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◆会報第14号より-02 古歌の南山城④

シリーズ「古歌に詠われた南山城」・・・④
『古今』『新古今』と八幡・淀

八木 功 (会員)

『新古今集』には、臨時祭(3月、中の午の日に行われた)に因んだ歌があります。
       衣手(ころもで)の山井の水に影見えし
                 なおそのかみの春ぞ恋しき(1798)
 
 (臨時祭で、ともに舞人を努め、舞衣装の袖が山の井に写っていた春が、今でも恋しいです。) 

次の歌がその「返し」です。
       いにしへの山井の衣なかりせば
                忘らるる身となりやしなまし(1798)

(昔、山井の水で染めた舞衣装で一緒に舞わなかったならば、私は忘れ去られる身となったのでしょうか)
※二首とも、「山井」(男山から湧き出る水)と「山藍」(舞人の着る小忌衣を摺り染めにする染料)が「掛詞」として用いら れています。

 多少嫌みっぽい皮肉ですが、それが言えるほど心の通じ合う間柄なのでしょう。
 平安後期の歌謡集である『梁塵秘抄』(1169年頃)から、八幡宮に参詣する経路や八幡大菩薩という神仏習合の証しが伺える興味深い歌謡を紹介しておきます。

   八幡へ参らんと思へども 鴨川 桂川 いと遠し あな速しな
         淀の渡りに舟浮けて 迎へたまへや 大菩薩(261)

 (鴨川、桂川どちらも流れの速さは同じ。淀の渡しに舟浮かべて、お迎え下さい、大菩薩さま。)
※当時、都から八幡詣でをするには、鴨川、巨椋池の流出口(現在の淀城近辺)を渡るコースと、桂川、淀川本流ではなく橋本を渡るコースがありました。この歌には、「浮世の流れに翻弄されないよう、舟をさしむけていただき、どうか、お救いください」という庶民の現世及び来世への願いが含まれているように思えます。

 次は、隣接する淀の真菰(沼沢に生えるススキに似た多年草。実は食用に、葉は筵に織る)を詠んだ歌に移ります。大ざっぱにいえば、昔の巨椋池は、現在の淀の美豆に立てば、はるか宇治の槇島が見えるくらいの広大な沼沢地であり、宇治川は填島で、木津川(泉河)や、賀茂川と合流した桂川は現在の淀城あたりで、それぞれ南北から巨椋池に流入し、京阪電車の淀車庫あたりから淀川となって流れ出していたようです。淀あたりには、微高地が点在し、填島から淀に至る南岸にある名木川も、現在とは位置が異なっていたようですが、しばしば詠われています。しかし、何といっても、「淀」といえば「真菰」であります。「真菰刈る」は、真菰が沢山生えている地名、例えば淀、難波の堀江、奈良の大野川原などにつける「枕詞」となっています。真菰を詠んだ歌は『万葉集』にもありますが、歌枕になっていた「山城の淀」の真菰を詠んだ歌を『古今集』から二首紹介します。

       真菰刈る淀の沢水雨降れば
                 つねよりことにまさるわが恋(587)

     (淀の沢水が雨が降ると水かさが増すように、わが恋心も募ってくる。)

 「風景から心情へのスムーズな移行を好む」紀貫之の歌ですが、水かさ・恋心いずれもつねより高まってくる、という分かりやすい歌です。次の歌には地名と生活が詠み込まれています。
       山城の淀の若薦(わかこも)かりにだに
               来ぬ人たのむわれぞはかなき(759)

(淀の若薦をかりそめにさえ刈りに来ない人をあてにするわたしは、なんて儚いものなのだろう。)
  ※「かり」は「刈り」と「かりそめ」の「仮」の掛詞であり、すこし手の込んだ歌です。


『新古今集』からも二首。
      真菰刈る淀の沢水深けれど
                   まで月の影は澄みけり(229)

   ※淀は山城国の歌枕。「月の影」は月の光。貫之の歌(587)を踏まえた叙景歌。
      山城の淀の若薦かりにきて
              袖濡れぬとはかこたざらなむ(1218)

    (ほんのかりそめに訪ねて来て、涙で袖が濡れたなど愚痴をこぼさないで。)

 明らかに『古今集』の(759)を踏まえた歌であり、「若薦」は同じく「若い女」を連想させますが、このように有名な古歌の一部を借用して新しい歌を作る手法「本歌取り」は『新古今集』の特徴だと言われています。「淀の川霧」も山城国の歌枕です。

      都をば秋とともにぞ立ちそめし
                  淀の川霧いくよ隔てつ(876)

(都を秋が立つと同時に出立したけれど、淀の川霧はもう幾夜たってあなたとわたしを隔てたことでしょう。) 
        ※「立ち」は「川霧」と縁語(えんご)。1074年初秋七月ごろの作。


これは、よく知られている能因法師(998~没年未詳)の歌を意識して作ったのでしょう。
      都をば霞とともに立ちしかど 
               秋風ぞ吹く白河の関
 
    (霞たなびく春に都を出立したが白河の関ではもう秋風が吹いている。)

◎歴史短歌三首
  ① 民衆が渡りに舟を祈りしは 王城鎮護の八幡神か   
※民衆が現世利益を祈る神として、志(し)多良(たらの)神(かみ)が八幡宮に移座(945年)以後、男山は民間信仰のメッカとして賑わうようになりました。(『八幡史誌』第一巻)
    
  ② マコモ刈り恋の芽生えし巨椋池 いま心地よく電車行きかふ
  ③ 川霧は山城国の歌枕  池なくなりて風情やいかに

【豆知識】設楽神(しだらがみ)
 志多羅(良)神とも。古代の流行神の一つ。神格は不明だが、八幡神に類する面が認められる。945年(天慶8)志多良神の神輿が西国から群衆の歌舞とともに上洛し、託宣に従い京都の石清水八幡宮に到着した。富をもたらす神として民衆を熱狂させ、小祠も誕生した。シダラとは手拍子のことで、1012年(長和元)にも再度流行した。
               -『日本史広辞典』より一部略、事務局


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by y-rekitan | 2011-05-28 11:00
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