◆会報第16号より-03 八幡歴史の謎②

シリーズ「八幡の歴史の謎とは何か?」・・・②
近世~近現代篇

 八幡の歴史を探究する会 事務局 


近世
  1. 延暦寺を焼き討ちした織田信長が何故石清水に寄進したり保護したりしたのか? 
  2. 「洞ケ峠」を巡る明智光秀と筒井順慶の動向を探る。誤伝は何故生またのか。
  3. 豊臣秀吉は、八幡宮とどのように関わったのか? 八幡における太閤検地の実態は
  4. 家康による朱印状とはいかなるものか? 幕藩体制の中で八幡はどんな存在であったのか? 「内四郷外四郷」の支配の在り方を探る。 
  5. 淀屋辰五郎の墓及び屋敷跡が何故八幡にあるのか。淀屋の出自と闕所後の動向を探る。
  6. 正徳四年(1714)の蜻蛉尻川(防賀川)の堤切事件の顛末を探る。
  7. 近世八幡の商人・職人の動向から何が見えてくるか? 八幡における綿や菜種等商品作物の生産と流通過程を探る。 
  8. 八幡で生糸生産が行われた時期があるのか? 美濃山の茶と神戸貿易との関わりは
  9. 『上津屋村諸事記録』などから村の日常生活が再現できないか?
  10. 近世八幡の水運や舟運はどのようなものであったか? 何故橋でなくて渡し舟なのか? 橋本や上津屋の渡し舟はどのように運営されたのか?
  11. 「八幡八景」(俳諧・和歌)はどのような文化環境の中から生まれたのか? 
  12. 松花堂昭乗(1584~1639年)の出自は? 昭乗の文化的土壌を探る。 
  13. 南山焼を大成したとされる浅井周斉(?~1800年)とはいかなる人物なのか。 円福寺との関わりは? 
  14. 宿場町橋本はどのように形成され、発展していったのか? 遊郭はいつごろできたのか?
    慶安2年(1649)の京都所司代からの通達をどう見るか?
  15. 幕末期における社務と社士の抗争は何故起きたのか、どのような展開をみせたのか?
  16. 鳥羽・伏見の戦いはどのように展開され、八幡・橋本はどんな被害を蒙ったのか? 橋本の陣屋はどのような規模で、どのように形成されていったか?

近現代
  1. 明治初年、木津川はどのように付け替えられたのか?
  2. 学校がどのように編成されていったのか?
  3. 八幡における小作争議はいかなるものであったか?
  4. 鉄道や近代産業がどのように根付いて行ったのか? 京阪電車開通に至る経過は?
  5. 八幡宮の境内にエジソン記念碑があるのは何故か? エジソンがフィラメントに使用した竹は八幡のものなのか?
  6. 谷崎や吉井など近代文人と八幡の関わりを探る。
  7. 戦時中の八幡の人々の暮らしはどのようなものであったのか? 八幡出身の兵士の動向を探る。
  8. 高度経済成長期、八幡はどのように変貌したか。

全体として、その他
  1. 三川合流の歴史を探る。
  2. 八幡の地名の謂れを探る。
  3. 八幡の寺院(所在、宗派、本尊、来歴など)を探究する。
  4. 八角堂とその保存について。
  5. 八幡の竹について歴史的に考察する。

この連載記事はここで終りです。       TOPへ戻る>>>

by y-rekitan | 2011-07-28 10:00 | Comments(0)
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