◆会報第77号より-07 東高野街道

大阪府下の東高野街道に「やわた道」の
道標を訪ねて


谷村 勉 (会員)


 近年、東高野街道という道の名称が八幡市内に聞かれるようになり、八幡市に住む住民にとっては大変な違和感を持ちました。八幡市内の道を今までに「東高野街道」などと呼んだ記憶がないからです。八幡の道を「東高野街道」と呼ぶのは可笑しい?という立場から以下報告致します。・

 八幡は周知の如く平安時代(貞観元年・859 年)の八幡宮遷座以来、石清水八幡宮を中心に発展し、周辺の街道も八幡宮参詣道として凡そ 1,100 年以上の歴史を紡いできた経緯があります。特に近世江戸時代にはどの大名の支配も受けず、なおかつ検地免除(税金免除)の町として整備され、裕福な蔵の町と称されるほど神領自治組織の地として繁栄してきました。その八幡に他の宗教施設を連想するような街道名が存在するはずもなかったのです。

 なぜ最近「東高野街道」などと言い出したのかと問いますと、観光戦略として観光客を誘致するために言い出したようです。観光客や八幡に越してきた人々や八幡の道を散策する人々が、昔から八幡の道を「東高野街道」と呼んで来たかのように錯覚している現状を見ると、歴史街道と言いながら、歴史を顧みることもなく、八幡の歴史を知らない人々が多すぎて、このような事態になった様です。観光の集客目的に道の名称を付けるなら、固有の歴史的名称である「八幡宮道」で良かったはずですが、八幡の道の歴史調査を怠り、八幡に住んだこともなく、歴史も知らない学者や役人の言葉を借りて、何処かのブームにおもねるかのように、いわゆる「東高野街道」と名付けてしまった感があります。八幡宮参詣道を「東高野街道」と言い換えれば、八幡固有の歴史が歪曲されてしまう事態に繋がらないかと大変な懸念を持ちます。我々が八幡に云う処の高野街道とは洞が峠を起点として、大阪府下に向かう道が歴史としての高野街道です。八幡宮を目指して八幡に入れば「やわた道」、「八幡宮道」となって、大勢の八幡宮参詣者が往来する道でありました。私にとって大阪府下の東高野街道沿いの交野、村野、星田、茄子作などは昔から馴染みの町々でありました。今回、従来気にもしなかった大阪府下の東高野街道を歩き、街道筋に一体どのような「道標」があるのか興味が湧きましたので、「やわた」と記入された道標を中心に踏査しました。東大阪市に初めて「やわた」と記入された道標があり、結局、東大阪市から八幡市に向かって合計 12 基の道標が確認できましたので、現存する道標を紹介し、いかに「やわた道」として認識されてきたかを伝えることができればと思います。いわゆる「東高野街道」が在って「国宝の石清水八幡宮」が存在するのでは本末転倒の話になります。実に固有の歴史が八幡には溢れていますが、やはり現場を歩き、八幡の道の歴史を自分の目で確かめる作業が不可欠だと思いました。

*東大阪市喜里川町の道標

最初の東大阪市喜里川町での「やわた道標」は 2 基あります。

 1基目は近鉄瓢箪山駅から北に向かい「喜里川町南」の信号右側の「瓢箪山安全安心ステーション」横に在りました。
 2基目は 1 基目の道標から斜め北へ凡そ 200m 程の地点にありました。
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*東大阪市箱殿の道標

 暗峠越奈良街道との五叉路の交差点、開業医の銀杏の木が目印。
 大師堂の横に観音像の道標がある。また奈良街道を東にとればやがて小さな公園が右に見え、大坂夏の陣で家康が陣を張った所に出会う。
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*東大阪市日下町の道標

 街道沿いの孔舎衙(くさか)小学校の敷地内にある。
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*大東市中垣内の道標

 阪奈道路を横切って暫く行くと古堤街道交差点の郵便ポストの横に「龍間山不動尊」の道標が目に入る、東に少し入れば「右 大峯山上道」の大きな道標がある。
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*四条畷市中野の道標

 清滝街道との交差点には 3 基の道標が並んでいるが、地蔵道標が「やわた道」の道標である。
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*寝屋川市の道標

 寝屋川市には打上と寝屋に 2 基の道標があり、JR 東寝屋川駅近くの打上の辻に道標が 1 基あり、秋葉山の燈籠もある。さらに北へ進めば傍示川手前に弘法大師像を見て川を越えると、寝屋の大井川万吉の自然石道標があり、JR 星田駅へと向かう。なお江戸時代、星田村は石清水八幡宮の他領神領(148 石余)でした。
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*交野市私部(きさべ)西の道標と本尊掛松

