◆会報第78号より-05 八幡宮道

石清水八幡宮を指し示す--
-- 「八幡宮道」の道標の数々


谷村 勉 (会員)

 八幡とその周辺の「石清水八幡宮」を目指す道には、江戸時代の個性的な道標が現在も残り、古来「やわた道」、「八幡宮道」と呼ばれた事が判ります。
 八幡の道の歴史は数々の道標に導かれる八幡宮参詣道の歴史です。現在も「八幡宮参詣」の道しるべとして残る主に江戸時代の道標の数々を紹介しますが、時代々々に建立された道標の数から、八幡は道標・石碑の町と言っても過言ではありません。八幡の南北に走る「八幡宮参詣道」を最近俄かに「東高野街道」などと言いだした人々は八幡の歴史や聞き取り調査、綿密なフィールドワークを怠ったと思われます。八幡の道の歴史を学べば分る事ですが、「八幡宮道」や「やわた道」などの道標の数々は、これが本来の八幡の歴史街道であることを雄弁に物語っています。「八幡宮参詣道」は八幡を訪れる道として紛れもなく「八幡宮への信仰の道」として機能してきたのでありました。

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① 楠葉野田一丁目の
江戸時代再建の道標

「左  八 ま ん 宮」
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「右  志 み つ」

(文久二壬戌年四月再建・1862)
縦104㎝ 正面幅30㎝ 横24㎝

右側の道標は再建以前の道標(折損か)   「八まん□□」
   (寛政元己□・1789)
縦54㎝ 正面幅24㎝ 横23㎝
橋本経由の八幡宮道と切通を経て八幡志水に抜ける道を示している。


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② 楠葉中之芝一丁目
「久親恩寺」の地蔵道標

「八まん宮道」

(寛保三亥十一月吉日・1743)
縦111㎝ 正面幅27㎝ 横24㎝
地蔵尊像の形態:座像
持ち物:錫杖、宝珠

久親恩寺には道筋の変更や宅地開発などで行き場を失った道標が集められたようだ。


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③ 楠葉中之芝一丁目
「久親恩寺」地蔵道標

「すく 八まん道」

(年代不詳)
縦89cm 正面幅22cm 横17cm
地蔵尊像の形態:立像
持ち物:両手で宝珠

正面、地蔵尊像下の文字は判読困難。「すく」とは、直ぐ、まっすぐ行くと、の意。「すぐ」、「春具」も同じです。


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④ 楠葉中之芝一丁目
「久親恩寺」の地蔵道標

「すく 八まん宮」
「右 かうや 左 はし本道」


(年代不詳)
縦47cm 正面幅30cm  横10cm
地蔵尊像の形態:立像
持ち物:両手で宝珠

「右かうや」の文字は橋本から楠葉中之芝を通り交野山を目標に招堤方面を指している。
橋本・楠葉に旧高野道の存在を証明する大変貴重な道標です。舟形光背の上部は破損している。


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⑤ 楠葉中之芝一丁目
「久親恩寺」の墓碑道標

「右 やわたみち」
「すく 京 み ち」


(天保四巳年四月十八日・1833)
縦77㎝ 正面幅30㎝ 横29㎝

元は京街道沿いにあったようだが、街道筋の変更により寺院内墓地に移転されたようだ。


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⑥ 橋本中ノ町の道標

「八 ま ん 宮」
左り--------
「いせ京伏見」

    
(明和四年丁亥二月・1767)
縦 116cm 正面幅 28㎝ 横 27㎝



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⑦ 橋本北ノ町の道標

「右 八まん宮山道*** 
***これより十六丁」


(文政二己卯年二月吉日・1819)
縦116cm 正面幅25cm 横21㎝

道標の位置が動いている。狩尾社から八幡宮へ向かう道筋を指している。


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⑧ 伏見区淀際目町の道標

「八まん宮ミち」
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「か わ ちミち」

(宝暦三癸酉歳四月・1753)
縦126cm 正面幅21cm 横20cm

旧八幡際目郷、昭和 32 年京都市伏見区淀に編入。
旧木津川堤道(奈良道)近くに建っていたとのこと。横のお堂は近隣寺院の廃寺により、住民によって
お堂が建てられ、大日如来坐像等が安置された。


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⑨ 美濃山井ノ元の
「指さし地蔵」道標

「八はたへこれから」

(年代不詳)
縦60cm 正面幅33cm 横18cm
地蔵の形態:立像
持ち物:左手に宝珠

右手で「八はた」の文字を指している、珍しい「指さし地蔵」です。
元は近くの河原地区道沿いにあった。


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⑩ 八幡旦所「青林院」の道標

「西 八幡宮道」

(年代不詳)
全長123㎝ 正面幅19cm 横15cm

倒置


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⑪ 頓宮西の倒置道標
(巨大五輪塔の向い)

正面「左 八幡宮道」
裏面「是より北荷馬口附の者来へからず」


(年代不詳)
全長 280cm  正面幅24㎝ 横 24㎝

角柱の周りに縁取り加工をした立派な道標
道路工事の際、一旦八幡宮に預け、そのままになってしまったのか?


