◆会報第79号より-04 五輪塔⑩

シリーズ「五輪塔あれこれ」・・・⑩
いかにして

野間口 秀國 (会員) 


 第1章「現場の解説板」を皮切りに五輪塔の不思議を探ってきました。しかしながら、当然と言えるかも知れませんがこれといった明確な回答は得られませんでした。だからと言って決して落胆している訳でもございません。「なぜ」、そう訊かれそうですが「明確な回答はそうそう容易には得られないのだ」と分かったからです。加えて、既に分かっているなら、図書館の書棚から回答が得られるのですから。そう言いつつも残された疑問が消えた訳では無く、「どのようにして造られたのか」、「どのくらいの費用がかかったのか」などに関する答えらしきものが無いのかとあがいてみたいと思います。

f0300125_20375992.jpg 第4章でピラミッドのことに触れましたが、あのような巨大な建造物がどのようにして造られたのか、について改めて書かれたことを読み直し、その一部を引用したいと思います(*1)。
「ピラミッドの建設方法についてもこれまで数多くの推測がなされてきたが、いまだに意見の一致はみられない。様々な仮説が挙げられているが、大きく分けると二つある。ひとつ目は大量の石材を運搬するために長い直線傾斜路を使用したという説、そしてもうひとつがピラミッドの周囲を取り巻くように傾斜路が渦巻形に造られたという説である」 さらに続けると「石材を曳くための道路を建設するのに、国民の苦役は実に十年にわたって続いたという」 とあります。

 また今日でも、大阪城にて見ることの出来る巨大な石が一体どのように積まれたのかを思う時、その作業がいかに困難を極めたかが容易に想像できるようです。瀬戸内の島々や沿岸の石切り場から切り出された石を、海岸まで移動して船で大坂へ運び、淀川を遡り、陸揚げ、さらに移動して積み上げる、そう考えるだけでも当時の最先端の土木建築や運搬技術が駆使されたであろうことが想像できます。石清水八幡宮の五輪塔も、橋本か八幡あたりで陸揚げされた石が大きな修羅(しゅら:運搬するそり状の道具)に載せられ、一ノ鳥居付近を経由して運ばれたのでしょうか。組み上げに際しては、クレーンなどの無かった時代のこと、五輪塔の部材の垂直方向への設置は、個人的には前述の「直線傾斜路を使用したという説」を取りたいのですが・・・・。

 ピラミッドや大坂城などの大規模建造物を造るのには、それぞれの時代に強大な力を持った為政者や集団の存在無しには語れませんが、五輪塔の造立もまた、規模が異なるとは言え中世においての寺社勢力の影響を考えざるを得ません。当時の石清水八幡宮も京の都の一角を護る宗廟として、公家や武家と並ぶ大きな力を有していたであろうことを思うと、五輪塔造立にも少なからぬ影響力があったのではないかとも思えます。

 ところで、この春の「探見 国宝 石清水八幡宮」と題する京都新聞の連載(*2)に五輪塔についての数々の逸話が書かれてあり、その最後にN氏の「どんな土木工事で完成させたのか」との思いも記されていました。私の最後の疑問でもある「いかにして / How」も、まさに氏の思いと同じであり、最大の興味でもありました。この最後の疑問に対して少しでも「回答」らしきものを得たくて、京都市内の滋賀越え道にあります石灯籠や各種石塔・京石工芸品などの創作を生業にされる西村大造氏を訪ねました。氏はご多用な中、私の疑問に専門的な立場でとても親切に教えてくださいました(*3)。

 素材となる原石は比叡山の山塊に存在する花崗岩が地表に出てきたものであり、白川の水流で削られ、洗われて原石が磨かれたものであること、また、不定形の原石は「石回し」と呼ばれる工程によって削られて、その体積のおよそ半分か3/5ほどしか商品には供せられないことなど、石材に関することから話は始まりました。また、原石のまま設置する場所へ運ぶには、重量を考えると不合理であり、石清水八幡宮の五輪塔の場合では、部品(地輪、水輪などの各輪)ごとの完成品もしくは半完成品(粗斫(あらはつ)り品、もしくは中斫(なかはつ)り品)の可能性が考えられること。加えて、完成品の場合には運送期間中に発生する破損のリスクなどを考えると、半完成品で運ばれたことが現実的と考えられる。などなどのことでした。

f0300125_20395890.jpg さらに、現地での組み立ては、現在のように大型重機やクレーンも無かった時代のことなので、それに代わる特別な道具が使われたようです。それは、二本の丸太を組み合わせて作る「フタマタ(ニマタとも呼ばれる)」と呼ばれる石の吊上げ用具であり、今でもクレーンの活躍できない場所での墓立てや記念碑などを建てるのに使用されているようです(*4)。フタマタに加えて、「麻ロープ」や「カッシャ(滑車)」や「ロクロ」などの専門用具を使用しながら、吊るしたり移動したりしてそれぞれの部品が設置されてゆくのです。また、五輪塔の組み立てに使われたフタマタの高さは、街なかの一般的な電柱の高さほどだったのではなかったか、とも、ロクロは人や牛の力で回しただろうことなども話していただけました。

 最後に、「費用はいかほどか」も尋ねましたが、現在でも「商品の大きさや設置場所、また素材の品質などで異なるので・・・」とのことでしたが、石清水八幡宮の五輪塔と同じような大きさ(20尺モノ)であれば、原石の手配が最も難しいこと、組み立てには建設用のクレーンが必要だろう、とのこともお話しいただけました。お話しの内容からは少なくとも8桁の数字ではないかと想像できました。ちなみに氏の手掛けられた最大の五輪塔は10尺モノ(約3.3m)であるとのことでした。

 前述の新聞連載(*2)にも「存在感、数々の逸話生む」と書かれていましたが、それぞれの塔には、それぞれのいわれが語り継がれています。そのことに関して氏は、「すべてが正しいとは言えないだろが、それなりの訳あって語られているのだろうから・・・」と語られました。そして最後に、とても興味深い話をいただき五輪塔のさらなる不思議を感じずにはおられませんでした。それは、「多くの五輪塔には確かに刻銘が見られないが、他の作品(彫像品や鋳造品)などと同じように、その体内に何らかの記録が残されている可能性はあるかもね」と語られたことです。

 最後に数々の貴重なお話をお聞かせいただきました西村大造氏に、そして、最後までお付き合いいただきました皆様に紙面をお借りしてありがたく感謝申し上げます。
 (本章をもってシリーズを終わります)--


参考図書・史料・資料など;
(*1)建築法の仮説例説明及びイラストは『ピラミッドの歴史』大城道則著・河出書房新書刊
(*2)京都新聞連載記事・2017.3.1付け(探見 国宝石清水八幡宮 五輪塔)
(*3)五輪塔関連事項は株式会社西村石灯呂店の西村大造氏に聞く
(*4)「フタマタ」の説明の一部、および写真は『牟礼・庵治の石工用具』香川県牟礼町教育委員会刊より引用


この連載記事はここで終りです。       TOPへ戻る>>>

by y-rekitan | 2017-05-20 09:00 | Comments(0)
<< ◆会報第79号より-03 古墳と鏡③ ◆会報第79号より-05 八幡合戦 >>