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◆会報第44号より-04 大谷川散策⑦

シリーズ「大谷川散策余話」・・・⑦
第7章 田園区・流れに四季を感じて

野間口 秀國 (会員)


 大谷川の流れのほぼ中ほど、第3番目は田園区です。国道1号線を絶え間なく行き交う車の流れを支える「あけぼの橋」から、綴喜西部土地改良区、国土交通省のそれぞれの管理下の八幡排水機場(*1)近くの「一の橋」まで、川はほぼ南から北へと流れ四季の田園風景が十分に楽しめる区間です。

 あけぼの橋から「昭乗橋」までの間は流れに沿って程良い間隔で休憩用椅子が設置されていますが、利用する人は殆ど見られず、夏場は所々で草に覆われて少し残念な気がしてなりません。川には葦などが繁り、水の流れる面積がとても狭くなっています。もし両岸の小路のどちらかでも、国道をくぐって横切れると、上流の公園区(「会報」42号/ 2013年9月25日発行参照)へも往来が容易にできてもっと便利でより楽しい散歩道となるだろうにと思うのです。

 昭乗橋から「大谷橋」と歩いていると、区間の中ほどで東から流れ来る「防賀川」と合流します。江戸時代にはこの防賀川の名前は無く、川の上流側は「虚空蔵川」、下流側はこくぞう「蜻蛉尻川」と呼ばれていたようです。昭和とんぼじり19年から23年にかけて、食糧増産計画に沿ってこの川は、当時の田辺町から八幡町に至る約10Kmが改修・新設されたことが『八幡市誌』(第3巻)には書かれていますが、防賀川の名前は「八幡市民図書館蔵京都府1/50,000図歴地形図京都西南部版」で昭和50年台後半のものに初めて出てくるようです。

 ◆会報第44号より-04 大谷川散策⑦_f0300125_973315.jpg二つの流れが合流するおよそ600mほど手前から、大谷川に寄り添うように東側を沿って流れる水路があり、この水路も同じ地点で流れが一緒になり、小さな三川合流地と呼ばれているようです。かってこの合流地には春日部樋門と呼ばれる樋門があったようですが、樋門は除かれて今では堰が設けられており、流れには1m足らずの落差が生まれ、穏やかな流れにアクセントを付けています。堰の右岸側には魚たちが上り下りできるように魚道が設けられており、魚たちにとって優しい配慮ではないでしょうか。

 合流手前の右岸堤防には桜並木が続き、大谷橋近傍に建つ標識には、桜を寄贈された個人や団体の方々の名前が記されております。この近辺の桜は、春には「第5章公園区・隠れた桜の名所」でも書きました大谷川公園のそれに勝るとも劣らないと思います。桜に加えて、大谷橋上流側右岸には藤棚が、紅白のつつじが、赤い山茶花が、それぞれの季節に散歩道を彩ってくれます。合流地点付近には吾妻屋もあり散歩の途中に休憩にも、突然の夕立ちの雨宿りにも良しの場所と思います。皆さんには人気の散歩道なのでしょうか、季節を問わずこの川べりを楽しく散策される人達に出会いました。

 さて、ここで淀川水系の動植物について少し触れてみたいと思います。淀川水系には魚類だけでなく、水鳥や昆虫、哺乳動物、水生植物等、実に様々な多くの生物が生息しています。大谷川を散歩される多くの人には既になじみの鯉、亀、留鳥のサギ類、いろいろな夏鳥や冬鳥はその代表的なものでしょう。当会の土井事務局長が寄稿された「ヌートリア考……」(「会報」37号/2013年4月30日発行参照)にもありますように、あちこちでヌートリアの家族が確認できます。最近では特定外来生物のヌートリアが大谷川のみならず山城地域で増えており、農作物の被害も出るようになり、八幡市でも防除計画を申請中と最近の新聞で報じられています(*2)。

 上記の多くの淀川水系の仲間を代表して、ここでは亀に登場してもらいましょう。八幡舞台に人一人が渡れるほどの幅で無名(橋歴板の無い)の橋があります。この橋で、昨年の初冬の午後、背中にいっぱいの太陽を浴びながら川面を見降ろし、まるで誰かに話しかけるように、少しづつ餌を播いて亀を引き寄せておられるお近くに住まいのおじさんと(私もおじさんですが…)楽しく話をする機会がありました。◆会報第44号より-04 大谷川散策⑦_f0300125_911488.jpgお話を聞いて分かったのですが、餌は市販のキャッツフードでした。餌に引き寄せられた猫ならぬ亀の数はゆうに数十匹を数え、それでも播かれる餌を目がけて上流から下流から次々と泳いできていました。亀の大きさ、色、甲羅の形などは少しづつ異なっております。亀に詳しい読者は既にご存じのことと思いますが、日本では生態系に影響を与える侵略的外来種ワースト100に指定される(*3)亜種ミシシッピアカミミガメ(幼名はミドリガメ)も相当数含まれているのではと思われます。寒い冬が明けて春になると、日当たりの良い岸辺や流れの中の石の上では甲羅干しの亀がいっぱいで、近付くと水音たてて次々に川にジャンプしてしまいます。