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⑫ 八幡大芝「八角堂」の
役行者道標

「すく 八幡宮」

(慶応三年丁卯八月日・1867)
縦127cm 正面幅24cm 横22cm
役行者座像 持ち物:錫杖、経巻

元は志水大道沿いにあったが、道路工事により八角堂に入った模様。役行者像が彫られている。八角堂は工事中の為、現在入れません(2017.02.10)
(左の写真は神戸市/故荒木勉氏撮影)


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⑬ 正徳 3 年
「御幸道(みゆきみち)」道標

「石清水八幡宮鳥居通御幸道」

『男山考古録』に「正徳 3 年(1713)石清水八幡宮鳥居通御幸道という標碑を建てられたるは、検校新善法寺行清法印也」とある。
 近年、御幸橋南詰に設置されていたが、平成 21 年以降「御幸橋」付替え工事により八幡宮頓宮敷地内に仮置きされている。
 石清水八幡宮境内全図(重文) や山上山下惣絵図には「御幸道」と共に「御幸道の道標」の存在も記載されていて、京街道分岐点から一の鳥居の道を指している。折損の為、御幸道の部分がコンクリートによって塗り固められていた為、文字が隠れていた。

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⑭ 枚方市上島町の
八幡宮参詣道地蔵道標

参 詣 道
八幡宮----------
橋本へ一里


(安政三丙辰年十一月・1856)
縦200㎝ 正面幅30cm 横22cm
地蔵尊像の形態:座像
持ち物:錫杖 宝珠

枚方市(牧野)の京街道、船橋川の堤にある高さ 2m の重量感のある八幡宮参詣道の道標。
枚方市岡本町の文政九丙戌年(1826)建立の道標には「左 六り やわたニり」とある。


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⑮ 枚方市町楠葉の地蔵道標

右 八幡宮

(天保三年辰年一月吉日・1832)
縦157cm 正面幅31cm 横25cm
地蔵尊像の形態:座像
持ち物:錫杖 宝珠

長福寺内にある地蔵座像道標、保存良好で驚くほど美しいが、再建された道標だろうか


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⑯ 大山崎町の地蔵道標

右 八わたミち
左 よどふしみ


(年代不詳)
縦96cm 正面幅40cm 横20cm
地蔵尊像の形態:立像
持ち物:錫杖 宝珠

離宮八幡宮より西国街道を北へ大山崎小字傍示ノ木辻にある。
大山崎町唯一の「やわた道標」と思われる。



「石清水八幡宮参詣道」にいわゆる「東高野街道」の名称はふさわしいか?

 八幡やその周辺に残る八幡宮参詣道の道標を調査した結果、「八幡宮道」や「やわた道」などと書かれた道標を一部紹介することができました。現在はこれ以外にも驚くほどの数の「八幡道標」が発見されています。これらはいづれ「八幡の道探究部会」の活動成果として紹介したいと思いますが、「文化財」として大切に保全されているこれらの道標を見るにつけ、八幡の悠久の歴史が消される危険性が潜む、殆ど馴染みのない高野山や和歌山の道を八幡に出現させる事などは「勘違いの行為」としか思えません。一体誰の為の八幡でしょうか。

 自分たちが住んでいる町の歴史をもっと大切にして欲しいものです。いわゆる「東高野街道」が在って国宝「石清水八幡宮」が路傍に在るのでは決してありません。石清水八幡宮が遷座(貞観元年・859)した後に八幡の南北の道が整備されましたが、弘法大師空海は八幡宮が遷座される以前に入定(承和2年・835)されています。従って弘法大師空海はいわゆる八幡東麓の東高野街道という名の道を歩くはずもありません。高野道とは嘗(かつ)ては弘法大師空海が高野山への道をとったという古い街道のことを指したものですが、八幡宮の参詣道が洞ヶ峠から河内の高野道に繋がった為、八幡宮参詣道を通って洞ヶ峠から高野道を利用する人が居たに過ぎないのです。津田や交野や八尾から八幡宮を目指す人々にとっては八幡に向かう道は「京道」であり「やわた道」でありました。
 固有の歴史を大事にしてきた八幡ですが、八幡を知らない学者の書いた論文や文献を読むだけの表層の知識の鵜呑みでは八幡の道の歴史は語れません。嘗て東海道五十七次と云われた大坂・京都間の道では、役人はいざ知らず、住民は東海道と呼ばずに、京街道、大坂道などと呼びました。明治時代、八幡の道を嘗て役人が東高野街道と言った時期があるようですが、八幡の住民は誰もその様な呼びかたはせず、今でも八幡宮道、御幸道、常盤道、志水道などと呼んで歴史的呼称を大切にする気概をもち、生活の中に活かしてきました。八幡の道が「石清水八幡宮への信仰の道」であることを住民誰もが知っていたのです。八幡周辺の行政区にある「八幡宮道」などの道標の数々を見れば、八幡の道は八幡宮参詣道として重要な機能を果たし、八幡宮在っての八幡の道であり、高野山在っての八幡の道でないことは明々白々なのです。固有の歴史を大事にし、それを主張してこそ観光客や住民も納得しますが、借物の名称では誰も振り向くものではありません。
以上----

by y-rekitan | 2017-03-22 08:00 | Comments(0)
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