の安居橋前を出発してから、10分足らずで本妙寺に着きました。本妙寺は法華宗真門流本隆寺末寺です。安土宗論で犠牲となった普伝日門に帰依する竹内伊豫守経孝によって永禄7年(1564)頃創立されたそうです。現在山門はありません。境内入口には2基の石碑(三宅碑)があり、手前碑の正面には“日門上人墓所 本妙寺”とあります。先ず境内の「日門上人の墓所」に向かいました。f0300125_22253652.jpg
 この墓所は、田中智学(宗教家)が「安土法難」執筆で、本妙寺に墓参したときに安土宗論(あづちしゅうろん)の犠牲になった、宗門の偉人に相応しい墓を提案して大正11年(1922)4月に除幕式を行ったとのことです。墓所には「墓碑」と「敬称の碑」が建てられていました。
 次に、明治維新の廃仏毀釈の時に八幡宮境内からこの地に移された、本堂横の「妙見堂」を見学してから、本堂に向かいました。
f0300125_22282380.jpg本堂では小島住職のご講話を拝聴しました。講話では本堂内陣の各仏像のこと、法華宗及びお寺の歴史について詳細に説明していただきましたので、いままであまり馴染みがなかった法華宗のことや本妙寺の歴史がよくわかりました。特に、本妙寺の日門上人が犠牲となった「安土宗論」事件の法華宗と浄土宗の法論とその後の事などよくわかりました。また、現在八幡市の寺院は51ヵ寺で、その内法華宗は2ヵ寺あることも伺いました。
 ご講話に引き続き今回本堂に特別に出していただいた、本妙寺所有の以下の文化財の説明がありました。 
雲版
f0300125_975161.jpg 昭和61年に京都府指定文化財に登録されている京都府下で一番古い雲版である。表の銘文は「永徳2年壬戌継宗寺八月 日施主源材」と刻まれている。雲版は永徳2年(1382)に鋳造され、継宗寺に奉納されたが、その後、天文16年(1547)に本妙寺の本山である本隆寺に買い求められた。この雲版が現在の本妙寺に移ったのは明治時代に入ってからといわれる。

竹内伊豫守経孝肖像f0300125_9242287.jpg 
 この肖像は竹内伊豫守の子孫の方の所有であったが、本妙寺に寄贈されてからこのように修理された。今まで何回か修理されていたが、今回はできるだけ最初の状態に戻すように努めたとの説明があった。なお、この肖像は竹内伊豫守の命日5月21日の1日間のみ公開されるようである。
 竹内伊豫守〔?― 天正13年(1585)〕は、もと八幡郷の住人で幼少より八幡山中坊で僧侶をしていたが、織田信長に見出され還俗して信長に仕え、武勇の名をあげたという。その後、八幡に帰り、八幡宮神人として柴座町に居を構え、姓も松田と改めた。
 竹内伊予守は寛永の文化人として名高い松花堂昭乗を養育した人物との説もある。(『男山考古録』)

鐃鈸(みょうはち)
 見せていただいたのは法華宗の葬儀や説法の場で打ち鳴らすシンバルのような鳴り物法具で、実際に小島住職が打ち鳴らすと見事に回転もした。この鐃鈸(みょうばち)が楽器シンバルの原型のようである。

本妙寺文書
 本妙寺に残る古文書142点のうち40点が、平成8年に八幡市指定文化財になった。八幡市指定文化財のなかで古文書指定第1号である。内訳は、沢庵書状1点、土地の転売時に添えられる売券(室町時代後期~江戸時代)が31点、将軍が代わる度に寺領安堵のあかしに発給される朱印状が8点などである。
 今回はそのうち、沢庵の書状と朱印状1点を展示されました。特に沢庵の書状は「紫衣事件」を語る貴重資料として注目です。(注記:沢庵書状の詳細については、別稿で例会担当幹事の丹波さんから報告されます。)
 八幡では、石清水八幡宮や正法寺以外の寺院でこのような貴重な古文書がまとまって残っていることはめずらしいと思います。
 本堂での講話と見学終了後は、本妙寺さんのご厚意により、お茶とういろうをいただいてから次の訪問寺の常昌院に向かいました。

3.常昌院に向かう

 本妙寺からは放生川の右岸の川沿いの歩道を歩き、八幡市駅近くの全昌橋から車道にあがり、常昌院に向かいました。途中の「長宗我部盛親隠れ家」の前では、長宗我部盛親が大坂夏の陣で豊臣方の武将として参戦し敗れ、慶長20年(1615)5月7日、石清水八幡宮の麓の民家に逃れ、f0300125_9521296.jpgこの家から京に赴く徳川家康の通過を伺っていましたが捕えられたとの説明がありました。
 常昌院には午後3時過ぎに着きましたが、山門の左側に樹齢400年といわれている八幡随一の巨椿・日光(じっこう)が目を引きました。ぜひ椿の開花の頃に再訪したいと思います。
 この常昌院は曹洞宗神應寺の末寺です。
 f0300125_9565100.jpg常昌院は神應寺19世住職 廓翁鉤然(かくおうこうねん)が、元禄時代に麓の庵として開かれました。しかし、その後檀家がなく無住になっていましたが、昭和43年に大木祖浄住職(現神應寺住職)が整備されたとお聞きしました。
 境内を見学してから本堂に上がり大木玉昭住職の説明をお聞きしてから、本堂内を見学しました。
ご本尊は「地蔵座像」で、座っておられる地蔵尊は珍しいといえます。この地蔵座像は鎌倉期に作られたといわれています。
 本堂を退出して、本堂右の平成9年に信者から寄進された石に描かれた不動明王が祀られているお堂を見学してから、常昌院山門で解散。 橋本方面と八幡市駅方面それぞれに帰られる方とに別れて本日の古寺巡礼は終了しました。

おわりに

 連続3年になる「第3回八幡の古寺巡礼」は、お陰様で無事終了しました。
特に、本妙寺の小島住職には長時間にわたるご講話と展示物のご説明をしていただき、有り難うございました。それにご住職のご厚意で多くの寺宝である文化財を特別に展示いただいたことに対し厚く御礼申し上げます。
 また、しおり作成段階では常昌院の本山である神應寺の大木祖浄住職ご夫妻からいろいろとお教えいただいたことを申し添えたいと思います。
 八幡には多くの古寺があり、これからも「古寺巡礼」を継続することで、八幡の歴史を探究して行きたいと思います。


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by y-rekitan | 2015-12-28 11:00 | Comments(0)
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