本妙寺 所在地 八幡城ノ内 大谷川に架かる飼屋橋から南へ少し行くと男山の麓を背にした本妙寺本堂が見えてきます。寺は法華宗眞門派に属する日蓮宗真門派本隆寺末寺で、山号は久遠山といいます。 本妙寺は、普伝日門に帰依する竹内伊予守経孝によって永禄7年(1564)頃に創立されました。本堂前にある碑は、桃山時代前期、本山第二世の日門上人の殉教碑です。 天正7年(1579)5月、安土でおこなわれた日蓮宗と浄土宗の論争「安土宗論」の際、日蓮宗の勢力拡大を喜ばなかった織田信長は、浄土宗側に荷担し、日蓮宗敗退の裁決を下しました。この時、犠牲として刑場の露となったのが本妙寺の日門上人でした。 また、竹内伊予守経孝が織田信長に見いだされ、信長に仕えた後、再び男山に戻り、滝本坊の住職となって同坊で修行中の松花堂昭乗を養育しました。 当寺に伝わる「雲版」は南北朝時代後期に青銅で作られた京都府内最古のもので、京都府指定文化財となっています。 (絵と文:小山嘉巳)
by y-rekitan
| 2014-04-28 12:00
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