 東高野街道と山根街道の合流点にある「京八幡道」道標、左の道が東高野街道で、坂を下ったところに、本尊掛松の立派な地蔵像がある。南北朝時代、石清水八幡宮神職小川伊高が法明上人と予期せず出会った所で、共に霊夢を受けて融通念仏宗の本尊「十一尊天得如来画像」を小川伊高からここで授かった法明上人は歓喜のあまり、松の木に本尊をかけて踊りだした。融通念仏中興の祖と言われる法明上人と小川伊高はその夜茄子作北の犬井甚兵衛屋敷に泊まり、その後、小川伊高は法明上人に帰依し、大坂平野郷に住んだと伝わっています。
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*交野市松塚の道標

 こちらも地蔵道標、中央の地蔵尊。普通の角柱道標と思いこみ探し回った。
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 なお、交野市は江戸時代まで石清水八幡宮の他領神人が多く住んだところで、石清水放生会の祭祀には「火長」「火燈」「御前払」の役を担いました。

*枚方市郡津の道標

 枚方市村野浄水場南側の郡津墓地内にある。
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*枚方市大嶺の道標

 春日街道と交差する所から 100m 程外れた所に道標がある。
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*枚方市出屋敷の道標

 街道の雰囲気を残す枚方市出屋敷の町筋。
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「京 やわた道」の道標について

 大阪府下の東高野街道を東大阪市から枚方市まで踏査して「やわた道標」ともいうべき江戸時代の道標を見るにつけ、その土地の人々の道標に巡らす思いや、その変化に富んだ形態には豊かな創造性を発見した思いです。ここに報告しました道標は殆ど江戸時代のもので、これらは歴史街道にふさわしいものでありました。枚方市出屋敷の「東高野街道 壱里」の石碑は「洞ヶ峠から壱里」を示す明治の道標です。道標の形態には角柱が圧倒的に多いのですが、江戸時代にはめずらしい「指矢印」の道標を東大阪市喜里川町で見ました。また東大阪市箱殿に在る「観音像」を彫った角柱は見応えのある道標に仕上がっています。四条畷市中野の舟形光背の地蔵道標は他の二つの道標と並んで特異の存在感でありました。交野市松塚の地蔵道標も周辺の地蔵尊が集められて四体とし  一石五輪塔の一基を加えた中央のやや大きな地蔵の舟形光背に「京やわた道」と彫られていました。寝屋川市寝屋の「大井川万吉」の道標には自然石が使用され、力士の力強さが表現されています。比較的八幡に近いこれら周辺地域の人々がこの街道を「京道」、「京街道」とも呼んでいたようです。それは道標群とともに、古文書調査でも報告されています。ともあれ、多くの人々には名所、旧跡に加えて是非「道標」の持つ魅力にも目を止めて欲しいと思います。

八幡宮を目指す歴史としての道標

f0300125_2152265.jpg 「京 やわた道」あるいは「やはた道」の道標に導かれて洞ヶ峠に付いた人々は、ここに来てやっと「やはた道」に入ったと実感し、ほっとしたことでしょう。峠を下れば八幡の風景が眼前に広がります。道は「八まん宮道」となって、石清水八幡宮を目指します。現在、八幡あるいはごく近くの周辺を含めて 7 基の「八幡宮道」と1基の「やわたみち」と彫られた江戸時代の道標を確認しています。古い「高野街道」の道標は道の南北に 1 基もありません。八幡の道は八幡宮参詣道であって、高野道ではないと認識していますから。当然と言えば当然です。

f0300125_22111226.jpg 洞ヶ峠から中ノ山墓地前の旧道を通り過ぎ、八角院に入れば「すく八幡宮」の道標が残っています。 慶応三年丁卯八月(1867)の建立で「役行者像」が彫ってあります。       
 大阪府下の高野街道で見た風格ある道標の形態と同じで、以前は八角院近くの旧道に建っていたものと思われます。
 道標によく書かれている「すく」あるいは「すぐ」、「春具」の意味は「真っすぐ行くと」と云う意味になります。

(左の写真は神戸市/故荒木勉氏の撮影です)




最近建ったばかりの八幡のいわゆる「東高野街道」の道標
 
f0300125_22295142.jpg右は最近俄かに建った八幡のいわゆる「東高野街道」の道標です。大阪府下の一連の個性的な道標を見た後に、この道標を見ると、如何にも俄か仕立てで現代風の薄っぺらな、歴史観の乏しい道標に見えてしまいます。
 道標には建立年月日や建立主体も彫られていません。平成××年建立と彫らない理由は何でしょう。しかも凡そ3km程の間に13基の道標が建つ始末です。
  13 基という数には必ず無駄と間違いがあります。観光集客の目的とはいえ、異様な風景に見えてしまいます。
 八幡には「石清水八幡宮参詣道」としての歴史街道はありますが、いわゆる「東高野街道」と銘打って歴史とするような本末転倒の歴史街道はないと思います。
*次回、現在も八幡周辺に残る歴史的道標群について、詳しく報告します。
by y-rekitan | 2017-01-20 06:00 | Comments(0)
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