◆会報第09号より-02 八幡歴史文化⑤

シリーズ「八幡の歴史を彩る文化」・・・⑤
吉井勇の歌の魅力

土井 三郎 (会員)


   凩を聴きておもふはすでに亡き 友啄木がありし日のこと 

 吉井勇のこの歌を読んで意外な気がした。その境遇があまりにも違い、作風も随分異なる啄木を、勇が友と呼んでいることに。
 石川啄木は、岩手の寒村に生まれ、代用教員や地方記者として貧しい生活を余儀なくされ、やがて社会主義に傾倒し、貧しさに喘ぎながら26歳の若さで亡くなったことで知られる。それに比べ、吉井勇は鹿児島藩士出身の伯爵家の次男として生まれ、遊蕩な日々を過ごす時期があり、70余歳まで生きたのである。
 だが、生年を調べて驚く。二人はともに1886年(明治19)生まれである。共通点は他にもある。ともに「明星」派の詩人として注目を浴びた時代があり、その中身が違うかもしれないが、流離(さすらい)の歌人と称されたのである。

   たはれをの心のごとく流るるや 南し北す大阪の水

   陸奥に往きし芭蕉のかなしみと 長崎にゆくわれの愁(うれ)ひと

   身は雲に心は水にまかせべう 旅ゆくわれをとがめたまふな

   四国路へわたると云へばいちはやく 遍路ごごろとなりにけるかも

 流離は感傷を伴う。啄木は、孤愁と望郷とを歌に託したが、勇の感傷には自戒の念と自分を恥じるような息づかいが感じられる。伯爵家に生まれてきたことをうとましく思う気持ちがあるのだろうか。

   紅灯のちまたにゆきてかへらざる 人をまことのわれと思ふや

   眠られぬ小夜床さむし人の世の 恥の衾かづきてぞ寝る

 だが、勇の真骨頂は、感傷を突っ切ったような耽美であり、儚くも妖しい感性である。それは、竹久夢二の美人画の挿絵が相応しい小世界と云える。

   東京の秋の夜半にわかれきぬ 仁丹の灯よさらばさらばと

   宵闇はふたりをつつみ灯をつつみ しづかに街のなかをながるる

   はかな言云ふ舞姫の手にありて 蛍のひかりいよよ青しも

 そして、勇の耽美は、歌舞伎や市井の寄席情緒に傾斜し、芸人気質や町人文化への憧れが色濃く表れるようになる。

   秋のかぜ馬楽ふたたび狂へりと 云ふ噂などつたへ来るかな

   新内の唄のなかよりぬけ出でて きたりしごとく君はかなしき

   島原の角屋の塵はなつかしや 元禄の塵享保の塵

   提灯に一時に紅き灯ともれば 桟敷はとみになまめしきかな

   しんしんと雪の降る夜の団蔵の 仁木を照らす面あかりかな

 馬楽は落語家蝶花楼馬楽、団蔵は歌舞伎役者市川団蔵。仁木は、「伽羅先代萩」の舞台で、床下からせりあがる場面で、あかりに両の頬を照らされる敵役仁木弾正のことである。このような寄席通いが昂じたものか、勇は戯曲の作品も残しているという。
 一方で、吉井勇は、凩を聴けば啄木を思い起こすというように、人懐っこく情に篤い面が見られる。むろん、肉親への思いも強い。

  わがこころいたく傷つきかへり来ぬ うれしや家に母おはします

  吾子は寝ぬわれは眠らで夜を守らむ この恐ろしき更けがたき夜を

 吾子は勇の長男滋(しげる)のこと。関東大震災の夜、勇は二歳の吾子を徹夜しながら見守ったのであろう。  但し、滋の母、徳子夫人とはやがて離婚するのである。

  世を棄てむ心おこせど吾子のこと 思へばむげに棄てもかねつつ

  われは旅に妻は夜戸出に子はひとり 婢とあそぶあはれなる家

  母刀自の老のおもかげ夜目に見ゆ 酒な飲みそと云ひたまふごと


この連載記事はここで終りです。       TOPへ戻る>>>

by y-rekitan | 2010-12-28 11:00 | Comments(0)
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