◆会報第52号より-04 物語の生まれ②

シリーズ「物語はどのように生まれたか」・・・②
女 郎 花 と 頼 風②

 土井 三郎 (会員) 


2、謡曲「女郎花」の成立とストーリー

 謡曲「女郎花」は、「おみなえし」と読むものがあれば「おみなめし」とルビがふってあるものもあります。いずれにせよ、元曲は世阿弥(ぜあみ1363~1443)以前にあったといいます。現在の「女郎花」は、1505年に金春大夫(こんぱるたゆう)が演じたものと同一とのことなので、元曲もふくめて16世紀初頭までに成立していたとみてよいでしょう

f0300125_185424.jpg  ストーリーをたどってみます。
九州からやってきた僧が、京に上る途中、摂津の山崎に到り、石清水八幡宮に詣でることを思い立ち八幡にやってきます。すると、野辺に女郎花が今を盛りに咲き乱れています。 旅の僧は女郎花を一本手折(たお)らんとします。すると、そこに花守なる老人が現れ、花を折るなと制止します。この花守、実は前シテなのです。能、とくに「夢幻むげん能」と呼ばれるものは、前のう場と後場があって、前場は土地の人のなりをしていますが、実は後場に現れる幽霊の仮の姿なのです。
 そして、旅の僧と花守がそれぞれ和歌を披露しあい、二人とも心なごみます。花守は、花を折ることを許し、旅の僧を石清水八幡宮に案内します。 その道すがらが面白い。以下に紹介します。
 山下(さんげ)の人家(じんか)、軒(のき)をならべ、和光の塵(ちり)も濁江(にごりえ)の、河水(かすい)にうかむうろくづは、げにも生けるを放つかと深き誓ひもあらたにて、恵みぞ繁き男山、栄ゆく道のありがたさよ、頃は八月半ばの日、神の御幸なるお旅所をふし拝み、久方の、月の桂の男山・・・
 「山下(さんげ)」とは男山のふもとを指します。人家が軒を並べるとは、さしずめ科手(しなで)辺りの町並でしょうか。「和光の塵」とは仏が衆生を救うため、本来の威光をやわらげ仮の姿を俗世に現すこと、「濁江(にごりえ)」は放生川とみてよいでしょう。「うろくづ」は魚、「生けるを放つ」とは、まさに放生会そのものです。八月半ばは放生会が営まれる日なのですから。そして、放生会は山下のお旅所=頓宮で執り行われるのです。
 花守は、お旅所だけでなく、神宮寺(大乗院?)をも巡り、最後に八幡宮の本殿に案内します。
 その後、旅の僧は、女郎花が男山とどんな謂(いわ)れがあるのかを問うので、花守は山の麓に立つ男塚と女塚をお見せしようと誘います。このくだりを花守と旅の僧の会話で紹介します。

シテ(花守)
 こなたへ御入り候へ、これなるは男塚、又此方(こなた)なるは女塚、この男塚女塚について、女郎花の謂れも候、これは夫婦の人の土中にて候
ワキ(旅の僧)
 さてその夫婦の人の國は何處(いづく)、名字は如何なる人やらん
シテ(花守)
 女は都の人、男はこの八幡山に、小野の頼風と申しゝ人、


 この後、花守は忽然と姿を消し、中入りとなります。
 ここでおわかりの様に、謡曲「女郎花」では、男塚と女塚は決して離れた所に立っているのではなく、「これなるは男塚、また此方(こなた)なるは女塚」と述べる様に、ほど近い所に立っているように設定されているのです。
 後場は、亡霊である頼風と女郎花が、旅の僧の前に現れるところから始まります。二人の思いのたけを聴いてみましょう。

ツレ(女郎花)
 わらはは都に住みし者、かの頼風に契りをこめしに
シテ(頼風)
 少し契りのさはりある、人まを真(まこと)と思ひけるか
ツレ(女郎花)
 女心のはかなさは、都を独りあくがれ出でて、なほも恨みの思ひ深き、放生川に身を投ぐる
シテ(頼風)
 頼風これを聞きつけて、驚き騒ぎ行き見れば、あへなき死骸ばかりなり、
    (中略)
シテ(頼風)
 その塚より女郎花一本生ひ出でたり、頼風心に思ふやう、さてはわが妻の、女郎花になりけるよと、なほ花色もなつかしく、草の袂もわが袖も、露触れそめて立ち寄れば、この花恨みたる気色(けしき)にて、夫(おっと)のよれば靡(なび)き退(の)き又、立ち退(の)けばもとの如し


 f0300125_18152921.jpg男と女の世界にありがちの恋物語を聞かされているようです。女郎花が「契りを込めしに」と訴えるのに対し、頼風はうろたえながら弁明に努めるように聞こえるからです。
 そして、「そなたと契りを結んだことは罪深いことであったのか。それにしても、しばらく交わりがとだえたからといって、それを真に受けることがあろうか」と反問するのです。
 だが、女郎花に頼風の真意は伝わりません。頼風が近づけば、その塚から生える女郎花が靡(なび)き退(の)くことで、冥界に行っても恨みは晴れぬことを意思表示しているかのようです。
 或いは、女郎花の頼風に対する恨みが、地元の人に、頼風塚を女郎花塚のはるか1.5㎞かなたに建たせた理由になっているのかもしれません。

f0300125_18194180.jpg それはともかく、頼風は決して薄情で、仏心のない男ではありません。自分が身を寄せると、女郎花が靡き退く様を見て、
無慙(むざん)やな、われ故に、よしなき水の泡と消えて徒(いたづ)らなる身となるも、偏(ひとえ)にわが科(とが)ぞかし、若(もし)かじ浮世に住まぬまでと同じ道にならんとて
とつぶやき、同じくこの川に身を投げるのです。

 さて、次に、何故この謡曲が、『古今和歌集』に関連して生まれたかを述べなければなりません。
 その答えは「女郎花」の詞章自体に示されています。先ほど、「夫(おっと)のよれば靡(なび)き退き又、の立ち退けばもとの如し」と頼風がひとりごちた後にかぶさるように地謡(じうたい)の合唱が続くのです。即ち、
ここによって貫之も、男山の昔を思って女郎花の一時(ひととき)を、くねると書きし水茎(みずぐき)のあとの世までもなつかしや
 「水茎」とは、手跡、筆跡の意。文章のことを指します。そして、貫之とは、『古今和歌集』を編纂した一人であり、その序文を書いた人です。「男山の昔を思って女郎花の一時をくねる」という一文は、古今集の仮名序(かなじょ※)にまさしく著されているのです。ここに、謡曲「女郎花」の出生の謎が隠されているのは明らかです。   (次号につづく)

「仮名序」は仮名文で書いた序文。ほかに真名序といって漢文で書かれたものがある。


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by y-rekitan | 2014-07-28 09:00 | Comments(0)
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