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◆会報第77号より-03 古墳と鏡①

シリーズ八幡の古墳と鏡・・・①
八幡の古墳と鏡(1) 

濵田 博道 


はじめに

 鏡は「古来、呪術的なものとして重視され、祭器や権威の象徴・財宝」(『広辞苑』)とされました。近畿では特に3世紀初めから5世紀初めにかけて築造された多くの古墳や墳墓に副葬されています。(もちろんこの時代以外の古墳や墓にも副葬されていますが。)
 八幡市のいくつかの古墳でも30枚ほどの鏡が出土しています。(下表参照)
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 この八幡市内の古墳から出土した鏡が以前、博物館の展示会でとりあげられたことがありました。1995年(平成7年)、大阪府立近つ飛鳥博物館で『鏡の時代-銅鏡百枚』(銅鏡百枚というのは『魏志』倭人伝記事中の、卑弥呼が239年に魏の皇帝から下賜された百枚の鏡のことです)の特別展があったとき、図録中「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)出土地一覧表」(241古墳)に八幡市の3つの古墳名が載っていました。すなわち西車塚古墳、東車塚古墳、内里古墳がそれです。(注1)
 三角縁神獣鏡という名前は鏡の裏面に神仙思想を表す神獣が描かれ、その縁の断面形が盛り上がり三角形の形をしていることから付けられています。面径が21~25cmぐらいの大型鏡です。当時三角縁神獣鏡は、卑弥呼が貰った鏡の最有力候補でした。
 また一昨年(2015年)春、大阪府立弥生文化博物館(和泉市)で「卑弥呼」の特別展が開催されたとき、八幡石不動古墳出土の鏡が「新たな卑弥呼の鏡の候補か」として展示されました。
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この鏡は普段京都大学総合博物館に所蔵されていてめったに見ることができない鏡であり、さらに「新しい卑弥呼の鏡の候補か」とまで解説され、パンフレットに載っていましたので驚きでした。(この鏡は2016年10月15日から12月4日まで京都府立山城郷土資料館で開催された特別展「山城の二大古墳群-乙訓古墳群と久津川古墳群-」でも展示されました)これら卑弥呼の鏡との関係が“うわさ”される八幡市内古墳出土のいくつかの鏡について、今回考えてみます。

1、三角縁神獣鏡と卑弥呼の鏡

 まず、三角縁神獣鏡がなぜ卑弥呼の鏡と言われるようになったのか、その経過を簡単に振り返ってみます。
 『魏志』倭人伝に、魏の皇帝から卑弥呼に下賜された百枚の銅鏡について書かれています。その鏡の研究を通して日本の古代国家のはじまりの過程や地域間交流、東アジアの中での日本の国家形成の位置づけ、鏡は国家形成過程の中でどのようにして生まれ発展していくか、など明らかになっていくのではないかと考えられました。その鏡が日本のどこかに残っているはずだとして、探す研究・努力が1920年台(大正時代)から続けられてきました。1953年、有力な手がかりが京都府木津川市の椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)でみつかりました。この古墳は3世紀末頃に築造された全長175mの前方後円墳ですが、後円部をJR奈良線が横切っています。その線路拡幅工事の際、偶然古墳の石室が発見され、36枚以上もの鏡と武具が出土しました。32枚以上を占める三角縁神獣鏡の分析もされ、この鏡が各地の古墳に同笵鏡(どうはんきょう・同じ鋳型で鋳造した鏡)として副葬され、多数存在することから次のような解釈がされました。邪馬台国時代に卑弥呼が貰った鏡を次の王権が引き継ぎ、それを各豪族に配布、分有し、伝世、同盟の証しとしたのではないか、と。その説が今日でも有力です。また、その前後から各地で魏の年号が記名された三角縁神獣鏡が次々と発掘されました。最近では1997年、ヤマト王権発祥の地・大和東南部・天理市の黒塚古墳から33枚もの三角縁神獣鏡が発掘され、世間を驚かせました。2009年には桜井市の桜井茶臼山古墳で再発掘が行われ、新たに81枚の鏡片、そのうち三角縁神獣鏡の鏡片が26枚見つかりました。3世紀後半から4世紀初め、大和中央の古墳で大量の三角縁神獣鏡が次々と発見されたのです。三角縁神獣鏡はその他にも、日本国内の各地で発見されており、現在560枚ほどになっています。(注2)
 一方、三角縁神獣鏡は肝心の中国からは一枚も出土していない(一昨年、一枚確認されたという報道がありました。)だから卑弥呼が貰った鏡とはいえない、また魏の皇帝から百枚しかもらっていない鏡が五百枚を超えて出土するのはおかしい、三角縁神獣鏡は倭(日本)で造ったのではないか、という反対の意見が出ました。ですが、その後の研究で魏の鏡製造の特徴が三角縁神獣鏡にあること、魔(ま)鏡(きょう)の性質(鏡に光をあてると裏面の神獣の姿が壁などに映し出されること)などの発見もありました。
 この560枚の三角縁神獣鏡の製作地については、現在も研究者の意見は大きく2つに分かれています。
 中国鏡説 
A、最初、三角縁神獣鏡は中国の魏・徐州(じょしゅう)で造られ(魏鏡説)、楽浪郡を経由してもたらされ、その後、日本(倭)で造られたものもある。(楽浪郡で鋳造されたとの説もあります)
B、すべて中国で造られたものだ
 
