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◆会報第41号より-04 エジソン碑⑥

シリーズ「石清水八幡宮覚書」・・・⑥
御文庫とエジソン碑⑥

 石清水八幡宮 禰宜  西  中 道


 田中宮司がエヂソン碑建設をいささか強引ともいえる手法で推し進めた背景には、大正15年、数え24で結婚した長女・教子(のりこ)の存在があった。その結婚相手こそ、新進気鋭の電気工学者で、彼女より10歳年長の松田長三郎氏、媒酌人は青柳栄司博士である。その後、文部省在外研究員に選ばれた松田氏は、昭和6年5月からドイツ、英国、米国に滞在し、帰国して間もないこの年、昭和9年2月に40歳の若さで京都帝大教授に任ぜられていた。
 この頃、内務省神社局の横槍に対して、田中宮司が発したという「科学に国境はない」という言葉にも、松田氏の海外での実体験が色濃く反映していたように思われる。「科学は人類共通の財産です。国境によってそれを遮ってしまえば、日本は世界からどんどん取り残されてしまう」と、時に松田氏が義父に熱く語りかけることがあったかもしれない。
 田中宮司にしてみれば、エヂソン碑建設に立ちはだかった石田神社局長より、さらに若い世代に属し、最新の欧米事情にも精通していて、しかも現代の日本で最も優れた電気工学者の一人が、我が愛する娘の夫なのだ。これほど心強い味方はなかった。彼が帰国して帝大教授となった暁に、義父が宮司を務める官幣大社の境内で、エヂソン記念碑の除幕式を盛大に挙行しようではないか、というのが田中宮司の思い描いた道筋であったろう。
 しかしその記念碑は、昨秋自ら斎主となって地鎮祭を行い、基礎工事も終えたところで中断を余儀なくされ、今も放置されたままだ。そして、今度は別の記念碑が、別の場所に現れて除幕の時を待っているという。自分としては極めて不本意な展開だったが、多くの関係者に迷惑を掛けてしまったことも事実だ…、そうした様々な思いが交錯する中、田中宮司は5月20日から10日間、東京出張の旅に出る。拠所ない事情による上京だろうが、そこには「除幕式をやるなら、儂のいない時にしてくれ」、という暗黙の了解もあったに違いない。除幕式の主役を演じ、満場の喝采を浴びる孫の晴れ姿を、娘夫婦と一緒に見ることは遂に叶わなかったが、田中宮司の矜持は貫かれたというべきであろう。 (つづく)

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by y-rekitan | 2013-08-28 09:00
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