◆会報第80号より-02 淡路島バスツアー

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《6月例会 歴史探訪バスツアー》

伊弉諾神宮いざなぎじんぐう東山寺とうさんじを訪ねて~


  藤田 美代子 (歴史探訪担当幹事)



 昨年よりさらに遠く淡路島へと企画いたしました。
 従来通り市内4ケ所の集合場所にお集まりいただき、順次バスに乗車、4番目の一の鳥居を予定より10分早く、総勢39名にて出発致しました。当初見込みの参加人数を越えましたので参加費を8,500円から8,000円に値下げさせて頂きました。
 今年度は当日の不参加者は居られず、遅刻される方もなくスムーズな集合で出発することができました。
 途中名塩でお手洗い休憩を取り、伊弉諾神宮へと向かいました。

 伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀に、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が御子神なる天照大神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過ごされた、と記されていることに由来するそうです。f0300125_1194210.jpg
 境内地は約一万五千坪、日本最古の社です。江戸時代の地誌によれば二丁四方の社地を領したこともあり、広大な神域でありました。
 バス到着後、神明鳥居の一の鳥居・二の鳥居をくぐり、神地の反り石造りの神橋を渡り、手水舎を経て、重厚な檜皮葺きの表神門に至ります。

 拝殿にて宮司様に厳粛に祝詞(のりと)を奏上頂き、f0300125_11142154.jpg巫女さんによる雅な神楽を堪能したのち、割り拝殿形式であるため、改めて本殿に向き直し、皆さん一同の二礼二拍手一礼の参拝をさせて頂きました。その後宮司様より、神社のこと、また、石清水八幡宮の別宮であったことがあり、今では当社の宮司様が兼務をされている鳥飼八幡宮の説明を頂きました。鳥飼八幡宮には美福門院から石清水八幡宮へ御造進され、f0300125_1119463.jpg安貞二年(1228)に贈与せられた重要文化財(昔は国宝)御鳳輦が安置されていること。現在も石清水八幡宮の放生会に際し、毎年土地の名産「鶏冠海苔(とさかのり)」が奉納されていること、例祭には勇壮な神輿が出ること等々興味深いお話でした。そして境内に出て二班に別れて末社、樹齢九百年の夫婦大楠、神幸式に召される六角鳳輦型の豪華な御神輿、その格納神輿庫、神馬の銅像や御手植えの松、元禄元年(1688)以前に藩主蜂須賀家の寄進した東西神門等の説明を受けました。面白かったのは、神池のそばに伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行図という石碑があったことです。当神社を中心として主要な神社が日本全土に意図的に配置されているというものです。
 「夏至日の出」の方角に「諏訪大社(信濃国一宮)」
 「夏至日の入」の方角に「出雲大社(出雲邦一宮)」
 「冬至日の出」の方角に「熊野那智大社」
 「冬至日の入」の方角に「高千穂神社(天岩戸神社)」f0300125_11255858.jpg
 淡路島を中心につまり、夏至のとき太陽は「諏訪大社」の方角から昇り「出雲大社」の方角へ沈む。冬至のとき太陽は「熊野那智大社」の方角から昇り「高千穂神社」の方角へ沈む。東へまっすぐいったところは「伊勢神宮」となっております。太古の昔天文学・測量技術がそんなにも発達していたのでしょうか?

 伊弉諾神宮を後に昼食会場「きとら」へと向かいます。こちらはツアー下見時案内頂いた伊弉諾神宮権禰宜様より教えて頂いたお店で、海鮮料理がおいしく、団体でも可能とのことで、試食もした上で決めたレストランです。 今までのバスツアーでは昼食は各自の好みで取って頂くことを原則としておりましたが、今回は近くに十分な数の店もなく、たまには交流を兼ての合同の昼食も良いのではということの結果です。皆さんから印象は悪くなかったという感想を頂いており、企画した者として胸をなでおろしているところです。

昼食後は東山寺へと向かいます。
 高速道路を降りた後、東山寺への道はせまく、険しいもので、最後はバスを降りて歩かざるを得ませんでしたが、歩くのはさしたる距離ではありませんでした。
f0300125_11343274.jpg 山門及び本堂は室町時代淡路守護職細川家の寄進とされ、淡路最古の木造建築です。
 石清水八幡宮護国寺にあった薬師如来と十二神将は現在国の重要文化財ですが、かっては国宝に指定されていたものです。
 今回のツアーの大きな目玉であることからも、皆さんは逸るこころで東山寺の階段を駆け上られたのではないでしょうか?私も下見時の気持ちの高鳴りを再び覚えました。
f0300125_1137244.jpg ここでも二班に別れて、本堂と薬師堂を見学させていただきました。
 御本尊は十一面観音で一木三体の名作と伝えられ、常隆寺・千光寺とは木兄弟です。
薬師如来及び十二神将は現在鉄筋コンクリートの近代的建物の薬師堂内に安置されております。これは旧木造薬師堂が昭和40年の秋の台風により倒壊寸前の状態に陥り、津名・一ノ宮両町教育委員会のご尽力により、文部省・県・町のご厚意により建設されたのだそうです。
 尊像が大切に保存されており、有難いことだと思わずにはいられませんでした。
 これ等の仏像が何故に淡路の地に来ることになったのかについて以下のように伺いました。
 1867年幕府は政権を朝廷に返上し、鳥羽伏見の戦いを経て、明治維新を迎えました。明治新政府は王政復古の名のもと、神道を重んじる政策を打ち出し、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れます。石清水八幡宮・護国寺の別当であった道基上人は何年もお祀りしてきた仏像が捨てられることが耐えがたく何とかしたいと思っておられました。幕末動乱の中、密使として働いていた佐伯心随尼僧が東山寺復興を目指していることを聴き、復興の手助けになればと当地に仏像を運ぶことを決意されたようです。険しい山道を仏像を背負ってこの地に持ち込まれたそうです。明治二年六月十二日のことです。
 どのように運ばれたのか質問してみますと、樽に入れて運ばれたとのことでした。
其の後道基上人は淡路島に移り住み、永寿寺という小さな寺の住職となり、明治二十二年心随尼の東山寺復興を見届け、七十四才で生涯を閉じられたそうです。

f0300125_11395768.jpg 別れていた二班が一緒に本堂に入り、高野山尼僧学院で教鞭を執ってこられた住職様より、講話を頂きました。感謝して生きることの大切さを教えられました。
 東山寺に心惹かれながら、帰路に向かいました。ハイウェイオアシスで小休止して、予定通り全員無事八幡に到着しました。

 皆様お疲れ様でした。
 最後になりましたがこの場をかりまして、下見時、当日とご丁寧に御案内並びに御説明頂きました、伊弉諾神宮、東山寺の皆様に心より御礼申し上げます。
 来年もまた、八幡にゆかりのある旅の企画ができればと思っています。


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by y-rekitan | 2017-07-24 11:00 | Comments(0)
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