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◆会報第38号より-01 淀屋の娘

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わが心の風景・・・(11)
淀屋の娘 五百(いお)
所在地 八幡柴座


 ◆会報第38号より-01 淀屋の娘_f0300125_15523354.jpg淀屋辰五郎が享保2年(1717)12月21日に亡くなると妻吾妻も後を追うように三年後の享保5年に亡くなります。残された娘の五百(いお)はこの時、九・十歳でした。五百は大坂新町の茨木屋の名妓だった母を持つこともあって天性の美女。世話人によって京都奉行組の与力四方田重之丞の息子孫七を養子に迎えました。孫七は下村左仲と改名するのですが、これが無類の放蕩者。わずかに残った淀屋の財産を使い果たし、親戚縁者の戒めもあって、離縁状を出さずに八幡を去って行きます。
 その後、八幡侍に剣術の指南にやってくる大野左門という浪人に自宅の一間を道場に貸すのですが、いつしか、五百との間に恋が芽生えます。これを伝え聞いた左仲は嫉妬を覚え、手下数人を雇い、元文2年(1737)正月、寝込みを襲い二人を殺してしまいます。この事件が後に浄瑠璃浪華丸金鶏の「八幡女敵対」として仕立てられました。淀屋辰五郎旧邸跡の碑は、悲しい伝説も今に伝えています。(絵と文:小山嘉巳)

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by y-rekitan | 2013-05-28 12:00
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