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◆会報第36号より-05 エジソン碑①

シリーズ「石清水八幡宮覚書」・・・①
御文庫とエジソン碑①

 石清水八幡宮 禰宜  西  中 道


 今から10年程前まで八幡宮の広報担当者は、1・2月を除く毎月、各報道関係者に近々の行事予定を告知する手紙を郵送していた。これに併せ、当時の担当者は「石清水アラカルト」と称する広報チラシを作成していたが、その中の一シリーズとして「一ノ鳥居から御本殿まで」と題する境内案内の小文執筆を私が引き受けることとなった。平成6年末から開始して、途中1年ほどの中断を挟み、連載約10年、通算89回に及んだが、担当者が替って「アラカルト」企画そのものが廃止され、その結果「御本殿まで」と銘打ちながら、平成15年末で遂に三ノ鳥居付近の記述を最後に打ち切りとなってしまったのである。そこで今回、この欄を与えられたことを好機と捉え、以前途中で終わってしまったシリーズの補遺編として、これから数回にわたり筆を進めてまいりたいと考えた次第である。

 さて、男山の山上には様々な建物があるが、ごく最近になって消滅してしまったものもある。その一つが、研修センター本館北側、大楠の直下にあった「御文庫」である。この建物は、片仮名のコの字形に造られた土蔵で、コの字の縦棒の右側中央に重い引戸があって、ここを開けて中に入ると、二本の横棒に相当する南北の棟それぞれの四周壁際と中央に木製の棚があり、そこに膨大な量の古文書・古記録・古書籍類が収納されていた。私が奉職した昭和52年当時、この建物は既に相当老朽化が進んでいて、入口の扉を開けて薄暗く黴臭い屋内に入ると、すぐ目の前の床に大きな穴が開いており、懐中電灯で床下を照らすと、かなり下の方、おそらく1.5メートル程はあろうかと思われる所にセメント様の平面が見えた。先輩神職によれば、この穴は何年か前に当時のT禰宜が誤って床板を踏み破り下に転落した、その跡だとの話であった。どうやらT禰宜に大きな怪我はなかったようで、そのため笑い話で終わり、床は修理もされず、放置されるままとなってしまったものらしい。当時、床下の根太は腐り、床は歩くたびにブヨブヨと揺れた。屋根を支える梁や柱にも亀裂が入り、建物全体が傾いで今にも倒壊しそうであった。   (つづく)

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by y-rekitan | 2013-03-28 08:00
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