![]() 上津屋の名所をめぐる ― 2010年10月 現地及び四季彩館会議室 ― 10月23日(土)、上津屋(こうづや)の名所、伊佐家、流れ橋、石田神社をめぐる現地見学会を実施しました。 好天に恵まれ、八幡市駅前から出発した送迎バスには15名、マイカーで四季彩館に集合した参加者16名、合わせて31名がまず伊佐家を訪問。 伊佐家は、代々天領の庄屋を勤めた家で、敷地は約2600平方メートル。住宅周囲には石垣が築かれ正面の南側道路には濠跡が残っています。 ![]() 玄関先に御当主である伊佐錠治さんと奥様が出迎え、お二人の先導のもとに二つのグループに分かれて屋敷内を見学しました。 まず目につくのが、昭和50年に重要文化財に指定された主屋(おもや)のどっしりとした佇まい。軒の厚い茅葺(かやぶき)が印象的です。その主家を横目に、高い赤壁で仕切られた塀の中門をくぐると広い庭に出ます。 庭には、その昔主人代々の墓もあったとか。墓石は一部庭石として利用されているとのこと。庭に面した座敷も広い。三点セットとして床の間、城楼(せいろう)棚、付け書院も備わっている本格的なものです。 ![]() 庭をめぐると石垣の上に建つ四つの土蔵が目に入ります。右から東蔵(ひがしくら)、木小屋、二階蔵、乾蔵(いぬいくら)です。それらが渡り廊下と高縁で結ばれているのは大変めずらしいとのことです。それらの土蔵も重文に指定されたとのこと。再び主屋に入り、江戸時代のままの台所に入り、祭礼用の大くど等を見学。 伊佐家を後にして、木津川堤防にあがり、流れ橋を見て石田神社へ移動しました。 鳥居近くで私たちを待っていて下さった金森さんが、早速境内を案内して下さいました。 同社は702年(大宝2)に創建され、度重なる木津川の決壊などで何度も再興されてきたとのことです。 拝殿にある「算額」は、明和2年(1765)に、当時18歳の伊佐正富氏が京都の和算の大家村井中漸に学んだ算術の問題を図と文章で表し、石田神社に奉納したものです。右の写真は復元したもの。 ![]() また、明治以前、石田神社が牛頭天王社と呼ばれていた頃に、境内には真言宗の福泉寺があったそうです。ご本尊は「薬師如来像」。木津川の洪水を鎮め疫病を平癒してくれる氏神本地仏として村民より深く信仰されていたとのこと。そして、明治維新となり、政府の命令により神仏習合が許されず、村人・氏子が協議の上で本尊は近くにある西雲寺境内の薬師堂に移されたとのことです。 「八幡屋」で昼食を摂り、午後1時より四季彩館を会場にお話と講演。 再び金森さんが、「石田神社の歴史と和算」と題して話題提供をしてくださいました。表題のテーマにちなんで、「上津屋の歴史と流れ橋」、「算額の奉納」、「境内神社の祭神」「世界がびっくり!庶民の算術」など多岐にわたりました。 「算額」は、全国各地に約1000枚も残っており、当時の西洋数学の水準と比べても程度が高いとのこと。高度な数学のレベルが要求されたということであり、江戸時代の農業や産業全般の生産力の高さの反映かもしれません。そして、何より庶民の知的好奇心の高さには驚かざるを得ません。 続いて、伊佐さんが映像をもとに、「伊佐家の歴史と文化財保存」と題して、とくに、土蔵の維持管理を中心に語ってくれました。 印象深いテーマが提起されました。 その一つが、江戸時代における上棟の際のしきたりと豪華な宴と称すべきものです。弘化4年(1847)の史料によれば、大工だけでなく、町内外から親戚や出入りの者達を招待し、「四ツ時迄祝宴」したり近所に牡丹餅(ぼたもち)を配ったりしているのです。四ツ時とは午後10時のこと。庄屋ゆえの村民へのサービスと解釈してよいのか、一種の義務なのかわかりませんが、大変な散財であることは確かです。 二つ目が修復の大変さ。伊佐家住宅では、平成18年から平成19年にかけて総工費8千万円余を費やし東蔵、乾蔵、二階蔵、木小屋の修復工事を行ったとのこと。事業主体は伊佐家です。工事は、石垣破損・地質調査を施したうえで、揚前工事、基礎工事、石工事と続き、最後に復旧工事で完成するというものです。総工費8000万円の内、所有者である伊佐家の負担額はなんと1000万円! 所有者負担には限界! 伊佐さんは、ご自身の代における修繕工事は蔵の修復で終わったわけではないとのこと。主屋(おもや)の修復が遠くない時期に待っているとし、後継者の問題も含め、これ以上の個人負担は無理であると正直に胸の内を吐露するのでした。そして、文化財の保存を誰がどのように進めるのか。皆さんで大いに議論してほしいと提起し、一応の講演を終えました。 重い課題を受け、何人かが発言しました。 いずれにしても、市民的な運動で文化資源の確保・維持という途を模索する手立てを考えていきたいというのが共通の認識になりました。 午後からの参加者を含めて全体で37名でした。 「上津屋の歴史と伊佐家のことが分かり良かった。伊佐家のお話は目で見て具体的でよくわかりました。経済的なこと、本当に大変なことで御苦労さまです。よいお宝を見せてもらってありがたかったです。八幡市の活性化に歴史的な物は大変重要なので各人の努力が本当に大切だと思います。
by y-rekitan
| 2010-10-28 12:00
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