◆会報第53号より-05 物語の生まれ③

シリーズ「物語はどのように生まれたか」・・・③
女 郎 花 と 頼 風③

 土井 三郎 (会員) 


3、「男山の昔を思ひて・・・」をどう解釈するか

(1)古今和歌集と仮名序

 先の号で、謡曲「女郎花」は『古今和歌集』の仮名序から生まれたことを述べました。今回と次回とで、そのことを詳しくお話したいと思います。
 『古今和歌集』は、延喜5年(905)醍醐天皇の命を受け、紀貫之・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠峯が撰したわが国最初の勅撰和歌集です。成立は延喜14年頃とされ、読み人知らずを含めおよそ127名の歌約1100首を四季、恋以下13部、20巻に収めました。
 その序文は、和歌についての編者の見解や本集成立の経過などを記したもので、漢文の「真名序(まなじょ)」と紀貫之が書いたとされる仮名文の「仮名序(かなじょ)」とがあります。その内「仮名序」は、漢詩ブームが衰え出した当時、新興の和歌についての見識を堂々と、平明に、しかも新鮮な文体で表現した文章として高く評価されています。
 出だしの文章を紹介してみます。
  やまと歌は、人のこころを種として、万(よろず)の言(こと)の葉(は)とぞ成れりける。世中(よのなか)に在(あ)る人、事(こと)、業(わざ)、繁(しげ)きものなれば、心に思ふ事を、見るもの、聞くものに付けて、言(い)ひ出(いだ)せるなり。花に鳴く鶯(うぐひす)、水に住む蛙(かはづ)の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか、歌を詠(よ)まざりける。力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼(おに)神をも哀(あは)れと思はせ、男女(おとこをむな)の仲をも和(やわ)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰(なぐさ)むるは、歌なり。
 

 以下、神代の歌、天皇の歌などが紹介され、和歌の表現形式が列挙されます。続いて和歌の歴史となり、歌がどのように人の心を和らげ慰めてきたのかを述べるのです。「男山の昔を思ひて・・・」はその例として引き合いに出されています。
  細石(さざれいし)に喩(たと)へ、筑波山(つくばやま)に掛けて君(きみ)を願(ねが)ひ、喜(よろこ)び身に過(す)ぎ、楽(たの)しび心に余(あま)り、富士(ふじ)の煙(けぶり)に寄(よ)そへて人を恋(こ)ひ、松虫の音(ね)に友(とも)を偲(しの)び、高砂(たかさご)、住(すみ)の江の松(まつ)も、相生(あいおい)の様(やう)に覚(おぼ)え、男(おとこ)山(やま)の昔(むかし)を思(おも)ひ出(い)でて、女郎花(をみなへし)の一時(ひととき)をくねるにも、歌(うた)を言(い)ひてぞ慰(なぐさ)めける。・・・
 

 上の文章は、「男山の昔を思い出でて、女郎花の一時をくねる」(くねるは、愚痴る、嘆くの意)を除けば、おおよその解釈ができます。すなわち、細石(さざれいし)に喩(たと)えたり筑波山(つくばやま)に掛けたりして君(天皇)の長寿を願い、うれしいにつけ楽しいにつけ、そして富士の煙のように燃える心で人を恋うときも、松虫の音に友を偲ぶときも、高砂や住之江の松が相生のように共に生きるのを見るにつけても、歌を詠って心をなぐさめたり共感したりしてきたのだ、と。

(2)男山と女郎花を巡って

 「男山の昔を思ひ出でて、女郎花の一時をくねる」という一文は、和歌に通じていない現代人にはわかりにくいと思います。私も、初めてこの文章に出会った時に面食らったことを覚えています。
 要は、掛詞(かけことば)の修辞法を理解することです。そうすれば、「男山」は男を、「女郎花」は女を導き出すための掛詞であると見抜ける筈です。
 百人一首にある次の歌がよい例です。
立ちわかれいなばの山の峰におふる
     松とし聞かば今帰り来む  
             
中納言行平

 あなたと別れて因幡の国へ出発するが、稲葉山に生いしげる松のように、あなたが待つというのを聞けば、すぐにでも帰って来ようとの解釈が成り立ちます。「往(い)なば」に「因幡(いなば)」をかけ、「松」に「待つ」を掛けているということがわかるからです。もう一度、仮名序にある「男山」云々を取り出して吟味してみましょう。
「男山の昔を思ひ出でて、女郎花の一時をくねるにも、歌を言ひてぞ慰めける。」
 「男山」は男を、「女郎花」は女を導くための掛詞とすれば、山と花が捨て去られ、「男の昔を思い、女の一時を嘆くにも、歌を詠って慰めてきたことだ・・・」と解釈できます。さらに、「男盛りの昔を思い出し、女の華やかな時が一時のものと嘆くにも歌を詠って慰めたものだ」とすればもっと実感がこもるでしょう。私も含め、現職をリタイアした世代の読者諸氏の年齢層を考えればなおさらです。
 岩波書店版、新日本古典文学大系『古今和歌集』(2001年発行)の注釈者は、「男山の昔を思ひ出でて、女郎花の一時をくねる」に対応する歌として次の二つの歌を紹介しています。
今こそあれ我も昔はおとこ山
     さかゆく時もありこしものを
              
よみ人しらず
※今でこそこんなのだが、わたくしも男として、男山の坂を上るように栄えた時をちゃんと過ごして来たものだよ。

秋の野になまめき立てる女郎花
      あなかしがまし花もひと時
                
僧正遍照
※秋の野にあでやかさを競っているおみなへしよ。ああうるさいことだ。だいたいが花も(世にいう女も)一時のものだよ。
 「秋の野になまめき立てる」と形容される女郎花ですが、カトレアや胡蝶蘭などを知っている現代人からすれば「なまめく」花とは捉えにくい花です。しかし、古今集が編纂された時代にはあでやかな花の代表であったらしく、同集には、数々のなまめかしい女郎花の歌が登場します。
名にめでておれる許(ばかり)ぞをみなえし
     我おちにきと人にかたるな
               
僧正遍照

をみなえし憂(う)しと見つゝぞ行すぐる
     おとこ山にし立てりと思へば
    
布留(ふるの)今道(いまみち)

をみなえし多かる野べにやどりせば
     あやなくあだの名をやたちなむ
        
小野(おのの)美材(よしき)
 おわかりの通り、女郎花はあでやかな花であり、若い女性を象徴するものであったのです。男は、その色香に正体をなくし、故に憂しと見たり、わけもなく噂を立てられたりしたのです。
f0300125_14375959.jpg  いずれにせよ、「男山の昔を思ひ出でて、女郎花の一時をくねる」とは、老年の男女が若い時のことを懐かしみ、今ある自分を嘆くというもので、だからこそ歌を詠って慰めるという歌の効能を説くことにつながるのです。
 ところが、『古今和歌集』が生まれてから約370年後の鎌倉時代に、「男山の昔」に生きた男を登場させ、女郎花という女との悲恋の物語があったとする註釈書が成立します。物語はそこから独り歩きを始め出すのです。  (次号につづく)


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by y-rekitan | 2014-08-28 08:00 | Comments(0)
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