![]() 松花堂昭乗の茶の湯 ― 『松花堂茶会記』記載の茶道具を中心に ― 松花堂庭園・美術館 杉 志努布 2月19日(水)、歴探の会、2月例会が開かれました。厳しい寒さにも関わらず、59名の皆様が集まりました。ことに、八幡市内で茶の湯に親しんでおられる方々が多数お出で下さいました。紙上を借りてお礼申しあげます。 例によって、レジュメをもとに講演の概要を紹介します。 松花堂昭乗(1584~1639)は、若くして男山に入り、瀧本坊実乗について真言密教を学んだ。1627年に瀧本坊の住職になり、10年後には泉坊に移り草庵「松花堂」を建てて隠棲。約2年後、56歳で没した。書・画・茶の湯など諸芸に優れ、寛永文化を代表する人物として知られる。 昭乗の茶の湯に関して注目されてきた点は、以下の通りである。 昭乗の茶会の参会者には、石清水八幡宮関係者、僧侶、公家、武家、町人らが混在していたこと。 瀧本坊茶室「閑雲軒」、草庵「松花堂」。 後に「八幡名物」と呼ばれた茶道具を所持したこと。 その「八幡名物」であるが、以下のような変遷を辿る。 安永2年(1773)…瀧本坊の火災により一部が焼失および流出。その後も復興のために一部を放出。 化政期~天保期(1804~44)…瀧本坊より流出。 天明5年(1785)頃…姫路城主酒井宗雅が「八幡名物」の散財を惜しみ、その収集に着手。 天明8年(1788)…宗雅が蒐集した24点を瀧本坊に寄贈。 慶応期(1865~68)以降…「八幡名物」の評価が定まり、その名称が普及。 大正3年(1914)…昭乗の遺風を顕彰する会である「松花堂会」が政財界で活躍する茶人などにより結成される。 大正11年~昭和10年代(1922~1935)…瀧本坊の閑雲軒が復興。「八幡名物」を用いた茶会が定期的に開かれた。 (1)それまでの茶の湯の歴史
利休の茶が解体され、近世的な茶の湯のスタイルが草創された。
(1)「茶会記」とは何か 「茶会記」とは、茶の湯の会について、日付、場所、亭主(席主)名、客名、使用した茶道具、その際出された料理などを一定の順序に従って書き留めた記録である。16世紀の初め頃に、茶の湯が確立される中で記録されるようになった。茶会記の筆者には茶匠、町人、武家、公家、僧侶がいるが、僧侶の例は少ない。 茶会記の形態として冊子・巻子・掛軸があるが、冊子の形が多い。現存する自筆本は少なく、原本を転写した筆者本、複数の転写を経たものが多い。 (2)『松花堂茶会記』の概要 松花堂昭乗による自筆自会記として計30の会の記録が残されている。現在、裏千家今日庵文庫本と松花堂美術館本の2本に分かれて伝わっている。 記載内容は以下の通り。 日付は、寛永8年(1630)閏10月12日から同10年(1632)7月29日迄で、場所としては、瀧本坊(数寄屋、書院)と鐘楼坊である。 客名は約110名(延べ145名)で、石清水八幡宮関係者をはじめ公家・武家・職人などである。 使用した茶道具は約100点あり、点前道具の他書院を飾る道具類も含まれている。 (1)これまでに指摘されている主な特徴 全般的には、ほとんどが「八幡名物」として確認できるもので、掛物や香合などは比較的古く、新墨跡は使用せず、他の点前道具などは新しい。 書院の様子は古典趣味に基づく雰囲気が漂う。 掛物は古筆が圧倒的に多い。書跡は、『手本』として蒐集されたものも使われている。 茶碗は天目や高麗茶碗が主体で、和物が見られない。 (2)『松花堂茶会記』に記載される茶道具 ―花入、点前道具を中心に 花入(7点) < >内は『松花堂茶会記』記載の名称。以下同じ。 