石清水八幡宮の創建 所在地 八幡高坊 貞観元年(859)、奈良大安寺の僧、行教が九州・豊前国の宇佐八幡の神託をうけ、八幡神をこの地に勧請したのが始まり。八幡宮の遷座以前は、男山山中から湧き出る清泉を神としてまつっていたと伝えられています。 創建にあたって、時の清和天皇の命をうけ、宇佐宮に准じて本殿三宇、礼殿三宇からなる神殿六宇の造営に着手、翌貞観2年(860)4月3日に「石清水八幡宮」は完成しました。以来、朝廷の崇敬を得、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟と崇められ、源氏もまた八幡神を氏神として仰ぎ、八幡信仰は全国に流布することになったのです。 特に源義家は、七歳になった寛徳2年(1045)の春、石清水八幡宮で元服。以降、「八幡太郎義家」と名乗ったことは有名です。 さて、仏教が盛んであったころ、石清水八幡宮は社僧によって管理されていました。男山には多くの堂舎僧坊が甍を並べ、「男山四十八坊」と呼ばれました。本殿前の参道に並ぶ石灯篭は、往時の旺盛を偲ばせる風景となっています。(絵と文:小山嘉巳)
by y-rekitan
| 2013-12-28 12:00
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