高田 昌史 (会員) 地蔵菩薩は庶民信仰のナンバーワンの仏であることは周知のことですが、地域の守り神であり、延命、治病、息災、安産、育児、豊作等の多岐にわたる願望から多くの俗称で呼ばれ、その俗称は全国で248種もあります。江戸時代に道祖神信仰と結びついたため道端に祀られるようになったようです。 「京都の地蔵信仰と地蔵盆を活かした地域活性化事業」の調査報告書が平成26年3月に発行されました。この報告書では京都市内の「地蔵」の分布調査や近畿の特徴的な「地蔵盆」の実態が明らかにされています。 また、京都市が自治会長や町内会長を対象に実施したアンケート調査では、8割近くが昨夏に地蔵盆を行ったと回答しています。 ![]() 毎年8月23日と24日には森の町内会で「地蔵盆」が盛大に行われでいますが、石仏の由来や地蔵盆の様子も含め今まで調べたこと及び地元の方にお聞きしたことを以下にまとめました。 八幡森の大きな地蔵さんについて、地元の薬薗寺のご住職から紹介していただいた八幡旦所の清林庵のご住職(御歳88歳)にいろいろお話しを伺いました。その中で、このお地蔵さんは昔から夜泣きによく効くので「夜泣き地蔵さんと呼ばれて慕われ、 ![]() また、今回の調査で約20年前の平成7年の森のお地蔵さんを撮影したビデオを見る事ができましたが、そのビデオでは、お祖母さんがお地蔵さんを「オボトケさん」と親しみを込めて呼び、さらには「森のお地蔵さんは、阿弥陀さんです」ともいわれていました。 言われてみると確かに、頭に如来特有の肉髻(にっけい、知恵で盛り上がった頭頂)が見てとれます。また、涎掛けで隠れている右手と下ろしている左手を見ると、親指と人差し指の念じる様は、阿弥陀如来でよく見られる来迎印(上品下生)とも見うけられます。 先に述べた調査報告書にも「地蔵堂に祀られている多く石仏の中には、実際は阿弥陀と見られる形態の石像が少なからずあるが、地蔵といわれている場合が多い」と記されています。 清林庵のご高齢のご住職からは、昔ご住職のお祖母さんから「森の橋(薬薗寺の前)の際(きわ)にあったお地蔵さんを現在の場所に移動された」と聞いているとの貴重な証言を得ました。 調べてみると、男山考古録巻十三の「石佛」の項に、“薬園寺前の道を園町に至る十間許東へ入る田の中に、四尺許の石佛立り、土人只オホヾトケと云ふ、傍に樹木繁茂せしか、近来伐佛て叉其在地を田に作りなせり、是者舊法園寺墓所なりしか、今の地に改葬なとして、其跡所に此石佛を立置る也と、此邊の田畑の字を大佛といふ”と書かれています。 この男山考古録の「四尺許の石佛立り」は、現在の森町のお地蔵さんの台座から上の高さとほぼ一致するため、この石佛が現在の森の石仏と推定されます。また、その場所が「法園寺の墓地なりしか」と書かれていることは、現在では検証はできませんが元は墓地の仏像であったのかもしれません。 さらに「薬園寺前の道を園町に至る十間許東へ入る田の中に、・・・」ともあるので薬薗寺の東へ約20mの田の中に祀られていたようです。 そして時は下り、明治維新の廃仏毀釈の方針により京都府から明治4~5年に発布された「地蔵取除令」や「盂蘭盆会習俗の禁止令」等の受難に遭いながらも、地元の人々は石仏をお守りし、廃仏毀釈の嵐が治まった後、薬薗寺前の橋のそばに移設し、現在の森町の地蔵堂に安置されたのでしょう。 また、地蔵堂には他にも多くの石仏が祀られていますが、地蔵堂の北側は墓地だったこともあり、「オボトケさん」よりも古い室町時代の石仏もあるとお伺いしました。 ![]() また、地蔵盆でお目にかかった方から、この「お地蔵さん」は、まだ修行中の身であるから地蔵堂の小屋の外に祀られているといった話も伺いました。 今年の地蔵盆も8月23日の朝から森町の1~3班の班長が中心になり、テント2張り設置して多くの提灯が揚げられ飾り付けやお供え等の準備が行われました。 ![]() ![]() 昔はこの地蔵尊が御堂から外の広い場所に出されて祀られ、また、他の地区に貸し出もされよく移動されたので別名「あそび地蔵」とも呼ばれていたそうです。 今年も2日間の地蔵盆には、地域の大勢の皆様がお詣りされ、子供達にはかき氷やお菓子が配られました。ただ、残念ながら2日目の夜7時から予定の子供達による「数珠回し」は、どしゃ降りの悪天候のため今年は中止になりました。(写真の数珠回しは、平成7年に撮影されたものです) ![]() 今回の調査で森の地蔵堂の石仏及び地蔵盆について、いろいろな事を知ることができました。地蔵盆は関西中心に行われている伝統行事ですが、最近は少子化の影響で地蔵盆を中止する地区もあるようです。地域をつなぐ文化として残していただきたいと願っています。 末筆ですが、いろいろお話しをお伺いしました森町の皆様及び平成7年の撮影ビデオを提供していただいた「八幡まちかど博物館協議会」の増田和博様に御礼申し上げます。 また、八幡市教育委員会文化財保護課の小森主幹殿には、現地で石仏を確認していただいたことを申し添えます。 【参考資料】 ※1)平成25年度京都の「地蔵」信仰と地蔵盆を活かした地域活性化事業 報告書(文化庁文化遺産を活かした地域活性化事業) ※2)路傍の信仰―日本のお地蔵さま百選(歴史読本 2009年2月号) ※3)男山考古録(石清水八幡宮史料叢書1) ※4)山上山下のまち、八幡(堀内明博他) ※5)八幡文化のふるさと(八幡市教育委員会) ※6)雑誌「一個人」 2014、10月号【保存版特集】仏像と信仰の謎 (KKベストセラーズ)
by y-rekitan
| 2014-09-28 08:00
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