青磁蕪無花入<かふらなし>、青磁経筒花入<経筒>、唐銅六角花入<からかね、かね>、釣舟花入<釣 舟、つりふね>、備前伊部手花入<新備前> 信楽筒木幡花入<木口かけ> 竹一重切花入 銘羅漢 <羅漢、ラカン> 香合(13点、うち1点名称なし) 碁盤形蒔絵香合<ごばん、ゴバン、碁盤>、張成作 堆朱香合<張成>、彫漆香合<ほり物>、青貝香合 <青貝>、松に千鳥蒔絵香合<松山>、染付竹香合 <竹>、竹キリコ蒔絵香合<竹キリコ>、六角染付香合<六角染付、六角ソメ付>、染付香合<染付>、八角 瓢箪香合<八角ヘウタン>、六角瓢箪香合<六角ヘウタン>、焼物八角香合<やき物八角> 釜(3点) 姥口釜<うは口>、霰地馬文釜<馬あられ、馬>、南蛮頭巾釜<南蛮頭巾> 水指(8点、うち1点名称なし) 藤四郎作 瀬戸四角水指<四角、四角せと>、伊部半月水指<新備前、備前>、古備前水指<古びぜ ん、古備前>、染付水指<ソメツケ>、立鼓形水指<リウゴ>、筒太鼓水指<つゝ太鼓>、八代水指<八代> 他に、茶入[盆]、茶杓、茶碗、蓋置、建水、炭道具などを画像とともに紹介(略)。 『松花堂茶会記』記載の茶道具から窺える昭乗の茶の湯に対する姿勢として、次の点が指摘できる。 ![]() 一つには、多種に亘る陶磁器類の使用である。また、新興の和物陶磁器のかなり早い使用例が見られる点である。但し、好み物らしいものは見られない。そして、由緒ある名物道具の使用が多いという点である。 以上の点から、豊富な茶道具を取り込み使いこなす優れた感性が感じられ、一方で、新興のものをとりいれる柔軟性と、茶道具に対する節度ある姿勢がうかがえる。 今後の課題として、これからも、より多くの昭乗ゆかりの伝世品の探索、実見を行い、近世の茶道具流通における男山の位置について調査を進めたい。その際、石清水八幡宮出土の資料も参照したい。 また、社会的背景や交友関係も含めた総合的な考察を深めることが肝要である。(文責=土井) 1時間半以上に及ぶ講演の後、10分間の休憩をはさみ会場から以下の点にわたる質問や感想が寄せられました。
◎「男山に住んで7年になります。初めて参加させていただきました。よく学んでおられる方々の中にいておくれを感じました。恥を承知で赤子のように何でも吸収したいなあと思いました。 全ての内容が新鮮でした。感謝します。(N) ◎長年、昭乗の茶道具を研究する人を望んでいました。よかったです。見たいと思っていた茶道具をみせていただきありがとうございました。(U) ◎松花堂美術館で八幡名物の茶道具を展示する企画はどうですか。貴重な物が多くて借り代が高額になって不可能ですか。一度に全体は無理でも何回に分ければ可能ではないか。(I) ◎詳細な説明でしたが、写真をゆっくり見て説明を聞きたかった。茶道具の歴史に興味が湧きました。有難うございました。(T) ◎茶道の世界の奥深さがうかがえる講演内容 であり、「茶会記」に記されたことがらから、時代背景や交友関係まで多くのことがわかることに改めて新しい驚きを感じた。(N) ◎茶会記の道具を推定され、伝世品を示して紹介され、非常にわかりやすかったです。実際にこれらを使用して茶会ができたらよろしいですね。さらに、伝世品の探索、実見ができるよう美術館で予算をつけ、昭乗さんゆかりの道具がコレクションできれば最高ですね。(N) ◎松花堂茶会記に記載される茶道具のご説明は茶道具を中心とした美術工芸品をご研究のテーマとされているだけあって、大変詳細で、丁寧で、見応え、聴き応えがありました。ただ、後半部分は時間が切迫し、ご 説明が端折られ、茶杓・茶碗・香炉や硯についてもう少し詳しくお聴きしたかったです。昭乗ゆかりの伝世品についての第二弾のご講演を期待します。(F)
by y-rekitan
| 2014-02-28 11:00
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