 府道・八幡城陽線に架かる大谷橋から小さな三川合流地点までの間の小字名は舞台ですが、この舞台という地名にはどのような由緒や歴史があるのか少なからず興味があります。神社の祭礼等で歌舞伎・人形浄瑠璃等を演じることを目的に日本の農村に設けられた舞台のことを農村舞台という、と有ります。そうであるならば延久年間(1069~1074年)の創建と伝えられる若宮八幡宮(戸津北小路の八幡神社)に何らかの関連ある字名なのでしょうか。この春に行われた「早春の八幡東部と神社を巡る」(「会報」36号/20 13年3月2 5日発行参照)に参加し、歩きながらふと「舞台」という地名に思いを巡らせていましたが、不勉強でこれと言った答えは探し出せておりません。『京都府の地名』にも、金振郷の説明の頁に地名のみの記載はございますが、調べてみる価値は十分にありそうです。

 合流地点から一気に北上し、八幡排水機場のある薬薗寺近くの一の橋までは大谷川流域でも川幅が広い箇所です。防賀川や大谷川などの改修は、溢水の際の被害を最小限に留める目的で昭和40年の計画決定から始まり46年に完成しました。このあたりは大谷川の中でも川幅が広くて傾斜が殆ど無いために、流れが緩やかで砂などが堆積しやすくなります。堆積が進むと大型重機を使っての川浚いが行われている事も近隣に住んでおられる人に聞きました。川浚いは溢水防止に極めて有効な策で大切な作業ですが、一方では浚われる流域に生息する動物などが、たとえ一時的でも棲みかを失うといった側面を持つことにも同時に思いを至らせることは大事なことと思います。

 とは言え、大谷川に生きる生物の命を守ること以上に人の命や財産や生活を守ることが現実的に大切なことに異論は無いと思います。この秋の台風18号はかなりの大雨を降らし八幡市内でも複数の箇所で被害を被りました。この大谷川沿いにも京都府が設置、管理している河川防災カメラ(*4)が常時流れを見守り、災害を未然に防止したり最小化したりすることに活用されています。また、この画像はインターネットでも見ることが可能ですが、このように川や人々を守る活動が日々行われているんだと認識することも必要と思います。◆会報第44号より-04 大谷川散策⑦_f0300125_9144855.jpg

 田園区はその名の通り田んぼが広がり、四季の移り変わりがとても感じられる区間です。霜の降りた冬の朝、野草が芽吹き桜やレンゲの花咲く春、田を起し、水を引き、田植えにと続く初夏から夏の季節、夏の盛りを過ぎてやがて全てが黄金色に実る秋と、四季を通して田園風景が楽しめるのはこの区域の最大の特徴です。最近ではレンゲの花咲く田んぼを見ることが少なくなりましたが、その理由を「田起しや田?きの時、農機具の回転部分に枯れたレンゲの茎などが巻き込まれ易くて、取り除くことが面倒でやっかいものにされて植える人が減ったのよ」と、農作業を終えられた地元の方から散歩の途中に教えて頂きました。かって、耕運機などの農耕用機械なども少なかった時代にはそのような問題も無かったようです。私の故郷でも、かって一面にレンゲの花咲く田んぼは子供達の恰好の遊び場でした。レンゲは牛の餌として、また肥料(緑肥)として使われていたことや養蜂業者の春の仕事場だったことなど、私自身もいまだ記憶しているところです。◆会報第44号より-04 大谷川散策⑦_f0300125_9181957.jpg

 川沿いを散歩すると、冬には電線に並んで止まり、春には桜の小枝で歌うスズメ達にも出会えます。その賑やかな合唱(おしゃべりかも)が聞こえると冬の寒さも忘れますし、春にはスズメ達も桜の開花を待っていたのかな、と勝手に思ってしまいます。流れの浅いところでは専用の椅子をしつらえて、もしくは岸辺のあちこちで、竿先の細かな動きを見つめる釣り好きの人達はおそらく鯉が狙いなのでしょうか。何回となくこの光景には出合うのですが、鯉を釣りあげておられる瞬間には今のところ出会えておりませんが。
 
 このような豊かさを生み出してくれる大谷川の流れに、耕作なさっておられる方々、「気持ち良く散歩が出来る環境を…」と呼びかけて流域を守っておられる皆様、行政や関連団体の方々など、この豊かさを守り続けておられる多くの人々に感謝しなければと改めて思うのです。

 第8章では「橋の誕生日など」について書きたいと思います。

(*1) 昭和38年に綴喜西部土地改良区の、同62年には当時の建設
    省(現国土交通省)による八幡排水機場がそれぞれ完成。
(*2) 京都新聞・山城版(平成25年10月26日)の記事より。
(*3) ウィキぺディアフリー百科辞典より。
(*4) 京都府山城広域振興局企画部・山城北土木事務所/八幡市都
    市管理部道路河川課のご協力をいただきました。


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by y-rekitan | 2013-11-28 09:00
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