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◆会報第05号より-01 八幡の祭り①

シリーズ「八幡の祭りについて」・・・①
高良(こうら)神社の太鼓祭り

是枝 昌一 (会員)


             
◆会報第05号より-01 八幡の祭り①_f0300125_1522974.jpg ご存知の通り、八幡市のお祭りは石清水八幡宮のお祭りが代表的であり、国家安泰、皇室、武家の守護神としての位が高く、日本の代表的な祭りとして有名である。別に、民衆に密着した氏神神社を中心とする町民、農民の素朴な熱気あふれる祭りが、それぞれ担当のご努力により続いており、民俗学的にも貴重な形態が見られる。
 いずれ機会があれば、祭りに関連する考古学上の遺物の展示を通じての勉強会も企画したいと思う。
 今(2010)年の太鼓祭りは、例年通り7月17日、18日に盛大に実施された。土日を含む三連休の影響もあり、約5,000人の人出となり例年にない活況が見られた。

 その歴史を辿れば、高良神社の神事として文政年間(1818~1830)に和太鼓を乗せた大きな屋形神輿が町内毎に作られ、勇壮な太鼓祭りに発展していった。三川合流(桂川・宇治川・木津川)の合流点であるこの地は、昔から水害と疫病に悩まされていた。そこで、太鼓の音で邪気を祓う「太鼓祭り」が、疫病がもっとも流行りやすい夏に行われてきた。近年は子ども神輿も加わり、参加の子ども達は次の担い手としての成長が期待され、継続につなげている。
 「よっさーよっさー」
町衆の元気良い掛け声に「ドンドンドン」と和太鼓の力強い響きが重なり、担ぎ手は多くの見物客が詰め掛けた参道を勇壮にねり歩く。
 準備は6月よりスタート。各地域の代表が集まり、本年度の概要を打合せ、休日を利用して進める。特に、当日の宮入りの段取りは慎重に決定し、巡行のルートの決定には、警察、行政も加わり、市としての大きな祭への意気込みが見られた。

高良神社の歴史について

 高良神社は、高良玉垂命(たまだれのみこと、船・航海の神)を祭る石清水八幡宮の摂社である。八幡神を九州の宇佐八幡宮から勧請した行教律師が貞観2年(860)6月15日に社殿を建立したと伝えられており、創建より1150年の歴史が刻まれている。この間、地域の氏神様として信仰を集め、色々の神事が続けられている。
 明治初年の戊辰戦争の影響により焼失したが、明治15年(1882)に再建され、同39年(1906)に現在地に移築されたもので、建物は一間社入母屋檜皮葺である。
 例祭として、太鼓祭りと共に提灯献灯が天明3年(1783)頃より始まり長らく続いたが、明治維新の混乱時に中止。明治12年(1879)頃に復活、新暦7月18日を祭日とした。本祭は一時途絶えていたが、昭和62年(1987)に八幡宮青年会や地元の方々により復興し、祭礼前7日間、毎夜点燈されている。
 次回は、10月に行われる御園神社のずいき祭りについて掲載したい。農村の代表的な収穫と感謝、次の豊作を願うお祭りで、素朴な中に伝統ある神事が見られる。秋には、京田辺が主催であるが、隼人踊り(南内里も関連する)があり、これも興味ある祭りである。関連する情報がありましたら教えて頂きたい。

一口メモ 太鼓の歴史

 その歴史は古く、紀元前3000年古代オリエントの彫刻に鋲締めの大太鼓が、また古代エジプト時代には腰鼓が見られる。日本の場合、太鼓という文字が使われているのは、雅楽が渡来した(453年)頃といわれている。その後、祭の主役である和太鼓に、鼓(つづみ、胴体がくびれている)と分化し、鼓は芸の世界(歌舞伎・雅樂)に発展した。打楽器は音楽の原点といわれており、最初は危険の伝達、仲間の選別、集団活動の徹底として木片で叩くことから始まり、次に木をくりぬき、動物の皮を貼り付け、反響する太鼓へと進化した。和太鼓は重厚な響きが特徴で叩く事により、神への願いを祈ったと伝えられる。また雨乞いの神事に使われたとも言われ、日本独特の重厚な響きが特徴といえる。この打楽器の原点は南アフリカといわれており、単純だが素朴な独特のリズムが今でも踊りと共に残っている。
 少し脇道にそれるが、京都寺町にコイズミというユニークな民族楽器店があり、アフリカ・東南アジアの音楽の原点に繋がる楽器が販売されている。この中に、南アフリカのジエンベという太鼓があり、この音が気に入り時々訪れる。また、鴨川沿いのウオーキングが好きで出かけるが、休日には若い夫婦がジエンベを叩いておられることがあり、鴨川の水の流れに調和し、音の原点を感じる。リズムは、人の鼓動と繋がるとも言われる。

一口メモ 祭について

 イベントと祭りとの違いは何だろう。共に人間社会の集団活動には違いがないが、イベントは個々の楽しみ、娯楽、ストレスの発散、商業ベースが主とされるが、祭りは、神事または仏事を基本に、反省、願望、祈り、絆、継続が中心になっている。農耕社会では、今年の収穫を反省し、来年の願望を共に祈り、その行為により相互の絆を深め、次の世代に継続していくとも言える。
 数学者として有名な八幡在住の森毅氏が7月24日に逝去された。数学者であるとともに、ユニークなエッセイを沢山残しておられ、八幡図書館では、その蔵書を特別展として展示している。良い機会なので、3冊ほどエッセイ集を読ませていただいた。その中で、祭りについてのエッセイの一部を紹介したい。
「お神輿を担ぐのは、体力のない僕にはつらい。さりとて二階桟敷から眺めているだけでは、傍観者的で熱気がもうひとつ、なろうことなら、神輿の周りを野次馬でチョロチョロし、時にはちょっとかついだふりだけして見る、そうした身のこなしがすきだ。」(「時代の寸法」)
 少しかかわりをもとうとする傍観者の気持ち、独特の軽いタッチの表現に共感を覚えた。見物だけではなく、何か参加したい気持ちを態度で示す事が、今日大事な情報の共有化に繋がるのではないか。


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by y-rekitan | 2010-08-28 12:00
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