◆会報第75号より-03 御幸橋南詰道標

御幸橋南詰の「石清水八幡宮鳥居通・・・」
道標は何処に?


高田 昌史 (会員)
谷村  勉 (会員)

 2009年まで木津川御幸橋南詰の八幡市駅側緑地帯に設置されていた「石清水八幡宮鳥居通」の大きな道標が、御幸橋の改修工事に伴い撤去されてその後は行方不明でしたので、由緒ある道標がなくなっていると懸念していました。
 私たち八幡の歴史を探究する会の「八幡の道探究部会」活動の一環として、道標の行方確認のために、先ずは、御幸橋改修工事をした京都府山城北土木事務所等を訪問し調査を開始しました。その後の調査により、この道標に関しての貴重な情報を得ると共に新たな発見もありました。私たちは、引き続き道標を元の場所に設置されることを目的に活動をしていますが、今までの経緯をドキュメンタリー風にまとめて報告します。

1.御幸橋改修前までの道標設置状況

 2004年から京都側宇治川の淀川御幸橋の改修工事が着手され、 引き続き木津川御幸橋の改修工事が始まり翌年2010年6月に3代目の木津川御幸橋が開通しました。新御幸橋は旧橋より上流側に設置されたために、南詰の道路は十字路になり京阪八幡市駅には直進で行けるようになりました。
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 しかし、この改修工事に伴い木津川御幸橋南詰前の緑地帯がなくなり、そこに設置された道標や石碑が撤去され行方不明でした。(図1は撤去前の緑地帯)
 また、長年八幡市を訪ねられ2013年に「八幡市の道標を訪ね歩く」(私家版)の冊子を纏められたf0300125_14174598.jpg神戸市在住の荒木勉氏は、同冊子に“亡失「鳥居通の道標」”と記載され、1996年撮影の写真(図2)を掲載して、道標の行方を心配されていました。(注1)
 図3は、現在の木津川御幸橋南詰の交差点です。私たちはこの場所に設置されていた道標の行方調査を開始しました。

2.御幸橋改修工事で撤去された道標の行方調査
 
 2016年7月22日に改修工事を担当された京田辺市の「京都府山城北土木事務所」を訪問して、直接道路計画室のかたに道標の行方の聞き込みをしました。
その結果、探していた「石清水八幡宮鳥居通」の道標は、横に設置されていた「京阪国道改修記念碑」の石碑と共に、河原に保管しているとの説明があり、場所が確認できれば連絡いただけることになり帰宅しました。その後に電話で道標は石清水八幡宮にお渡ししたと連絡がありました。ただ、それに拘わる書類等はわからないとも伺いました。
早速、石清水八幡宮に連絡して道標の現物を預かっておれるか、問合せをしましたところ、頓宮に保管しているはずであるが、当時の担当者は既にいないので、何処に保管しているか確認し、また、その保管状況を調査してから連絡するとの返事でした。翌日の8月5日(金)に石清水八幡宮の西禰宜から、頓宮の中庭にビニールシートに包まって保管しているとの連絡がありましたので、すぐに現物を確認したいと申し入れたところ、8月7日(日)に西禰宜が直接現場に案内していただく運びとなり大変恐縮しました。

3.道標は大切に保管されていました
―そして新たな発見がありました―

 私たちは8月7日(日)10時に頓宮に出向き、現場に案内していただきました。保管場所は一般の方は立ち入れない頓宮中庭の軒下にシートに包まれて大切に保管されていました。f0300125_14374397.jpg早速、西禰宜立会のもとにシートを外して道標を確認しましたが、残念ながら道標の地中に埋もれている箇所は折損していました。(図4)
 高さ2m以上ある大きな道標なので、設置されている時はよく見ることが出来ない先端部は縁取りされた角錐形状であること確認しました。
 引き続き、碑文を確認していくと最下部に【御幸道】の碑文があることを発見し、正直ビックリしました。今までの道標設置時は、図2の写真で判るように、この道標の碑文全文は「石清水八幡宮鳥居通」であると認識していました。
f0300125_1441118.jpgしかし、今回の撤去された道標全体の現物確認により道標下部のコンクリートで固めてられていた部分に【御幸道】が隠れていた事を発見・確認できたことは、大きな驚きでした(図5)。写真では地中部の文字の彫りの中に、コンクリートが一部詰まっているために判りにくいですが、間違いなく碑文全体は「石清水八幡宮鳥居通御幸道」です。

