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◆会報第69号より-08 茶くれん寺

京の街角にある「湯たく山茶くれん寺」

野間口 秀國 (会員)


 京阪電車の橋本駅の大阪方面改札口前に「湯澤山茶久蓮寺跡」と刻まれた三宅碑があることは既に多くの人たちに良く知られています。同じく道を挟んだ向かい側に西遊寺があり、これまたこの駅で日頃乗り降りする地元の人たちにはお馴染みの寺であり、八幡市の歴史に関心のある人たちには良く知られた寺であると思います。
 改札口を出て寺への石段を数段登り門をくぐると、けっして広いとは言えませんがきれいに手入れされた庭が目に入ります。そこには八幡市郷土史会による寺の起源が書かれた案内板が建てられてあり、案内の最後の部分に「湯澤山茶久蓮寺」についても書かれてありますのでその部分を以下に書いてみたいと思います。曰く“・・・ 秀吉公が天王山で明智光秀と戦った山崎合戦の折この地に立寄りお茶を所望したところ湯ばかり沢山出したので湯澤山茶久蓮寺といったと伝えられている。”と。
 
 ところで、先述の三宅碑に刻まれ、◆会報第69号より-08 茶くれん寺_f0300125_22264577.jpg秀吉公に「湯澤山茶久蓮寺跡」と言われた寺は西遊寺では無くて常徳寺であることも知られていることです。他にも、“・・・豊臣秀吉の帰依を受け、ある日寺を訪れた秀吉が茶を所望したのに白湯(さゆ)を進上したので「湯沢山茶くれん寺」と言われたという伝説が残っている。”と書かれたものもあります。常徳寺は曹洞宗の禅寺であり、浄土宗のお寺である西遊寺の西隣にあったことも分かります。(*1)また、常徳寺の跡を印す三宅碑が現在では西遊寺の北東隣りに建てられていることが確認できます。

 ところで、表題に書きました京の街角にある「湯たく山茶くれん寺」について書きたいと思います。既に寺の存在を知っておられる皆様には特に新しいことでは無いと思いますが、私に取りましてはまさに今はやりの「びっくりポン」でした。この寺の近くに住む私の知人がこの秋に石清水八幡宮を訪れ、その際に橋本駅近くに「湯澤山茶久蓮寺跡」碑があることを知り、彼の住む所の近くにも同名の寺が今でもあることを教えてくれたのです。これは実際に足を運んで確認してみようと思い立ち、少し寒かったのも意に介さずに出向きました。京阪電車の出町柳駅からバスに乗って西に向かい、千本今出川で降ります。千本今出川の交差点の西北角にお茶屋さんがあり、そこを起点に今出川通りを西にわずかに歩を進めると二つ目の寺がそれです。バスを降りて注意して見ると、古くからの南北の大通りである千本通りには歩道に「史跡めぐり」と記したおしゃれな表示板を吊るした柱があり、そこにも「茶くれん寺 すぐ」と記されています。
 寺の名は浄土院(湯たく山茶くれん寺)で浄土宗の尼寺です。寺でいただいた案内の栞の表には「豊公ゆかりの史跡 浄土院 湯たく山茶くれん寺」とあり、その謂(いわ)れが裏面に書かれてありますので、そのまま以下に書いてみたいと思います。

秀吉公と湯たく山茶くれん寺

 天正十五年(1587)十月一日、秀吉公が九州征伐の勝利と聚楽第の完成を記念して北野天満宮内の松原で「北野大茶湯」を催されました。その折、秀吉公が北野に向かわれる途中、当院に立ち寄られ、お茶を所望されました。
 住職は一杯目のお茶をお出しした後、秀吉公が、二杯目を所望されたため、世に知られた茶人でもあるお方に、自分の未熟なお茶をお出し続けるのは失礼でもあり、恥ずかしいことであると考え、それならばお寺に湧き出る香ばしい銀水をそのまま味わっていただこうとの想いより、沸かしただけの白湯を出し続けたといいます。
 一方、秀吉公はお茶のお変わりを頼んでいるのに出てくるのは白湯ばかりと、初めのうちは驚かれましたが、そのうちに住職の思いを悟られてお笑いになりながら「この寺では、お茶を頼んでいるのに白湯ばかり出して、お茶をくれん。湯たくさん茶くれん。」と言われました。
このエピソード以降、「湯たく山茶くれん寺」と呼ばれるようになったと伝えられています。(*2)

既にお気づきと思いますが、この浄土院では「九州征伐の勝利と聚楽第の完成を記念した茶会」の際であり、常徳寺では「山崎合戦の折この地に・・」とあり、西遊寺では「ある日寺を訪れた秀吉が・・」とありました。いずれの史実が確かであるか、また実際にあったのかなどを知ることはできませんが、山崎合戦(*3)が天正十年(1582)のことですから、それぞれの寺で秀吉が茶を所望したことがあっても不思議ではありません。歴史に登場する偉い人には複数の場所でいろいろな伝説が語り継がれることを知る一例であると思いました。◆会報第69号より-08 茶くれん寺_f0300125_223759100.jpg
 浄土院ではご説明いただいた方に「秀吉公にお出しした銀水を汲み上げた時に使用されていたと伝える井戸は、傷んでいるために覆われてあり今では使用されておりません」とのことや、「同名の寺は姫路にもあるそうですね」(*4)などと教えていただきました。ちなみに、浄土院の門の右側、木の枠で囲まれた石柱に「湯たく山茶くれん寺」と刻まれていることを確認できました。機会を見つけて姫路のお寺にも足を運んでみたいと思っています。親切にご説明いただきました浄土院の方に、また情報を提供してくれた知人にもありがたく感謝申し上げます。

参考資料;
(*1)2014年3月15日(土)歴探の歴史探訪ウオーク 橋本の歴史(1)「京街道を歩く」の配布資料・歴史探訪の見所①②
(*2)浄土院 湯たくさ山くれん寺の案内栞
(*3)『日本史年表・地図』児玉幸多編 吉川弘文館刊 
(*4)Wikipedia 法輪寺(姫路市)、他のブログ

by y-rekitan | 2015-12-28 05:00
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