◆会報第80号より-05 京街道

八幡の「京街道」は川底に沈んだ

谷村 勉(会員)



不適切な表現の八幡の「京街道」

 八幡市観光協会が発行している観光散策マップなるものを見て愕然とした。
 「科手道」と古くから呼ばれて来た道を「京街道」と書いてあった。これは大間違いである。歴史的無知もいい加減にしろというような代物である。
 八幡の京街道は大雑把に言って、橋本奥ノ町の楠木、現在、この楠木を伐る、伐らないと物議を醸している「ふるさとの木第1号」の大きな楠木辺りから宇治川に架かる「御幸橋」を結んだ線上にあった道が「京街道」であって、線上の伏見区淀美豆(旧八幡神領)には京街道が今でも残り、淀市街へと続いて、往時の街道の姿を偲ぶことができる。現在は明治初年から始まる木津川付け替え工事等によって、木津川と宇治川の川底を「京街道」が走っていることになる。
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今の三川合流の姿に落ち着いたのは昭和5年になってからで、明治になるまでは木津川、宇治川(淀川)、桂川は淀城付近で合流していた。上記、江戸時代作成の「石清水八幡宮全図」から旧京街道の位置が判る。現在の木津川は「科手道」の直ぐ北側を流れ、府道13号道路が走り、「科手道」の南側を京阪電車(明治43年開通)が走っている。

歴史を刻んだ「科手道」

 「科手道」のシナデ(科手)とは古代より“水辺にあってその目印になるべき処”という意味らしい、桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる、まさにその喉仏に当たる重要地点であった。古くから科手郷に住む住民にとっては特に八幡宮遷座以来、「八幡宮参詣道」として、あるいは「生活道」として「科手道」の歴史を刻んできたのである。秀吉によって「京街道」が整備される遙か以前から「科手道」は存在してきた。観光集客のためと言って、八幡の道を歩いてもらうように仕向けるのは大いに結構であるが、「科手道」と「旧京街道」の名称や位置を記入して、きちっと説明しなければならないのではないか。
なぜ地元本来の名称を堂々と使用しないのか首をかしげる!
 八幡の歴史、「科手道」の歴史を知らない者が八幡の歴史を知らない観光者に間違った案内をするようでは、真の歴史を到底後世に伝えられない。これでは「科手道」の歴史的存在さえ危うくなりかねない。八幡は歴史の「宝庫」と愛着を持つ住民にとって、こういった軽率さには腹立たしく、憂えざるを得ない。八幡の歴史に誇りや愛着がなければ次世代の人は八幡から去るであろう。歴史や文化財を大切にと言うフレーズだけは耳にするが、実態はズレてしまっている。f0300125_20332170.jpg
 戊辰戦争の最終局面で八幡の表玄関の町々が焼かれ、新選組・幕府軍が敗走する道が「科手道」であり、その「科手道」を追走したのが官軍であった。幕府軍の兵士が斃れていった「科手道」の身近な歴史の一例がある。
 ボランティアのガイドが「観光散策マップ」から俄か仕立ての作文を言われるままに説明し、はたして本当の歴史を語れるものか心配である。石清水八幡宮参詣道を「東高野街道」と称して、僅か3kmの間に13基に及ぶ無駄な建碑を行った二の舞の感性や発想の繰り返しはお断りしたい!

「歩く人」増えたが

 石清水八幡宮の国宝指定によって八幡さんにお参りする人は、見た目にも増えている。ケーブル乗り場も以前よりにぎやかだ。しかし一度八幡を歩いた人がリピーターとして来るだろうか。八幡市にリピーターに足を向けさせるような環境整備が進んでいるだろうか。多くの人々に聞いても、疲れた足を休めるところもないと、落胆して帰る人が多いと聞く。
 さて、「京街道」と名がつけば5m前後の道幅が普通だが、橋本奥ノ町の幅2mギリギリの道を街道とは言えない。たまに通りかかった時、ここは「京街道」でしょうか、と聞かれることがある。ここは古来、科手郷の「科手道」であり、「京街道」は川の下ですと、説明する。歩く人も怪しいと感じるのでしょう。
 旧京阪国道(府道13号)である堤防道や河川敷のサイクリングロード?を「京街道」と言った方がむしろ納得できるが、「科手道」を指して歴史上一度も呼称したこともない「京街道」との表示は全く理解不能で、このように実際になかったことを事実のようにでっちあげることを一般に捏造と言う。八幡の歴史を知っている周辺自治体住民からも八幡の歴史や文化財に対する感覚は少し疑問?という噂を耳にするが、まさに肯定せざるを得ない一場面だ。
 最後に狭い道の「科手道」を歩く人にはマナーを守って欲しい。子供の頃に“人は右、車は左”と習った。今は学校では教えないらしいが、右側通行を実施して、道一杯に広がって歩かず、車や自転車が徐行して走れるように願いたい。また、個人の住宅に無断でズカズカ入る人もいるらしいが、これは論外である

主な参考文献
  『男山考古録』 長濵尚次 石清水八幡宮社務所
  『戊申役戦史』 大山 柏 時事通信社
  『京都滋賀 古代地名を歩く』 吉田金彦 京都新聞社 
  『巨椋池干拓誌 池本甚四郎』 巨椋池土地改良区
  『男山で学ぶ人と森の歴史』 八幡市教育委員会
by y-rekitan | 2017-07-24 08:00 | Comments(0)
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