◆会報第52号より-06 八幡宮Q&A③

シリーズ「石清水八幡宮の歴史Q&A」・・・③
第3回


Q:江戸時代までの石清水八幡宮(寺)の本尊は何ですか?

A:石清水八幡宮の本殿は、明治維新前であっても寺院ではなく、あくまで神社でしたから、そこに祀られた信仰対象は本尊ではなく祭神と称えたわけですが、一般的に八幡三所大神の「本地」としては、阿弥陀如来を中心に観世音と勢至の二菩薩を脇侍とする阿弥陀三尊が当てられてきました。
ただ、行基が男山に開創した石清水寺(後の護国寺)の本尊は薬師仏でした。薬師三尊は、薬師如来を中心に、日光・月光の二菩薩を脇侍とするものです。また、釈迦三尊とする説もあります。釈迦を中心に文殊と普賢両菩薩を脇侍とするもので、鎌倉時代の法華経信仰の高まりとも関連するように思われますが、これを霊鷲山(りょうじゅせん)で説法した釈尊の後身こそ八幡神だとする主張の顕れとみることも可能でしょう。こうした諸説がある中で、やはり最も有力視されてきたのは、平安後期以来の本地垂迹説に則った阿弥陀三尊説であったといってよいでしょう。
 なお、明治維新の「神仏分離」に際し、本殿内に本地仏として安置されていた阿弥陀如来像は、一たん外に出され骨董商に引き取られましたが、紆余曲折を経て明治30年代に再び当宮に戻り、今は社務所書院の一角にひっそりと安置されています。

   (回答者:石清水八幡宮禰宜、西中道氏)



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by y-rekitan | 2014-07-28 07:25 | Comments(0)
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