4.道標「碑文」の再確認及び検証

 今回、新たに道標の最下部に碑文【御幸道】を確認できたことは、この道標が正徳3年(1713)石清水八幡宮検校新善法寺行清によって建てられた「石清水八幡宮鳥居通御幸橋」であることを奇しくも御幸橋の改修による道標の撤去により確認できました。
 f0300125_14494921.jpg図6に2009年まで御幸橋南詰に設置されていた「石清水八幡宮鳥居通」の道標の外観写真と、橋改修工事で撤去されて頓宮の中庭にシートに包まれて保管されている状況写真を並べ比較しました。碑文の最下端の下の埋もれていた【御幸道】の碑文が明らかです。
 従って、今回の碑文全文の確認により、嘉永元年(1848)刊行の男山考古録巻第十一の “御幸道“の項に
「一の鳥居を北へ壹條の道路ありて・・・・北堤防に近く、正徳三年癸巳六月十七日、石清水八幡宮鳥居通御幸道といふ標碑を建てられたるハ、新善法寺行清法印也、・・・」と記載されている、その現物であると推定できます(注2)。なお、昭和57年(1982)に八幡市郷土史会から刊行された(やわたの道しるべ)には、“この道標が新善法寺行清によって建てられたものであるかは不明”と記載されています(注3)。今回新たな碑文確認により、新善法寺行清により建立された道標である事を証明されたといえます。  この御幸橋南詰の道標から直進すると一の鳥居に向かう御幸道であることは、内閣府文庫所蔵の「山上山下惣絵図」に描かれています(注4)。

5.道標の再建について

 以上の貴重な確認(発見)により、次期ステップとして1日でも早くこの道標に碑文全体「石清水八幡宮鳥居通御幸道」が見えるように御幸橋南詰に再設置の推進を要望するために、翌日の8月8日(月)八幡市役所「都市整備部都市整備課」を訪問しました。
 なお、大変急いだのは、来年3月に木津川御幸橋北詰に「三川合流施設(展望タワー)」が完成するので、それにあわせて八幡市事業の南詰の空地整備計画が完了したら、間に合わなくなるのではないかと心配したからです。
 当日の懇談で担当の方からは、南詰の緑地帯整備は今年から来年の2ヶ年にかけて実施すると説明を受けました。その上、私たちが道標の行方調査で最初に訪問した「京都府山城北土木事務所」から、数日前、緑地帯へ道標再設置に関する確認電話があったことも伺い、スムースに面談が出来ました。f0300125_14571825.jpgまた、来年整備予定の緑地帯(図7参照)の整備計画図面を見せていただき道標設置の計画や場所も確認できました。
 私たちは、再設置時は現在折損している箇所は接合して碑文が今までのように地中に埋もれることがない設置を依頼し、担当の方からは具体的に設置の詳細計画時は、ご連絡いただけることを約束していただき安堵して帰宅しました。
 以上が記録的な猛暑の中、約1ヶ月間の木津川御幸橋南詰の道標の調査・再建に関する経過報告ですが、私たちはこの道標が現場設置が完了するまで見守りたいと思います。

《御礼と御報告》

 今回の道標の行方調査から再建計画までの調査聞き込みは、多くの方々のご協力により期待していた以上の事が判り、後は希望通りの再設置を待つことになりました。
道標の行方調査では、最初にお世話になり、その後もいろいろと情報をいただいた京都府山城広域振興局建設部「山城北土木事務所」の方々には、この紙面をお借りして御礼申し上げます。
 また、石清水八幡宮の西禰宜には、突然の道標の行方問合せにも拘わらず、すぐに調査されて、数日後には保管場所への案内と現物確認に立会いただきました。厚く御礼申し上げます。
 それから、最初の項で報告しました“石清水八幡宮鳥居通”の道標の行方を心配されていた神戸市在住の荒木勉様にご報告するために、ご自宅にお電話しました。すると奥様から「八幡市の道標を訪ね歩く」(私家版)を平成25年(2013)7月の完成後に体調を崩されて、同年12月にご逝去されたことをお聞きしました、一度お目にかかって懇談したいと思っていましたので、大変残念です、謹んでご冥福をお祈りいたします。なお、奥様からは荒木様の撮影された写真や資料の使用については、ご了承をいただきました。

注記
 
(注1)「八幡の道標を訪ね歩く」(私家版)平成25年7月15日
  八幡市民図書館に寄贈
(注2)男山考古録(長濱尚次著)嘉永元年 
  -石清水八幡宮史料叢書1-
(注3)やわたの道しるべ(八幡市郷土史会)昭和57年10月発行
(注4)山上山下惣絵図(国立公文書館内閣文庫蔵) 江戸時代中期の絵図
※八幡市立図書館1Fロビーに掲示されています。

by y-rekitan | 2016-09-20 10:00 | Comments(0)
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