![]() 八幡の古寺巡礼 ― 第1回 浄土宗の寺を巡る ― 高田 昌史 (会員) 石清水八幡宮は、江戸時代まで神仏習合の寺社として「石清水八幡宮寺」と呼ばれ、明治以前の八幡には山上だけでなく山下にもたくさんの寺院がありました。 そのなかでも浄土宗は、正法寺志水氏の娘お亀が徳川家康の側室となり尾張藩祖徳川義直の生母になったことにより幕府から手厚い保護を受け多くの寺院がありました。今回は今に残る浄土宗の三寺院を巡る歴史探訪ウォーク「浄土宗の寺を巡る」を12月12日に実施しましたが、当日はこの冬最初の寒波にも拘わらず43名の参加がありました。 今回の巡礼は浄土宗の三寺院を徒歩で巡回する歩行距離約4.5kmのコースでした。 ![]() 参加者には事前に下調べした情報をもとに「しおり」を用意させて頂きましたが、まずは見てのお楽しみということで本文はできるだけ簡単にし、仏像の用語解説、仏像の印相、仏教宗派や浄土宗の系図といった付属属資料をいれて、ウォーキング中でも立ち止って気軽に見ることができるA5サイズの携帯版とさせていただきました。 「浄土宗の寺院を巡る」の報告 12月12日は京阪八幡市駅に13時集合。「しおり」の説明と歩行時の注意事項等をお話した後出発しましたが、まずは安居橋を渡り15分後に最初の訪問先の「念仏寺」に到着しました。 男山考古録に、「旧は観音堂と号して空也上人暫く当寺に住居する」と記されています。 ![]() 念仏寺到着後、山門横の「戊辰史跡の石碑(三宅碑)」を説明して本堂には入り、福井住職のご講話を拝聴しました。 講話の最初に、八幡には江戸時代に浄土宗の寺院が九十六寺もあったとお聞きし驚きました。その内の念仏寺を始め三十六ヵ寺が御朱印寺であったとのことです。 ![]() 戊辰戦争時に念仏寺は幕府方の桑名・大垣藩の陣地になり、官軍の砲撃で大垣藩士9名が戦死。その内4名がこの寺に葬られたが、本堂横の墓地に二十四才で亡くなった「名波常蔵」の墓が残っており、大垣には名波常蔵の墓はないとのことです。ご講話の後に本尊や釈迦如来像などを拝観させていただきました。 念仏寺から徒歩約25分で世音寺に到着です。 この寺は、長禄2年(1458)世音大徳が阿弥陀如来を本尊として開基されました。もとは禅宗でしたが、江戸時代に浄土宗となり、浄土宗御朱印三十六ヵ寺組になっています。 同寺の地蔵菩薩立像は鎌倉初期の作で、昭和61年に八幡市指定文化財の第1号です。 ![]() しおりでは引用の資料から朱印地高は7石あまりと記載していましたが、福井住職からは13石であり念仏寺よりかなり多いとの説明がありました。本堂脇の地蔵堂の八幡市指定文化財の地蔵菩薩立像は「ぞうり」を履いているとのご説明でしたが、残念ながら足下は隠れて見えませんでした。なお、世音寺は戊辰戦争の時には被害がなかったとも伺いました。 続いて訪れた本日最後の巡礼先の安心院までは、徒歩約10分でした。 正法寺の塔頭(たっちゅう)で、山門は正法寺参道の左側の東高野街道筋にあります。早速、本堂で本庄住職の講話を拝聴させていただきました。 ![]() 以上の三か所で今回の古寺巡礼ウォークは一旦解散としましたが、後は自由参加で安心院のご住職の講話で説明があった中ノ山墓地を見学するグループや八幡市駅までご一緒して駅周辺の史跡にもご案内するグループに別れてのお開きとなりました。 新企画の「八幡の古寺巡礼」の(第1回:浄土宗の寺院を巡る)は、多く参加者があり皆様からはご好評をいただきました。 これは巡礼先のご住職の御尽力の賜(たまもの)で、厚く御礼申し上げます。また、ほぼ当初計画したタイムスケジュールで進行することが出来たことは参加の皆様のご協力のお陰です。 なお、来年度には第2回「古寺巡礼」の歴史探訪ウォークを実施する予定です。
by y-rekitan
| 2013-12-28 11:00
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