 倭鏡説
すべて日本で造られたものだ。(中国の工人が日本に来て造った)
  
 鏡の鋳型などが発見されれば、有力な証拠になりますが、鋳型が土製で、それを壊して鏡を取り出すので残存の可能性は少なく、まだどこからも発見されておらず決着はついていません。

2、銅鏡百枚研究の新しい説

 銅鏡百枚について最近次のような見解が出されています。
 “従来『魏志』倭人伝に出てくる卑弥呼が貰った「銅鏡百面(枚)」は、三角縁神獣鏡であろうといわれていました。こういう考え方がかってはほぼ定説化していました。が、その後、とくに日本でここ30年ぐらいの間に三角縁神獣鏡の研究が飛躍的に進んでき、その結果、240年に卑弥呼の使いが貰って帰ってきた鏡に、三角縁神獣鏡が仮に含まれていたとしても、それはごくわずかであって、ほとんどはそれ以前の鏡であること。少なくとも卑弥呼が貰った「銅鏡百面(枚)」の大部分は三角縁神獣鏡ではないだろう。”(白石太一郎ら『纏向発見と邪馬台国の全貌-卑弥呼と三角縁神獣鏡』ADOKAW,2016から一部抜粋要約)
 今まで卑弥呼の鏡と言われてきた三角縁神獣鏡の大部分は卑弥呼が貰った鏡ではない、これは衝撃的です。なぜ、そう考えられるようになったのか。その理由の一つは、三角縁神獣鏡の古墳での副葬状態にありました。が、このことについては次回触れたいと思います。二つ目の理由は、三角縁神獣鏡そのものの研究が進んだことです。その横断面などの形やレーザー計測での詳しい分析などから編年がだんだんわかってきました。三角縁神獣鏡の鋳造が240年前後から50~60年間ぐらい続いたとして、古さの順にA・B・C・Dのだいたい4段階ぐらいに分けられるらしいのです。(5段階など、他の説もありますが。)このうち卑弥呼が貰ったと考えられる三角縁神獣鏡は最古のA段階ということになります。
 では八幡市内出土の三角縁神獣鏡はどう位置づけられるのでしょうか。西車塚古墳、東車塚古墳出土の三角縁神獣鏡はC段階。265年~300年ごろ鋳造された舶載鏡(=中国鏡)ではないかとされています。(注3)ですから、年代からいって卑弥呼が貰った鏡ではない、ということになります。内里古墳の鏡も舶載鏡です。しかし、卑弥呼の鏡の可能性が弱まったことが、即、八幡出土の三角縁神獣鏡の意義が弱まったことにはなりません。八幡出土の三角縁神獣鏡には銘文が刻まれたり、中国官営の工房名が入っている鏡もあります。長岡京市や奈良・葛城地域の古墳出土鏡などと同笵の鏡もあります。どうやって鏡を手に入れたか、同じ鏡を所持した勢力はどういう関係だったのか、など謎が深まります。さらに、石不動古墳から出土した鏡を含めて「新たな卑弥呼の鏡候補」とされる鏡もあります。なぜそういえるのか。鏡の研究は進行形で、専門家でもはっきりしたことはあまり言えないでしょうが、ちらほら研究報告が出てきました。私たちアマチュアも関心を持っていきたいです。

3、八幡の鏡を学ぶ

 このように八幡の古墳から出土したのはどんな鏡か、興味あるところです。しかし、出土した鏡数、鏡名、所蔵場所、観察場所・方法などわからないことが多いのです。今回調べる中で、少しわかってきました。国立歴史民俗博物館研究報告第56号(1994年)によると、例えば八幡市の美濃山王塚古墳から出土したとされる十数枚の鏡は写真は残っていますが、すべて「現物無し」と報告されています。また、所在がはっきりしている八幡の鏡も東京・広島・京都・奈良など全国各地の博物館に所蔵されており、研究中などのため、常設展示されていません。特別展などがあって展示される場合は見学可能でしょうが、それがいつになるかはわからないのです。鏡に興味があっても、市民が見るにはそういう困難さもあります。私は八幡出土の30枚ほどの鏡のうち、1枚だけ見ることができましたが、これからも主に書籍をもとに少しずつ調べていくことになります。次回は「八幡出土の三角縁神獣鏡-おもに内里古墳の三角縁神獣鏡について」考えます。
(つづく) 空白


(注1) 八幡市の古墳については、歴探会報NO13 大洞真白「八幡の古墳とその特徴を学ぶ!」を参照してください。
(注2) 安本美典『卑弥呼の墓・宮殿を捏造するな!』勉誠出版,2011,P110より
(注3) 田中晋作『筒型銅器と政権交代』学生社,2009,P93~P98

【参考文献】
 大塚初重『卑弥呼の鏡 謎と真実』青春出版社,1998
 『鏡の時代-銅鏡百枚-』大阪府立近つ飛鳥博物館,1995
 『卑弥呼-女王創出の現象学-』大阪府立弥生文化博物館,2015


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by y-rekitan | 2017-01-20 10:00
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